2006年12月16日

てがみ

『硫黄島からの手紙』を今日、観てきた。
すごすぎて感想はまだ書けない。
イーストウッド映画だった。冷酷ともいえる視線。いったいなんなのだ、これは。この映画を観てやっと悶々としていた『トゥモロー・ワールド』の感想を書いた。どこへの窓でもない、史実映画。そんなものがあるのか。
ペットショップでやんちゃなパグ子犬と戯れてどうにか平常心にかえる。

2006年11月14日

溝口でルノワールから金井

5日の日記を読んだ友人から、金井美恵子さんの豊かな誘惑に溢れた映画評論集である『愉しみはTVの彼方に』の中でも、溝口健二の映画のところでルノワールに言及しているよと教えてもらいはしたものの、その本を持っているにも関わらず記憶の引き出しからはひとかけらのウサギもぴょこんと顔を出さなかったので、いやウサギどころかセミのヌケガラすら出てこなかったので、家に帰ってすぐさま確認したところ、確かにそこには『近松物語』は「『ゲームの規則』のような過激な喜劇としても成立したのではないか」と書かれており、私は、そうか『近松物語』があるんじゃないか、あれならば裕福な家の話しだからルノワールの世界に近いじゃないかと、自分の不明さにくやしくなったのだった。あそこまで書いておきながら、ほんのちょっと前に観た『近松』が出てこないなんて、ふがいないじゃないか。

とはいえ、それはもちろん偶然その日に続けて観たというだけで溝口とルノワールを結びつけて考えた私と、数多くの映画の記憶の中から、その世界の構造の類似を結びつけた金井さんとの決定的な違いなのだ。

それにしても、『近松物語』でも『祇園囃子』『噂の女』でも、役柄の小ずるさや情けなさや悲人情さに関わらず、出てきたとたんにその場に軽やかな空気をもたらしてしまう田中春男は、金井さんの書くように「クサイといえばクサイのだけれども生き生きとして柔軟な小悪党」ぶりがなんともルノワール映画の登場人物としてふさわしい。そう考えると『ゲームの規則』を溝口が、ではなく『近松物語』をルノワールが撮ったらどうなるのかと妄想してわくわくしてしまう。

また『噂の女』に関しては金井さんも田中絹代の「動きや仕草に目を見張」っており、そうした着眼点の共通性になんとなく嬉しくはなるものの、それはきっと多くの人が目を見張った点であろうし、それをどのように表現するのかというのが、感想と誘惑との境を成すのだろうな。「小さな蛇」に喩えた描写は、観た者にはまさしくそうだったと思わせるし、観ない者にはその動きがただならぬものであることを充分に伝えるだろうし、その動きを観てみたいと思わせるのではないだろうか。

ううん、なんだかここまで書いているとあまりに金井美恵子に心酔しきった阿呆のようにしか見えないが、彼女の描写や視点がそれほど刺激的だということだ。視点の共通性が、一度は読んで忘れきっていたエッセイから睡眠学習効果のようにもたらされているのなら、それはとても嬉しいことだ。金井さんのように映画を観て、描写できるようになるのならいくらでも睡眠学習やるのに。


ついでに↓

2006年11月05日

溝口でルノワール

土日で溝口健二を3本。
『残菊物語』
『折鶴お千』
『瀧の白糸』
知っている人ならこの3本立てにうわぁ…と思うのだろうか、1本1本は当然のように面白いし美しかったり横移動しまくりだったりで、それぞれに対する感想もあるものの、この3本を続けて観ると、溝口さんもういいよ…と憔悴しきったため息をつきたくなってしまうのだ。
というのもこの3本はどれも、立身出世を望む男、男に惚れ自分の身を省みず男の夢に尽くす女、女にとって何かしらの障害となる男、という3者が登場し、いずれの場合も女は男が身を立てたときには男の側にはおらず、破滅したり病気になったり気がおかしくなったりしながらも男の立派になった姿を喜びつつ最後を迎えるといった内容で、『折鶴お千』の場合は立派になった男のことすら認識できないのだが、まあなんというか、女を不幸にする悪役として登場する男にはもちろんむかつくし、女に助けられて立派になる男達のまじめで優しいけれど女の窮地に鈍感さにも、3本も続けて観ているとだんだんイラっとしてくるし、何よりも不幸に不幸を重ねながらも男に尽くすことを喜びとし、男の立派になった姿を見られただけで満足と死んでいく女たちに、むかーっとしてくるのだ。
なんていうか、そんなもの描かれても困るという当惑。男の身勝手な夢を見せられているようなむかつき。自分の想像つかない世界というだけなのかもしれないけど。
これらに比べると、男女の情愛が制度すら無化してしまう『近松物語』や、男に翻弄されつつも女の強さを見せる『噂の女』がひどくスカッとしたものに見える。

むすー。私が観た溝口がこの5本だけで、前3本が戦前、後2本が戦後と考えるとヒドイ男、駄目な男とそれに翻弄される女という図式を中心としながらも、時代によってその力関係の描かれ方が少しずつ変化しているんでしょうか。まあ、そのことはもう少し本数観たら分かるか。

それにしても面白いから困る。
悶々としてるのに、映画が面白いせいで、そんな女いないよ!といったような文句を言うのが馬鹿馬鹿しい気がしてしまうのだな。

で、日曜日の〆に観たジャン・ルノワールの『ゲームの規則』がそんなストイックな情愛の世界から一気に私を解放。なんともやるせないラストはともかく、ジャンの映画に溢れる幸福感とだめだめな人々、愛情のベクトルが拡散している人たちだらけの映画を観てほっとしてしまう。溝口とはまるっきり対照的なダメさ。そうそう、人なんてこんなふうにだらしない方が幸福なんじゃないの、なんて、ジャンだから描くことが許される世界だと分かっていつつも、その拡散する無方向な愛情の豊かさに感服。

いまふと、もしこの世界を溝口が描いたら、と思ったら背筋が凍った。怖すぎ。あ、でも『ゲームの規則』には「貧困」がないからだめか。

2006年11月01日

鑑賞映画一覧

【2006鑑賞映画】
12/31更新

感想書きたいのにまとまらず放置してしまったものがけっこう、ある。
そして増え続けている★

【映画館にて】

O侯爵夫人
鉄コン筋クリート
エドワード・サイード OUT OF PLACE
悪魔とダニエル・ジョンストン
雨月物語
西鶴一代女
硫黄島からの手紙
嘘の心
獅子座
イカとクジラ
ざくろの色
トゥモロー・ワールド
祇園の姉妹
火の馬
ピロスマニのアラベスク
真夏の夜のジャズ(感想)
ストップ・メイキング・センス(感想)
父親たちの星条旗(感想)
ヴィオランタ
血文字屋敷
おしどり駕篭
海賊八幡船
関の彌太っぺ
ナチョ・リブレ
祇園囃子
パビリオン山椒魚
ゲームの規則
瀧の白糸
折鶴お千
残菊物語
ツヒノスミカ
百年恋歌
リトルミスサンシャイン(感想)
決闘高田馬場
噂の女(感想)
サムサッカー
ゆれる
太陽(感想)
近松物語
スーパーマン・リターンズ(感想)
マタンゴ
奇々怪々 俺は誰だ?!
LOFT(感想)
赤西蠣太
山中貞雄3本(感想)
血槍富士(感想)
十兵衛暗殺剣
蟻の兵隊(感想)
川本喜八郎(鬼・いばら姫またはねむり姫・セルフポートレート)
パンダ・コパンダ
パンダ・コパンダ 雨降りサーカスの巻
撮られっぱなし天国(感想
愛していたが結婚しなかったアーシャ
アブラハム渓谷
出来ごころ
お早う
映画史特別編 選ばれた瞬間
新学期操行ゼロ
D.I.
キングス&クイーン
ミツバチのささやき
エル・スール
グリーンデイル
はなればなれに(感想)
イヤー・オブ・ザ・ホース
ライディング・ジャイアンツ(感想)
ジャンヌダルク裁判(感想)
のらくら兵(感想)
回路
ニンゲン合格
ブロークン・フラワーズ
アワーミュージック(感想
メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
ラストデイズ (感想
Touch the sound
消えゆく者たちの年代記 (感想
トラベラー
鴛鴦歌合戦 (感想
ジョー・ストラマー レッツロックアゲイン! (感想
ミュンヘン
エリ、エリ、レマ サバクタニ (感想1感想2
ホテル・ルワンダ
ホームワーク (感想
動くな、死ね、甦れ! (感想
愛より強い旅 (感想
東京ゾンビ (感想

2006年10月25日

切られ一筋

友人からもらったチケットで東京国際映画祭に『決闘高田馬場』を観に行く。どうしてこんなに面白いんだと興奮。とにかく興奮。観終わった後に体中の血がざわついて落ち着けない。
まだ落ち着いてないので感想は後日。

上映前には「日本一の切られ役」福本清三さんを迎えてのトークショー。『ラストサムライ』を観ていないし、時代劇もあまり観ないし任侠映画も観ないのでこの人のこと知りませんでした。けれどこのトークも面白かった。撮影所時代の話しから、時代劇の殺陣の話し、「いかにぶざまに死ぬか」それがすなわち「かっこいい死に方」なのだという信念に、今まで観てきた時代劇の切られる人たちを思い浮かべてえらく納得。職人が自分のしてきた仕事を語るような手触りの話しだった。長年1つの仕事をしてきたからこそ得た自信と経験と愛情。職人さんの話は面白い。
最後の写真撮影におけるマスコミからの、切られる形でお願いしますという要望に、一瞬照れながらも、では、と見せてくれた「切られる瞬間」に唐突に涙が溢れてしまった。まさしく、職人がただの「材料」を魔法のように「製品」に変えてしまう手元を見て得体の知れぬ感動を感じてしまうのと同様に、一瞬にしてそこには「福本さん」から「切られた人」に変化した人間がおり、たぶんその唐突さと「出来上がり」の見事さに不意を突かれたのだ。
時間ぎりぎりで行ったために1列目のほぼ真ん中、という普段ではあり得ない位置に座っていた偶然に感謝。

一流の職人さんの仕事の見事さと仕事への愛情は聞いていて本当に面白く、遅ればせながら『ラストサムライ』を観てみようかとさえ思ってしまった。

2006年08月09日

アルプスの空うたう

友人から「ベレジーナが遺作になるなんて」というメール

まさかそんな、そのベレジーナはあのベレジーナか


ダニエル・シュミットが死んじゃった

新作撮影中だった
観たかったよ

世のシュミット好きのようにシュミットを好きだった訳じゃない
あの独特さを好きだと言えるのか分からなかった
そのくせシュミット節をスルメの様にもぐもぐ味わっていたかった
私がシュミットを知ってからの新作は「ベレジーナ」だけだった
当然のようにスクリーンで観た
シュミット節は弱いような気がしたが映画の内容よりもなによりも、
シュミットの新作をスクリーンで観る
という幸福を味わった
それが私にとっての唯一のスクリーンでのシュミット

組まれるであろう追悼特集で
あのアルプスをあの闇を

悔し涙を流そう

2006年01月02日

2005映画まとめ

左のバーで順位らしきものを付けてましたが、改めて2005年に映画館で観た映画を分けると以下のようになりました。もちろん個人的嗜好です。古い映画も入ってます。

*ずばぬけてました*
・ライフ・アクアティック
・ミリオンダラー・ベイビー

*すばらしかった!*
・ベルヴィル・ランデブー
・真夜中の弥次さん喜多さん
・阿賀に生きる+阿賀の記憶(切り離して考えられないのでセットで。「??生きる」がとにかくすばらしかった)

*おもしろかった!*
・レイクサイドマーダーケース
・銀河ヒッチハイクガイド
・ランド・オブ・ザ・デッド
・コープスブライド
・チャーリーとチョコレート工場
・キング・コング
・ウィスキー

*うん、まあ*
・ブラザーズ・グリム
・大いなる休暇
・戦争のはじめかた
・マシニスト

*ふざけるな*
・イブラヒムおじさんとコーランの花たち

*爆音上映は快感である*
・GERRY
・クリスタルボイジャー
・Dreamers
・右側に気をつけろ
・デーモンラヴァー
爆音上映の面白さは行ってみると分かる。もっと観に行きたかったけどちょっとさぼったな。。。boidさまさまです。


2005年は例年よりも映画館に行きました。設備だけじゃなくて、周りで観ている人たちの反応も含めて映画館で観る事って大事ですね。それでもこれだけ。観たい映画もさっくり見逃してるし。ゴダールの『アワーミュージック』を観ていないというのはどうにもこうにも失態だ。

しかし、熱狂するほどの映画を映画館でみる幸せを味わえて嬉しい年でもありました。特に『ライフ・アクアティック』。

今年はもっと頑張る。
試写会とか鑑賞券、当たらないかな。。。

2005年11月07日

about [Life aquatic]

■『ライフ・アクアティック』の特典映像を堪能。撮影風景がたくさん見られる。とてもとても楽しそうだ。現場全員で盛り上がっている感じ。求心力を持つウェス・アンダーソン監督とビル・マーレイ。そしてそれに応えられるだけのプロ魂と技術を持った人々。あれだけ素敵な映画がこれだけ素敵な現場で生み出されていることにひどく安心し、感動する。信頼感、てものがこういうところにはちゃんと存在しているのだな。

2005年07月07日

bakuonに礼

■爆音月間がとりあえず終わりました。なんかあの音に馴れてしまう自分がおかしかった。いい音じゃなく、すごい音じゃなく、デカイ音。あ、でも音の調節はすごく丁寧に(主催者好みに)調節されてます。単に音を大きい音で聞きたい人にもよし、映画を別の方向から感じたい人にも良し。上映前の音楽も爆音なのでちょっとしたロック喫茶気分も味わえます。映画を観に行っているというよりはイベントに通ってる感覚だったな。
■私にとっては音楽と映画の架け橋的役割もしてくれます。この先、普通に名画座系でかかってもなかなか足を運べない出不精の自分に、ほらほら爆音だよとハッパかける役割もしてくれるでしょう。
■次回の爆音なんてT.REX映画「ボーン・トゥ・ブギー」ですよ。DVDが発売されたらしいけど、せっかくならでっかい画面で爆音で聴けばいいじゃん。ヘッドフォンで爆音鳴らすのもいいけど、空間に拡がる音の響きや空気の震えを体感すればいいじゃん。と、自分に言い聞かせてみる。フジ後遺症にやられていなければ観にいく。とりあえずフジでダイナソーみるよ。はい、ここおやじギャグ。

2005年06月15日

爆音の夜にもだえろ

■そんなわけで昨日、初めての「爆音レイト」に行ってきました。爆音でした。ハコは吉祥寺のバウスシアターなので、最新の音響システムなどを導入しているシネコンのように音に包まれるという感じは無いですが、それとはまた違う種類の音の出方、ライブの音の出方なのです。セリフ部分との兼ね合いがあるので、音圧がライブ並み、とはいかないけれど『デーモンラヴァー』のクラブシーンはかなりすごかった。限界、というところまで音上げてきてます。低音ボコスコ効いてます。そして、それは最新音響システムでも味わえない「音」なのです。やられたー、と観念してしまうよな感覚。だって映画館でこんな暴力的な轟音聞いたことないよ。

■4作連続上映の内の1本が『デーモンラヴァー』。続くがガス・ヴァン・サント『ジェリー』、ゴダール『右側に気をつけろ』、ベルトリッチ『ドリーマーズ』。どれも音として轟音で聴く価値のあるものという視点で選ばれている(はず)。
■実はこの中で観たことがあるのは『ジェリー』だけなのだけど(過去日記)、あれを、あの音を、このデカイスクリーンで、この爆音で、観られるのか!と思うと今からヨダレがあふれでて止まりません。ただひたすら歩く映画なのです、そして、その砂を踏みつける音、激しい息づかいに引きつけられずにはいられない映画なのです。そ、れ、を、あの爆音で!

■あー、勝手に興奮しておりますが、上のリンク先にある人々のコメントを見て気になった、吉祥寺に夜行ける環境の方はぜひ行ってみてもらいたいです。ちなみに次回、7月末からはリンゴ・スター監督のT.REX映画だそうです。これもまた楽しみ。

2005年03月06日

山中貞雄の雪

■2月24日、山中貞雄の雪が降る。
 ガラス戸越しに外の見えるタイ料理屋で夕食を取りながら、小降りの雨が本降りになり、やがて雪になる様を見ていたが、その雪がかなり降っているという以上のことは明るい店内からはよく分からず、平日の夜とはいえ駅にも近く比較的広い店内に他に客もいなくなってしまうので、料理は普通においしいけどこの店長くないのかもな、と不躾に思いながらも長居をしたあげく、グラスワインをサービスでいただいた後にやっと腰を上げて外に出ると、先日『河内山宗俊』の感想で、あきらかに紙を切ったとわかる雪、と書いた雪が、自分の周りにふわふわと浮き上がっていた。
 いわゆる粒が大きくて、和紙を手でちぎったようなふわふわとしたぼた雪というものは、ここ数年は見なかったにしても、たしかに数回は見たことがあるのだが、映画の中ではそのあまりの美しさに気を取られていたのか、自分の実体験としての記憶が薄れていたのか、本物のようだとは思わなかった長屋の通りに降りしきる雪が、自分の周囲の空間いっぱいに現れ、その見たままの美しさと、山中貞雄の描いた雪の美しさの記憶との2重映しとなって、(あと多少の酔いが手伝って、)ひどく興奮させられ、山中貞雄のあの雪だ、とはしゃいでしまう。
 夜とはいえ、街頭や看板の明かりなどに照らされる道は明るいのだが、その雪がそういった光を反射して空間に充満しているので、いつもより暗い夜のように思われ、けれど目の前にはそれそのものが光を発しているかのようなふわふわとした雪が大量にあるので、視界はいつもより明るい。雪は後から後から、まさしく舞い落ちるという表現のとおりに降ってくるので、それが上から落ちてきているということはもちろん分かるものの、何もない空中から不意に沸き上がり、自分の周囲を漂っているようにも思える。
 後日『河内山宗俊』を観直して、あの雪がとてもリアルであることを確認するのだが、セットの中に降らされ、フィルムに焼き付けられたあの雪がなぜ、実際にその空間で体験したもののように、あるいはそれ以上に美しく画面に現れてくるのか、それが撮影のすごさなのか、監督のすごさなのか、優れた映画というのがそういうものなのかは分からない。

■これを書いた後に、DVDのブックレットの中で青山真治氏があの雪について言及しているのを読んだ。あの「雪」の持つ意味を青山氏は書いているのだが、そういった分析よりもそれを観る瞬間の体験の語り口がとても素敵だった。なぜあの雪に私がこれほど惹かれるのか、その理由の一端はそれで分かるのだ。以下、青山氏の文章からの抜粋。

あのとつぜん戸口の向こうに降り出す雪を見た者は、何十本の傑作に相当する濃厚な映画体験をすることになる。一体誰が、あの瞬間雪を見ることになると予想できただろうか。何度見ても僕はその瞬間、あっ、と声を上げるほど驚く。誰にも予想できない、そんな雪を降らす奇蹟を起こすことができるのは神、と言って悪ければ、この世界と山中貞雄だけしかいない


こう書かれてしまえば、この世界の雪と山中貞雄の雪を近いスパンで2重映しのように見ることができて興奮してしまうことなど、当然のことだ。さらに、青山氏のグッと来たポイントに自分も反応していたことが嬉しいというミーハー的感想を持ちつつも、そうであればこそ、ほんの数週間で打ち切りになってしまった『レイクサイド・マーダーケース』を見逃している自分のふがいなさにがっくりもする。

■ちなみに今日の日記の文体は大好きな作家のまったく下手な真似っこなのだが、つい真似したくなるほど延々と続く描写が「官能的」ともいえる作家の文章と比べものにもならない、ただただ読みにくい文章になってしまうのは当然の結末だとしても、読んでくれてる人には、ごめんなさい、と言っておきます。

2004年11月27日

金井美恵子の作る映画

■いわゆるベストセラー的なものは出していないので知らない人も多いかもしれないが、私の友人は一度は「金井美恵子」という名前を私から聞かされたことがあるかもしれない。とにかく好きな作家なのです。小説もエッセイも、そして映画評論も、自分の感覚との差異以前に、その視点や物の捉え方、表現に圧倒されてしまう。
■そして、多少とも金井美恵子さんを知っている人ならば、彼女が一本の映画も作ったことなど無いことは承知のうえだろうし、金井さんの映画評論集である『愉しみはTVの彼方に??IMITATION OF CINEMA』を読んだことのある人ならば、そこに収められているキアロスタミ監督との対談を思いだし、ここでの「映画を作る」という意味が監督や製作をするという意味ではないことをすぐに理解するかもしれない。
■今は絶版となっている『愉しみはTVの彼方に』(1994)をようやく手に入れたのは数週間前だが、その中で私がまず読んだのは上記のインタビューである。そのあまりに美しい二人の会話に、涙がこぼれる。そのインタビューによって、大好きなキアロスタミ作品『そして人生はつづく』と『友だちのうちはどこ?』が、私の中で今までよりもさらに、ずっとずっとすばらしい作品として生まれ変わる。その幸福感。

■「映画監督は、映画の半分を作ればいいのです。後の半分は観客にゆだねるのです。観客がその半分を作ることで、作者は自分の映画が初めて完成したことを知るのです。」というキアロスタミ監督が、金井さんの語る作品の感想、そこには的確なシーンの描写があるのだけれど、を聞き「私の映画をとても美しく説明して下さっているのを聴いていると、あなたが作った映画を、私が観客になって見ているような気持ちになります。」と応える、そうしたやりとりが上っつらではなく、なぜこうも「美しい」と素直に言えてしまうかといえば、それはもちろん、映画もそれを描写する金井さんの言葉も、どちらもが素晴らしいからだ。

■キアロスタミ監督作が大好きだと書くことはできても、なぜそれを素晴らしいと思うのかを言葉にできないどころか、なぜそれを自分が素晴らしいと思ったのかわからず、もどかしい思いをする。無理にまとめようとすると、まるで別の陳腐な映画になってしまう。
■金井さんの描写によって、私が見て感じていながら知覚できなかったものが、ありありと目の前に浮かび上がる。金井さんの力を借りて、私はやっとキアロスタミ監督の作品を作り始めることができたように思う。
■金井さんのように映画を観ることが出来たら、描写することができたらと、とても無理な願望は強い。けれど、金井さんの映画感想を読むこと、つまり「金井美恵子が完成させた映画」を観ることができるだけでもとても嬉しい。かなわないものの後ろを喜びとともに追いかけていく。あまりに遙か彼方で追いかけることすらできるかどうか危ういけれど。

■淀川長治氏が、フィルムの失われてしまった(つまりもうだれも観ることが出来ない)映画を観たいと欲していた海外の監督(誰だか忘れてしまった)に、氏の記憶だけをもとに語って聴かせ、その監督はそのあまりに「美しい映画」に泣いてしまったという。そんな美しい話を思い出したりもする。

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