2008年11月22日

観た映画

シネマヴェーラにて『山河遙かなり』と『我が輩はカモである』。16mmゆえかやや観にくいのが残念。

『山河〜』。1947年という製作年度がもろに画面に現れまくる。本物の廃墟廃墟廃墟。冒頭の荒れ果てたドイツを駐留米軍が正常化していくとでも言いたげな説明にはふんっと鼻をならしつつ。ユダヤ人孤児達が笑顔を取り戻して希望を胸にじゃんじゃんパレスチナへ送られていくというシーンにもむにゃむにゃむにゃ。しかし、子どもはかわいいし母子ものを逸脱はしていない。

『我が輩はカモである』。怒濤のごとく繰り出されるナンセンスに顔が引きつる引きつる。すごすぎておもしろすぎて。ハサミの正しい使い方ってこうだったのかー。ギャグシーンにBGMも入っていないのは、当時の場内大爆笑こそがBGMだったということか。客もすげえな。

2008年09月27日

映画の記憶

もう既に3週間も前の話になってしまうけど、
「フランス映画の秘宝」のトークショーで、シネマテークの館長氏が「DVDやインターネット、テレビなど、映画へのアクセスの方法が増えるほどに、映画の記憶から遠ざかってしまうのはなぜなんでしょうか」というようなことを話していた。

「映画の記憶」
その記憶をなくさないために私達は「スクリーン」で映画を観、そして友人達を「スクリーン」に誘う、というのがその言葉の応えとして当然語られるのだけれど、どうにもこうにも私達は映画は「スクリーン」でなければ観ることが出来ないものだということ自体を忘れがちだ。まあ、だからこそ「映画の記憶」は危機的な状況にさらされているわけなのだけれど。

それが絵画ならば、どれほど高密度の印刷で再現されていようと、画集を見て「その絵を見た」と思う人はいないだろうけど、そもそもが複製され「映されるもの」である映画を、「スクリーン」だけが再現可能だということを常に忘れずにいるのはとても難しい。

それに、テレビで見ることを前提に(DVD化を前提に)作られている、映画であることの特権を持たない映画もあるのだろうし。

まずは大きさ
そしてその大きさに耐えうる画質
そしてフィルム独特のぬめり
映画館という社会

どうなんだろう、「スクリーン」に映し出される「映画の記憶」を私はうまく言葉にできないけれど、まったく違うものではあるはずだ。
映画と映画の複製品。

ちょっと違うかもしれないけど、写真だって、印画紙と印刷ではまるで違う。独特のぬめりと光を持ってる。それはまったく別のものであるはずだ。

2008年08月01日

サーク仮まとめ

意味もなく実況してみたサーク4本ノックを終えて家に帰ってきた。

4本ともメロドラマとしか言いようがない内容、が、世の中のメロドラマと呼ばれているものがみんなこんなだったら、私はメロドラマが大好きでしょうがないはずなのに。泣ける映画が観たい人なんて、みんなサークを観ればいいんだ。たぶんもう当分観れないけど。

やっとサークの作品をきちんと観たので、「サーク・オン・サーク」を読み、『人生の幻影』を観ると決める。なんとなく、サークを1本でもスクリーンで観るまでは手を出したくなかったので。まあ、どっちも手元にないけど。
サークのことを知りたくてしょうがなくない衝動がむくむく。しょうがない、ぐはあああああっと感嘆するしかないほどに、なんの引っかかりもなく、面白く、分かりやすく、しかしなんでそんなにおもしろいのか訳分かんないんだもん。

ちなみに今日の4本のうち、一番好きなのは『天が許し給うすべて』のラストシーン。ぴょこっと鹿が現れて、窓越しにぼけーっとしているのが、まぁぁぁぁいいかんじ。というか、動物が自主的に(というわけではないが…)ひょこっとフレームインしてくるのって、どうしてこう素敵なんだろう。

『悲しみは空の彼方に』のオープニング、宝石が落下していくあの映像をスクリーンで観られたのも嬉しかった。

4本を通して場内に幾度か笑いが起きたのは、本人たちにとって深刻な人生の一瞬が端から観ると漫才に見えることもあるよね、の瞬間を、故意の演出としか思えない絶妙の間の取り方で展開するので、笑いが起きるも納得だったにもかかわらず、私自身は一度も笑えなかった。なんというか、そうした間までも含めて圧倒されていて、笑うだけの余裕を持てなかっただけなんだけど。みんなすごいな。

ああ、もっと観たかったな。

サーク4

『悲しみは空の彼方に』 終了
あぁサークさんあなたって人は…

サーク祭り終了
名残おしい。ていうか全部観ておくべきだったよ!あぁ…

サーク3

『いつも明日がある』終了
男は隙あらば子どもで困るぜー

サーク実況2

『風と共に散る』終了

ほぅ…

サーク実況

PFFのダグラス・サーク特集。
最終日に会社さぼって参戦。これ逃したら次いつ見られるか分かんないって言うから。
という実況。

まずは『天が許し給うすべて』
どこからどう見てもメロドラマなのにメロドラマじゃない。嫌悪と半笑いを引き起こすのが常のあのジャンルの名称を使っていいのか、これに。
泣く。堪能。

2008年03月23日

カツゲキ補

ダジ急感想からひろがる話。

少し時間が経ってしまったけど、前回の日記を書いた後に青山氏のブログを読んだら、自分が書いたことのレスポンスの様に読めて面白かった(3月18日付)。

「私は意図的に私の言うカツゲキの定義を避けているがそれは定義した瞬間に例外がいくらでも現れるからであり、またこの例外こそが待ち望んでいるカツゲキそのものだからだ。」から始まる文は、もしもそれが私の日記へのレスポンスだと曲解するなら(あくまでも勝手に、ですよ)、確かに『ダージリン急行』のスローモーションをカツゲキだとは思ったけれど、「それがカツゲキ」なのではないし、それだけが「映画」なのではないよというメッセージなのではないだろうか。まあ、私にはそう読めたということなんだけど。

それで少し反省していたのでした。『ダジ急』から受けた感動をどうにか捉えたい、言葉にしたいという欲求が、人の言葉を使って勝手に定義付けするという方向になってしまっていたのかも、ということ。安易な方法にいそいそと進んでいやしませんでしたか、と。そうだとしたらダメだ。ましてやそれは、その言葉を使う本人があえて定義せず、あえてカタカナ表記にして、本来の意味(というかその言葉から出てくる一般的な意味)とは離れようとしている、ごく個人的な言葉なのだし。

そもそも私のように何かを研究しているわけでもないし、映画遍歴も少ない人間の「定義付け」は単なる決めつけだ。そこに当てはまらないものを認められなくなる罠だと自戒。自戒してばっかりだな、私。ともあれ青山氏の日記はそういう頭の固い人間に警鐘を鳴らしてくれるものだった。

でも改めて思うのは、もっと映画評論や映画論を読まなくちゃ、だ。安易に定義づけしないために、いろんな言葉が私には必要なんだと思う。数多くの映画を観ることでそうした言葉を得られる人もいるんだろうけど、私はダメだな。自分の中から何かが生まれるほどモノは詰まってないや。むしろ一度言葉と映画の両方に漬けられてみなくちゃだめだ。

宮沢章夫さんの日記(3月13日)に書かれていたことは、たぶんそこを通過した人たちのことだ。今は哲学書ではなく小説を読む青山さん、一度は評論から離れ、再び読むようになった宮沢さん。まず読まなければその段階を経ることはできないわけだし。いや、何か違うのかもしれないけど、そういう段階を経てみたい。なによりも安易さに逃げないためにそれが必要なような気がする。


MINERLEAGUE
http://diary.jp.aol.com/wkvgm6xuzxev/
富士日記2.1
http://www.u-ench.com/fuji21/

2008年02月09日

春男

フィルムセンターのマキノ特集には、あまり芳しくない回数ではあるが通っている。んで、やっぱり何本かに1本の割合で春男ちゃんは出演している。
私が知っているのは溝口の春男ちゃんとマキノの春男ちゃん。それぞれの作品でいいかげんさとダメさを体の周辺にまとわせつつも、絶妙にそのいい加減さの質が違う。いい加減とダメさのバリエーションがすごく豊富だ。ますます春男ちゃんを好きになる。となれば、まだ観ぬ作品の中で、春男ちゃんはどんなダメを見せていたんだろうと気になる気になる。
調べてみれば、『風流活人剣』という山中貞雄監督作にもでていたらしい。山中作品の中の春男ちゃん!観たい、観た過ぎる。山中作品が3本しか残っていないとされる現状で充分にくやしいのに、さらにその中の春男ちゃんを観たかったという欲望まで添加されてしまった。
とりあえず、今観られる春男ちゃん出演作がスクリーンにかかったらなるべく観に行くように頑張ろう。ビー・バップ・ハイスクールでさえも、だ。

2008年01月05日

2007シネマピクニック

あけましておめでとうございます。

2007年も例年通りあまりにも観た新作の数が少なくて、というよりは観逃した新作の多さに、へこんでおります。そんな少ない中でも、特に映画を観ることの喜びを感じたのはこれら10本でありました。

サッド・ヴァケイション
デス・プルーフ
長江哀歌
街のあかり
石の微笑
ブラック・スネーク・モーン

BRICK
無用
世界最速のインディアン

その他の鑑賞作品はこちら(なんとなく好きな順)。

明日、君がいない/ミリキタニの猫/恋愛睡眠のすすめ/ボンボン/GLASTONBURY/グラインドハウス/デジャヴ/今宵、フィッツジェラルド劇場で/東/スパイダーマン3/300/プレステージ/リンガー!替え玉選手権/ゾンビーノ/マリー・アントワネット/グアンタナモ僕達の見た真実/BLOCKPARTY/クロッシング・ザ・ブリッジ/PIXIES LOUDQUIETLOUD/プラネットテラー/ショートバス/フランキー・ワイルドの素晴らしき世界

存在を認めたくない、いやむしろ本人たちのためにも消滅すればいいのに、の1本はこちらです。

ダフト・パンク エレクトロマ


その他、劇場観賞旧作は以下の作品でした。
チェリー、ハリー&ラクウェル/ゾンビ/スーパー・ヴィクセン/エスケープ・フロムL.A./ユリイカ/helpless/一本刀土俵入/はみだしスクール水着/情婦/キッスで殺せ!/天国の門/アニー・ホール/暗黒街の女/雪夫人絵図/お熱いのがお好き/裸足の伯爵夫人/突然炎のごとく/逃げ去る恋/ピアニストを撃て/日曜日が待ち遠しい!/隣の女/浮き雲(カウリスマキ)/二十歳の恋/あこがれ/夜霧の恋人たち/柔らかい肌/家庭/私のように美しい娘/コントラクト・キラー/大人は判ってくれない/終電車/浮雲/流れる/血を吸う宇宙/麦の穂を揺らす風/明日へのチケット/JUNE 12 1998 カオスの縁(爆音)/エリ、エリ、レマサバクタニ(爆音)/悪魔のいけにえ/紳士は金髪がお好き/恋をしましょう/周遊する蒸気船/唇からナイフ/待って居た男/次郎長遊侠伝 天城鴉/次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り/デ・ジャ・ヴュ/昨日消えた男/阿片戦争/続清水港/阿波の踊子/弥次喜多道中記/やくざ囃子/次郎長三国志 全9部/世界

こう並べると「周遊する蒸気船」と「世界」に特別心が浮き立つ。
マキノ特集とトリュフォー特集が幸せだった。

そして2008年もマキノ特集(@フィルムセンター)で年明けか。

2007年12月15日

モツとボイン

というわけで、そういえば先週はヴェーラに『ゾンビ』を観に行ったんだった。カップリングがラス・メイヤーの『チェリー、ハリー&ラクウェル』。

『チェリー〜』は『スーパー・ヴィクセン』のあまりにも見事な乾いた突き抜けぶりに比べると、いろんな意味に絡め取られて幾分しっとりとしていて物足りない。
「ネタ」として扱っていると思われる過剰な説教臭さのオープニングとエンディングは、ネタとして1回転しきることができなくて、逆に足かせになってしまっているような。ストーリー展開の適当さや、物語を分断させたいかのようにインサートされるイメージショットの数は今作の方が勝っているのに、「分かりやすい」『スーパー・ヴィクセン』の方が狂っている感じ。そしてその狂気を乾ききった大地の中で高らかに笑い飛ばす魅力にやられた私にとって、今作が物足りないのは仕方ないことだな。
しかし、改めてラス・メイヤーとモンティ・パイソンの関係性が気になる。

『ゾンビ』はまあ今さら言うことでもないけど、面白いっす。改めて、中心人物の4人だけでこれだけの心理劇が繰り広げられていることに感心してしまった。極限の状態に置かれた人間の心理を地道に描こうとするきまじめなこの映画が面白いのは当然、そういった地道な部分とスタッフたちによるゾンビと肉塊への異常な愛情とのバランスがばっちりだからでしょ。
作成時のスタッフたちの生き生きとした活躍が見えてきそうな、ゾンビ一人ひとりの個性ある動きや、内臓の見せ方へのこだわりなど、如何に異形の世界を作り上げるかの情熱なしに『ゾンビ』が名作になりえなかったかを、スクリーンで堪能できて満足。
ところで、「ヘリ坊や」がタイプライターで打った短い一文は、何て書かれていたんだろう。意味ありげに一瞬その一文の上でカメラが止まるのだけど、何て書かれているのか読めなかった。ご存知の方教えて下さい。

2007年12月02日

ひげとぼいん

ジョン・カーペンター御大の『エスケープ・フロムL.A.』をスクリーンで観るためヴェーラへ。で、カップリングがラス・メイヤーの『スーパー・ヴィクセン』。

んんー、ラス・メイヤー、観たことない。あれでしょ、タラが大好きな。キング・オブ・カルト。なるほどね、とにかく巨乳がでてくると。今回の特集で上映される5本の説明どれを読んでもひたすら巨乳祭りだと。むー。前回(はみだしスクール水着)の悪夢が…。ただのようわからんエロだときついなあ…。でも『L.A.』をどうしてもスクリーンで観たいんだよー。どうせなら金曜日の『修羅雪姫』とのカップリングで観たいけど、時間的に無理だし…。

という大変複雑な思いで行きました。

…とりあえずラス・メイヤー好きな人達に謝る気持ちになっておけばいいのか?もうまず、埃を舞い上げながら砂漠道を駆け抜けるトラクターにマーチが高らかに鳴り響いくオープニングで、わくわくし始めた。
そう、『スーパー・ヴィクセン』面白かった!
ばか。
あほ。
ひたすらに。
純度100%で。
乾いた大地を地平線まで突き抜けるあっけらかんとした闇の無さ。
お色気もののはずなのに、セックスまでもが異常にあっけらかんとしてる。
タランティーノが憧れて辿り着きたくて恋い焦がれた「グラインドハウス」はまさにこういうことなのね。『デス・プルーフ』のルーツに激しく納得。

ああ、偏見ってダメですね。とにかく「カルト」が好き!っていう人たちは置いておいて、ラス・メイヤーにぞっこんになってしまう人たちの気持ちは分かる。だってカルトだ何だの以前に、その突き抜けバカっぷりがきっちり面白いもん。

カーチェイスあり、巨乳たちの口から発せられる罵詈雑言あり、異常犯罪者あり、そしてマーチが高らかに鳴り響く最後の「決戦」!乾いた大地に炸裂しまくる爆薬。
たまらん。

牧場でおっさんと嫁がいたるところでセックスしまくってる描写は何すかね、モンティ・パイソン(また出た…)のサム・ペキンパーパロディを思い出してしまいましたが。やりすぎにしてやりっぱなし。確実にコントだし、きっちり面白いし。

その後に『L.A.』。
『デス・プルーフ』で異常者を快演したカート・ラッセルを、ルーツ(の1つ)である『スーパー・ヴィクセン』を観た後に拝めるなんて何とも感慨深いっす。何だ、ナイス2本立てじゃないか。
ちなみに、これが私にとってカーペンター初スクリーン。

知ってたけどおもしれーよー。
たまんねーよー。
ラス・メイヤーとはまた味の違う、その突っ走り加減、最高。かっこよさを追求しすぎてバカ、いや、ハードボイルドが間抜けに見えることなんて百も承知で突き進んで1周回ってかっこよくなっちゃう、その体力に瞠目。
DVDでは暗くて良く見えなかったシーン(何しろ全編ほとんど夜)もきちんと見えたし、逆にDVDでは画面を明るくしすぎているせいなのか妙に安っぽさが目立ったCGが、やはりスクリーンではそれほど浮かないことも確認できた。CGものはスクリーンで観ないとだめだね。
そして何よりあの個性溢れるL.A.の群衆をスクリーンでつぶさに堪能。
このこだわりの容赦無さ、権力や偶像をコケにしきる一貫性、ハードロックに捧げる愛、カーペンター御大、一生付いていきたくなるわ。

それにしても、一番愛すべきシーンはやっぱり「ツナミ来るぞ〜♪」とはしゃぐピーター・フォンダと、何やら状況を把握しないままにサーフボードを握っているスネークのシーンだな。かわいいし、素敵。

2007年12月01日

宣言系への懸念

「ディス、イズ、スパールタ!!!」
というのは『300』を観た人々の間に大変きっちりと刻み込まれたに違いない名ゼリフではあるが、好きであれ嫌いであれ、ともかくあのやりっぱなし宣言口調が、まだ人々の記憶の表層付近に漂っているはずの今繰り出された新作の予告編には、多くの人が突っ込みを入れずにはおけなかったはずだな。
「アイ、アム、ベオウルフ!!!」

て、『ベオウルフ』。まるっきり口調が同じ。
すげえよ。
どうやって呆れずにいろというのかね。

その言葉の簡潔さから伺い知れる「強い精神力」「迷いのないリーダーシップ」「自らのアイデンティティへの信頼感」といったものへの憧れや希求といった病的なものとアメリカの現状との関係とか、適当なことも書こうと思えば書けてしまえる宣言系、はパクリの枠を超えてこれからの流行りになったりするんですかね。いやですね。

当面の懸念としては、いつ予告の中でウィル・スミスが
「アイ、アム、レジェンド!!!」
と声高らかに宣言し出すのではないかということだけれど、その不安を抱えている人は結構多いはずだ。

そういやドラゴンボールをハリウッドで実写化するそうだけど、エフェクト担当が『300』の人だとかなんだとか。
「おら悟空!」という大変元気な御挨拶が、
「アイ、アム、ゴクー!!!」
とかになっちゃったらこれまたイヤですね。て、これはどうでもいいや。

まあ、『ベオウルフ』も『I AM LEGEND』も観てないし観る予定もないので、基本的にたんなるたわごとですよ、念のため。

2007年11月15日

マキノ土手

マキノの『一本刀土俵入り』の中で「とって」と言われている土地が「取手」であることは利根川の渡しが出てきてやっと分かったのだけど、そこに出てくる「利根川の土手」が気になった。

もちろん草に被われた土でできた小段のある、ということは結構急な、とても緩傾斜とは言えない勾配の堤防で、傾斜の先には直に川面が広がっている。
昭和5年には廃止になっていた「取手の渡し」のロケを、57年の撮影時にどこでしたのかは知らないので、その土手がどこの川のものなのかは分からないけれど、実際の利根川と近い形だったんじゃないだろうか。

その土手のてっぺんから川上の舟を見やり、ヤクザたちが一気に駆け下りるというリズムと、茂兵衛が上から降りてきて子守に事情を聞き、小段にみやげの団子を置き、小段から下へ歩いていくというリズムの対比がその後の掛け合いの間抜けな面白さをすでに予告しているし、茂兵衛が小段に置いた団子を拾おうとした拍子にぶつかったヤクザは一気に斜面を転がって川へ落ちるといった一連の騒ぎから、土手のてっぺんまで逃げたやくざが上からバーカバーカと連呼して逃げ帰る騒動の終結ののち、小段に座って子守りの娘から歌を教えてもらうところまで、小段のある土手の形状がこれでもかと生かされまくっていることにため息がでてしまう。

実際にはごく狭い部分しか映されないその土手が、彼らがそこを動くことによってとても広く、とても魅力的に感じられる。自分の知っているところで言えば、荒川や江戸川などの広い川を前にしたあの開放感と何やら自由な空気がこちらがわにまで溢れてくる。

マキノのロケは、もしかしたらそういった既にある空間の魅力をさらに倍増させてスクリーンに写し撮って見せてくれるのかもしれない。『次郎長遊侠伝 天城鴉』での、天城峠を越えるシーンは遠くまで見渡せる緩やかな山塊と広々とした空がとてつもない開放感を感じさせたけれど、そこにノビをして寝転がり、座って物思いに耽り、といった石松たちの動きがあったからこそ、空気までを感じるような感覚になって、ぎゅっと胸を締めつけられるような気持ちにさせられたんだな。

何をどうするとそうなるのか分からないけど、その場所の中で人がどう動くか、それをどう撮るか、どう見せるか。それをマキノはとにかく旨いことやってるってことか。
あの土手のシーンは土手自身が喜びそうなほど魅力的だ。

2007年11月12日

はみだしマキノ

土曜日にシネマヴェーラにマキノの『一本刀土俵入』を観に行く。春男ちゃんのいつにない堅いというかやたらに神妙なキャラクターに、どうしたんだ春男ちゃん!と心で叫ぶも、三国志メンツの顔ぶれにうきうきし、越路吹雪姐さんの悩殺的な色気にうっとりし、加東大介の粋変身にため息をつき、なんといってもやっぱりマキノの殺陣はかっこいいなあと、満足した。
ただカップリングが『はみ出しスクール水着』という珍妙で80年代臭が気恥ずかしい、しかしまあ、どこを切ってもピンクな映画だったので、満員の熱気むんむんじゃなくてよかったわ。

2007年09月05日

佐藤真監督

『阿賀に生きる』のあんぱんを傍らに置いて寝ているおばあちゃんの図が大好きだ。その手前で囲炉裏を囲んで四方山話のおじいやおばあと映画スタッフ。
田舎の小さな共同体の中に入り込んで、そういった自然なシーンを撮ることが出来るようになるまでに多くの苦難があったことは既に監督自身の口からも語られているし、閉ざされた共同体の内側に入っていくことのうんざり感など、容易に想像もできるのだけれど、それでも監督たちが、そこに生きる人たちに魅せられているからこそ映されたと思える、同一化していないが外側でもない、かといってすり寄るわけでもない、尊重と愛情の混ざり合った距離感を持つあのシーンがとても好きだ。

作品を追っていたわけではないけれど、たまらなく好きな何かを与えてくれた人に親しみを覚えてしまうのはごく自然なことのはず。
その佐藤真監督が死んでしまった。
とても残念な悲しい死。
若すぎるよ。

http://diary.jp.aol.com/wkvgm6xuzxev/114.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070905i414.htm?from=navr

2007年09月04日

自戒で自省

ここ最近、鷲谷花さんのハナログを愛読しているのですが、鷲谷さんの視点のするどさや映画を観る能力に加え、そうして得たものを的確な文章に起こす能力といったものに感嘆するたびに(特に『石の微笑』その1の海獣,その2の色の考察にやられた)、まったくもって自分の書くブログにうんざりしてしまうのです。
最近、映画の感想がさらに滞りがちなのもうんざりが原因。
いや、ブログとはいえ研究者の書くものを引き合いに出して何をずうずうしく落ち込んでいるんだか、という突っ込みくらいは自分でもしていますが。

いくらこっちは「感想文」だしと言い張って防御策を講じても、文章になる以前の、映画を観る能力の徹底的な不足はごまかしようがないですね。
それに加えて最新の日記の「五、六戒」についてはぐうの音も出ませんわ。そうかそうか、こういった自戒をきちんと踏まえての文章なのだな。
その内容に激しくうなずきながらも、ふと振り返ればそれらを抜いたら私の「感想文」に何が残るんだろうと、しょんぼりしぼみきってしまった。とくに1〜3。ああ耳が痛い。全部無かったことにしてしまおうか。

どうにもこうにも、能力のなさを楯にして自分を甘やかしすぎたな。反省。
少しは鷲谷さんの自戒を心に刻んで、ネット上に充満する自己満足の駄文の一端を担うという開き直りと反省を共存させるしかないな。

2007年09月03日

ジャ

ジャ・ジャンクーが大好きだ。
『長江哀歌』の感想なんて書けないから、この一言でごまかそう。
あの映画は豊かすぎる。
もっとひりひりしている『青の稲妻』や、もっと鮮やかな『世界』の方が好きかも知れない。でもそれは、この映画のあまりの豊潤さを受け止めきれていないだけなんだろう。まだまだ、とまどっている。
ウェス・アンダーソンの『天才マックス』と『ライフ・アクアティック』のどっちが好きかなんて答えられない。たぶんそれと同じ事になる。

そこにいる人たちを、絶望も希望もまじえずに描き出す。彼らはただそこに生きている。それだけ。がれきの町をさまよう主人公に『そして人生はつづく』を思い出す。
織り込まれる、飛んでいくモノやら出現するモノやらがもたらす絶妙な空気がたまらない。

繰り返された「うさぎ印か」の一言。
そうして遂に、生活の中のささやかな喜びは大切な人から手渡される。

ジョ

ジョン・カーペンターは最高だ。
『ニューヨーク1997』をDVDで観て改めてそう思う。
15年後の続編、というかほぼセルフリメイクと言える『エスケープ・フロム・L.A』の記憶の二重写しで、如何に一貫しているか、如何に変わらないか、如何に進化しているか、を観ることが出来るせいだろう。
スタイルは見かけじゃねえ、生き方だ!と、この人なら断言することが許されているな。ロックだ。

2007年09月01日

観た映画

【スクリーンにて】
感想を書きたいものも書く気のしないものも、どちらにせよ滞ってるなー

ショートバス
ブラック・スネーク・モーン
デスプルーフ
サッドヴァケイション(感想
長江哀歌
情婦
キッスで殺せ
天国の門(感想
暗黒街の女
アニー・ホール
雪夫人絵図(感想
お熱いのがお好き
裸足の伯爵夫人
リトルチルドレン
GLASTONBURY(感想
街のあかり
突然炎のごとく
逃げ去る恋
ピアニストを撃て
日曜日が待ち遠しい!
隣の女
石の微笑(感想)
浮き雲
二十歳の恋
あこがれ
夜霧の恋人たち
柔らかい肌
恋愛睡眠のすすめ
プレステージ(感想)
家庭
私のように美しい娘
コントラクト・キラー
大人は判ってくれない
終電車
300(感想)
浮雲
流れる
明日、君がいない(感想)
血を吸う宇宙(感想)
スパイダーマン3(感想)
ボンボン(感想)
クロッシング・ザ・ブリッジ(感想)
ダフト・パンク エレクトロマ(感想)
BRICK(感想)
リンガー!替え玉選手権(感想)
麦の穂を揺らす風(感想)
明日へのチケット(感想)
JUNE 12 1998 カオスの縁(爆音)(感想)
エリ、エリ、レマサバクタニ(爆音)(感想)
今宵、フィッツジェラルド劇場で(感想)
悪魔のいけにえ(感想)
デジャヴ(感想)
紳士は金髪がお好き(感想)
恋をしましょう(感想)
マリー・アントワネット(感想)
叫(感想)
周遊する蒸気船(感想)
唇からナイフ(感想)
世界最速のインディアン(感想)
グアンタナモ僕達の見た真実(感想)
PIXIES LOUDQUIETLOUD(感想)
待って居た男 1942(感想)
次郎長遊侠伝 天城鴉 1955(感想)
次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り 1955(感想)
デ・ジャ・ヴュ 1987(感想)
昨日消えた男 1941(感想)
阿片戦争 1942(感想)
続清水港 1940(感想)
阿波の踊子 1941(感想)
弥次喜多道中記 1938(感想)
やくざ囃子 1954(感想)
次郎長三国志第1~9部 1952~54(感想)
世界(感想)
フランキー・ワイルドの素晴らしき世界(感想)
BLOCKPARTY(感想)





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