2006年06月30日

『ジャンヌダルク裁判』1962

裁判のやりとり、
牢屋、
牢屋を覗く目、
屈服、
火刑。
激昂するシーンもなく、
感情を吐露するわけでもなく、
淡々と進む裁判の過程。
固定されたカメラがジャンヌと裁判官を映し出す。
だけの映画。

なにがどうして、これほどに興奮するのか、
繰り返しの中の差異、続いていくことの不安、続いていかないことの不安、
足、背中、手、足かせ、ベッド、扉、物の1つ1つすべてが単独で存在しえるかのような。

ブレッソン節?
引き込まれ、夢中になり。

犬と鳩。

この映画を、やっべえよ!すっげえよ!という以上に表す言葉を私は持てないな。この映画、話の筋ではなく、そこに映されている画面の強度に完全に服従する「映画」、に何かを申し述べられるほどの強度も、強度を装う技も、私には無い。

私は「映画」を観ました。それは紛れもなく、「映画」であること以外にはあり得ないものでした。

興奮する。圧倒的なものに対し。
静けさの中の興奮。

映画の詳細↓

2006年01月10日

『世界の(中略)叫ぶ』2004

■森山未來好きだが、1人では絶対見ないので同志を呼んで年末に苦行を行いました。さて、それでは毒を吐きます。

■前提として、そもそも最近の流行らしい泣かせてやろう、泣いて気持ちよくなりたいんだ??ろう?といった映画には一切興味がない。ましてや、こんな恥ずかしい題名を何のてらいもなく付けてしまうような小説にも映画にも興味はない。未來を観たかっただけ。

■結果として、
■ひどい。
■くどい。
■はずかしい。
■冗長。
■柴崎コウがひどくブサイク。
■森山未來もひどくブサイク。

■観る前の、もしかして泣いちゃったらどうしようという心配をどうしてくれるのかというくらい泣きどころがありません。ちっともどきどきしないし悲しくならないし切なくならない。かといって笑いもできない。えー、古くて申し訳ないが「boys be…」の薄っぺらな恋愛妄想の実写化かと思いました。
■原作がひどいんですか?それとも脚本?監督?とにかくひどい。どうやら柴崎コウは原作に無い役柄らしく、この役があるせいでずいぶんとぼやけた、3倍増くらいにチープな出来になっている様に思えるのでこれは映画の失敗なんですね、きっと。原作読むこともないけど。
■監督はずいぶん売れっ子のようだが他作品観たことなし。1つ1つの演出や女優の顔の撮り方を観ても、編集の仕方を観ても、監督がひどくヘタクソなのではという疑念は拭えない。『GO』あたりがテレビでやったら観てみてやろう。

■とにかく、この手の邦画に興味が湧かないという私の姿勢は正しかったということを再確認できたということだけがこの映画から得たことだ。
■しかし、一体誰がコレを喜んでみているのだろう?とりあえず私の周囲には見あたらないぞ。

■これを観る前にテレビでやっていた「夜回り先生」の講演から100万分の1程でいいから心に響くということを勉強していただきたい。

2005年12月03日

『SAW』2004

■『SAW2』を観るためにまずは『SAW』を遅ればせながら観た。当時のCMを見て、心臓がきりきりと痛くなるような心理戦が展開される2人の密室劇かと思っていたので怖くてなかなか見られなかったのだけど、実際観てみたら思ったよりも普通の話で安心して観れた。というのは、何も分からないまま翻弄されていく出口の見えないはなしではなく、いろいろな情報が与えられて、観ている側も謎解きを楽しめる話だった、ということなんですけどね。幽霊でも、何も分からずそこにいるかいないかわからないような日本的幽霊の方が、姿を見せて襲ってくるアメリカ型幽霊より怖いもん。観ていてだけど。
■面白かったけど、当時の評価がちょと過大なのではないかという気も。
■足を切るシーンは痛かった。あと切った後の真っ白い顔も怖いわ。
■ジグソーパズル型の傷は犯人に「ジグソウ」という名前を与えるためだけのエピソードなの?そこでしか出てきてないよね?
■カメラマンのアパート、汚すぎるだろう。



■PVで使われるようなコマ送り早回し(て言うの?)が多用され過ぎているのはちょと興ざめ。監督若いんだねー、なんか納得な映像展開。



■別にいまさらネタばらししても怒られないと思うけど、一応ここから下はネタばらしの範疇。



最後のどんでん返しは、途中からヒントが出されているから分かる人は分かるんだろうな。私は何かおかしいなと思っても分からないわけですが。電流とか。6時間身動きとらない問題については、私は「最前列で観るのが好き」とわざわざ強調していながら仮死状態にしているとは思えないので、本当は途中で「ぶえっくしょい」とか「ぷう??」とか音を出していたにも関わらず、パニックの2人は気がつかなかった説を取りますが、その辺は2で言及されてるんでしょうか?

2005年12月01日

『ザ・デッド』1987

■ジョン・ヒューストン監督の遺作。題名からは想像もつかないが、クリスマスパーティーの映画。
■日本で言えば正月に本家に親戚一同が集まるようなものか?ホストと親戚や友人達といったゲストはそこそこのお金も教養もある人々。人々がちょっとした芸(詩の朗読や歌やピアノ)を披露しダンスを楽しみ、食事をし、帰っていく。その様子をただ映し出すような、何だか人の家のパーティをひたすら見ているだけのような映画。それがなんだか楽しいのは何なんだろう?とても出演者達が演技をしているとは思えず、ただパーティを楽しんでいるように見えるから。群衆劇というほどの個別の描写も無いのに、一人ひとりのふとした表情に惹きつけられる。ただ、その場その場に現れる魅力的な何かに目を奪われていれば終わってしまう映画だ。
■うーん、結局は「楽しくやろうぜの一声(中略)にふさわしく音を響かせている」(蓮実重彦)という言葉に尽きるのか。そうして響いてきたものは、それを聞くことができてよかったと思わされるものなのだ。

■アンジェリカ・ヒューストンが肩を震わせて泣く様が、あんなにガタイのでかい人なのに、とても可憐でかわいらしくてショック。すごみのあるアンジェリカしか観たことなかったんだもん。

2005年06月27日

『ジェリー』(爆音)

■「爆音によってこの映画が作り替えられると言っても過言ではない」という某監督の言葉の通り。
■フィルムだ、ちゃんとした大きさのスクリーンだと喜ぶ以上に、爆音によってこの映画から受ける印象がまるで違ってしまったことに驚く。2度目だからそりゃ、最初に観たときの感覚のままで観るわけではないものの、しかしこれはやはり、爆音によってもたらされたものだ。
■初めて観たとき(の感想はこちら)、これは「足音」の映画だった。他の何より大きな音で奏でられる足音のシーンがその映画の中核をなしており、それ以外の音は「足音以外の音」として私の耳に残った。足音は生命であり、無音は死の入口、風音は絶望、ピアノ音は彼岸。生とそれ以外の音。
■それが爆音で掛けられると、あらゆる音が否応なしに暴力的に自分の耳に入ってくるだけでなく、自分の耳の中で鳴っているように感じられる。そしてそのために、『ジェリー』の音はあくまでも「生」の音、死に向かう(生きている)人間の耳に鳴り響くあらゆる「段階」の音となった。限界まで疲弊した人間の耳に音はどうやって響くのかを追う、爆音の『ジェリー』はそういう映画だった。
■初めは周囲のあらゆる音が聞こえてくる、やがて自分の足音だけが耳の中に響く、次第に幻覚のようなピアノと無音が頭の中に交互に繰り返し響くようになり、最後には強い風音のような耳鳴りのような音が周囲の空間全体に膨れ上がる。そして、死ぬ者には無音を、生きる者にはかすかなエンジン音を。

■最初に観たときの印象はとにかく足音だったけど、爆音では最後の風音がとにかくすごかった。風が鳴るたびにスピーカーがみーみー啼いてたし。割れるほどの音、だからこそ、耳鳴りとして成立してしまったのだけど。
■そしてやはり、ちゃんとした大きさで観る『ジェリー』のあの空、雲の動き、絶望的なまでに拡がる荒野はすごかった。あと、最後に倒れ込んだアフレックのシャツの脇の下に穴が開いているのも小さいスクリーンじゃ気がつきませんでした。

■他の映画も、爆音じゃないバージョンも観てたらもっと楽しめたかもしれない、と思いつつも初体験を爆音でしてしまう贅沢感を楽しむのも捨てがたいのでビデオで予習はしない。

2005年02月12日

『ソドムの市』1975

■変態監督パゾリーニが好きっていうのはどうかと思うが、実は結構好きだ。独特の変な間と静寂感が。でも今作はさすがにエログロ道が突き抜けすぎているという印象により避けていたのですが、とうとう観てみました。
■上品。全体のトーンがね。権力者たちが「高級な趣味」と言い張る通り、全体のトーンがやっぱりパゾリーニの変な間で構成されいて、それがなんだか上品な雰囲気になってしまうのだ。しかし、その中身についてはもはや説明不要でしょう。うんち晩餐会と、それに続くうんちまみれの口でキッス、はさすがにノド奥からこみ上げてくるものとの闘いになった。
■あと、床のうんち食え、と言いながら銀のスプーンを差し出すというギャップが余計に怖いです。そのモノへの価値基準をどこにおくのか、権力者の権力によるやりたい放題の価値基準設定。怖い。

■一番怖いのは、奴隷でも権力者でもなく、権力者たちに仕えている兵士たちかもしれない。強制されるわけでもなく、「高級な趣味」に溺れることもなく、淡々と自分の役割をこなし欲求を満たしていく彼ら。権力者たちに心酔しているわけでも無いのはラストの兵士2人のやりとりで明らかだ。つまり、彼らはそれがどんなことであろうと、仕事をこなしていただけというわけだろうか。まあ、最近『コージ苑』を久しぶりに読んだ身としては、「ズリネタも極限まで行くと初心に帰る」というネタを思い出しもしたのだけど。そういうことじゃなくって兵士たちの非情さが怖いってことだろう。

■全裸だらけなのでぼかし入りまくりなのだが、奴隷全員が犬をやらされているシーンでは、画面全体がぼかしになってその隙間からかろうじて顔が見えるか?という状態になってしまっているのには苦笑。

■表層にあるエログロに惑わされて拒否反応を起こすより、そのエログロだからこそ際立つ社会的地位関係のゆがみや権力の怖さに震え上がる。と、書きたいところだがやはり画面全面に映し出されるエログロなのに落ち着いているトーン、の異様さにあんぐりと口を開けていた、というのが正しい。

2005年01月28日

『戦火のかなた』1946

■ロベルト・ロッセリーニの戦争3部作の2作目。前作がドイツ支配下のイタリア、それに続く今作は、米軍をはじめとする連合軍が南から侵攻し、ドイツが北へと敗走していく時期。前線が北上するのに合わせ、6つのエピソードがシシリア、ナポリと舞台を北上しながら描かれる。
■最後のポー川を舞台にしたもの以外は戦闘シーンは出てこず、解放軍としての米軍と一般のイタリア人との関係を主として、戦後の解放された、あるいは解放されつつある状況が描かれる。

■描かれるのはゆがみ。特殊な状況下、異なる文化と豊富な財力を抱えた米軍と疲弊したイタリアとの間にあるへだたり。悪意によるものではなく、ただ、置かれる立場によってものの見方がどれだけ違ってくるのか、その差異に気づくことが出来るのかどうか、そういったことだ。
ひたすらに差異とゆがみを見せつける。そういう状況が作られることもまた、数では決して表せない、戦争によってもたらされるもの。圧倒的な悲劇でもなく、喜びでも悲惨さでもなく、小さく苦痛のうめきをあげるしかないきつさ。
■互いの理解への欲求とすれちがい、気づいた現実から逃げ出す、すれ違いに気づきすらしない、と続く前半3話に対し、5話では僧侶達という特殊な人々とはいえ、互いが違いに気づきながらも歩み寄ろうとしている一番救われるエピソードだ。6話は見捨てられたような部隊の米軍とパルチザンが共闘しているけれど、逆にその逆境下の通じ合いが切ないな。

■しかしその中身の重さよりも、そこに映し出される画面に見惚れてしまう。暗い夜の海べりの古城、ライターの明かりに照らし出される男女、ハーモニカを吹く少年と並んでゴミの山に腰掛ける黒人兵、黒人兵の手から落ちる靴、笑顔で水瓶を傾ける女性。川を並んで進むたくさんの小舟。

■そしてその一つ一つの構成のうまさったら!後半3話は当時の状況や文化背景が濃厚でいまいち難しいのですが、それでも、ぐっとくる6話。
この前たまたま読んだコラムで、ボーズくんがブラックジャックの複雑な話しが1話たったの22ページで出来てる!と感嘆していましたが、まさしくそんな感じ。1話あたりたったの20分で!話の切り方のドライさも逆に後をひきまくりです。

■『無防備都市』の感想でも似たようなこと書いたけど、人がぽろぽろと死ぬ。あっけなく。そういう状況下。けっ、だ。

2005年01月21日

『シッピング・ニュース』2001

■テレビでやっていたのをなんとなく観た。ラッセ・ハルストレム器用貧乏監督。
■丁寧に描くんだよね、抑えた表現で。だから嫌みはないし最後まで観てしまうのだけれど、その丁寧さで描くエピソード1つ1つがあまりにも凡俗的。脚本家が悪いのか、監督に才能がないのか。
■ハルストレムがスウェーデン時代に作った『やかまし村』シリーズは地味で退屈ながら、スウェーデンの昔ながらの風習、民俗を丁寧に描いていて良かったし、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』も結構好きだったりする。まあ、ちゃんと観たのはその3本だけなので、名作といわれる『ギルバート・グレイプ』や『ショコラ』がどうなのかよく分からないが、今のところの感想としてはハルストレムは、実直だが下手。あいつ、いい奴なんだけどいまいちセンスねえんだよな、てな感じ。

■旅立とうとする人の船を酔っぱらった勢いで破壊しつくす友人達、にはさすがにびっくりした。それで「人間ていうのは残酷なもんだ」で片づけるな。そういう島の人たちの気性をもっとちゃんと見せてくれたら、もっともっと面白いのに。

2005年01月20日

『戦争のはじめかた』

■全体のデキとしてはきわめて無難なこの映画の、何が売りかと言えば、その中身が実際にあったエピソードを再構成して作られたもの、つまりほぼ事実、ってこと。そこで暴露されているのは東西ドイツ統一直前のベルリン駐留米軍の内実、てことなんだけど、まあ、ひどいもんです。笑えます。911直前に映画祭などに出していたらしいのだけど、その後の正義の米軍イケイケドンドンな流れに押されて公開延期しまくってたのは当然でしょう。
■ヤク漬け、コカイン精製、文書改竄、物資横流し、武器横流しなど、若造達がやるあからさまな暴挙に加え、権力争いの為に核保有施設を使って軍事演習をやってしまう上層部の危機感の無さ。規律第一に見えた老兵の「ヴェトナムは最高だった」発言。平和な今(当時)から狂った過去まで常に米軍はやべえです。

■そりゃ、沖縄で少女が暴行されもするし、ジープに轢かれもするよ、と言いたくもなるでしょう。駐留米軍というものに縁の薄い私としては、そうだろうと思ってたけどやっぱりそうか!と言いたくなる気持ち充満。沖縄に限らず、駐留米軍というものに実際接する機会の多い人たちはこれ観てどう思うんだろう。や、こんなもんだよ、ほんと。と、鼻でもほじりながら言うんじゃないか。
■笑ってたり、慣れたりしてる場合じゃないか。

■大佐役のエド・ハリスがとことん情けなくてすごくいい。あんな強面で何事もきっちりイメージの人なのに。落ち込んでる気弱な笑顔がはまりすぎ。あきらかに平和な時代に運だけで今の地位まで昇ってきちゃった感が出過ぎ。
■曹長役のスコット・グレンも、モロ軍人肌なところににじみ出る狂気がステキ。舌なめずりしそうな勢いで「いくらでも殺せた」とか言うな。
■このおやじ2人はとにかくよかった。エド・ハリスのダメっぷりだけでもまた観たい。

■民衆達がベルリンの壁を崩すニュースを見ながら若造達が「ベルリンてどこだ?」「ドイツだろ」「ここか?」「俺達がいるのって東?西?」と交わす会話には、いくらラリっているとはいえ、笑える通り越してリアリティ出過ぎです。

■オーストラリア映画は大味でダメとする考え方があるようですが、このあくまで愚直で泥臭い映画の監督もオーストラリア出身だということを後から知り、うーんとうなってしまった。頑張れ空白の大陸。
■後ろの席の人が大きい音がするたびにこちらのイスも揺れるほどのビックリリアクション。さぞかし疲れただろう。

■繰り返しになるが、そりゃ、ヘリも落ちるわ。あとどんだけ隠蔽された事件があるんだか。

2004年11月06日

『セントラルステーション』1998

■『モーターサイクルダイアリーズ』の監督、ヴァルテル・サレスの旧作。男の子中心の話かと思っていたらおばさんの話でした。これは、おばさんの再生の物語だ。日本公開時のチラシにあった「拝啓。おとうさん、これから初めて会いに行きます。」てのは違和感満点だなあ。間違ってはいないけど、この映画を表するのに的確だろうか?
■で、このおばさんがすごい。一見誠実そうに見えるのだけれど、しれっとひどいことをする。字を書けない人(つまりそれほど裕福ではないだろう事が予想される人々)の代書屋をやっていながら気に入らない手紙は捨てるは、子どもを売り飛ばしたお金で新しいテレビを買うは。でもおばさんは悪者ではなく、他人の事などかまっていたら生きていけない世界での、生きていくための処世術を身につけているだけだ。
■そんなふうに生きてきた彼女の内面の逡巡が痛い。子どもを引き取る決意が出来ず、「過ちを繰り返したくないのよ」という言葉は人生にフタをし自分のことしか考えずに生きてきた、旅の前の彼女には出せない言葉だ。トラック運転手が去っていった時に「恐くなって逃げたのよ」と即座に判断できるのは、彼女もまたそうやって逃げ続けてきたからだ。ジョズエという存在、保護しなければいけない存在、その分愛情を返してくれる存在が彼女に変化を与えた。それは強さといえるかもしれない。おそらくは父を否定し続けることで現在の自分の生き方(のどうしようもなさ)を肯定し、開き直ってきた彼女が、父は悪だけの存在ではなかったことを受け入れ、父との良い思い出を手紙に綴るラストシーンは、彼女の再生の瞬間、彼女が彼女自身の人生を手に入れた瞬間だ。
■しかし、観ている間は、おばさんが次に何をしでかすのか分からなくて面白かったな。突拍子もないのだ、この人は。このおばさんの抑えた表情がすごくいい。その微妙な表情で、口紅をぬるシーンでは初めてデートする女の子のようなはじらいとためらいさえみせるのだ。
■『モーターサイクル??』でも感じたのだけれど、ロードムービーでありながら、この監督の景色は何か物足りない。色気が無いというか。これはカメラマンの問題なのだろうか?巡礼者達のシーンは映画館で観るともっと印象が違ったろうか?あれほどの効果を設定していながら、何か陶酔感を感じなかった。全体としても、物語の構成もすごく良いし、表現も理性的でとても良いのに、何かが物足りない。『モーターサイクル??』を観たときはなぜ自分が腑に落ちていないのか分からなかったのだけれど、きっとあまりにもまじめ、なのだ。良い映画、だけれどもあまりにもきまじめな作りでありすぎるという印象。そのまじめさだけではない何かがプラスされるとさらにいい、とえらそうに言ってみる。

2004年11月01日

『GERRY』2001

■これは足音映画だ。ただひたすらな足音。足元はクローズアップされず、あまつさえ足元が映っていないときでも、観客は彼らの歩きを観る。歩く彼らを見続けているうちに私は彼らの足音を求めるようになる。
■並んで歩く二人の横からのアップに、ひたすら二人の足音がひびく。同調し、ずれ、同調する。ずれから同調へ移った瞬間、アフレックがかすかにほほえんだような気がするのは気のせいだったろうか?
■歩いているシーンに足音ではなく音楽が重なるシーンがある。そしてそれはとても切ない。彼らの歩みが歩みとして成立していないと知らされているようで。絶望的なのだと知らされているようで。音楽は、車でハイウェイを走っている冒頭に使われており、そのスピード感と音楽以外の一切の無音とがあいまって陶酔するような感覚になる。けれど、それが歩いているシーンに重ねられると、その静寂が死につながっているかのようだ。荒野をさまよう二人にとって、歩みは生きるための唯一の方法であり、生きていく意志でもある。けれど、静寂の中では意識だけが車に乗っているかのようなスピードで走っている。自分が歩いているのか立ち止まっているのかさえ分からない静寂、足音は自分には響かない。
■ハイウェイでのスピードもそうだけれど、荒野の空の動きのスピードも気持ちのいいスピードになっている。このスピード感はたまらなく気持ちが良く、逆にめまいをおこしてしまいそうだ。なんていうか、体に合ったスピード。しかし、荒野の景色はすごいよ。デスヴァレーとアルゼンチンの2ヶ所で撮影したらしいけど、恐いよ、荒野。でもすごい。誘惑される。
■岩から降りられないシーンはベタながら笑った。どんなとこに立ってるんだよ、と足元が映されないあたりから素直に気になる。岩から飛び降りる瞬間の早さ、ためらいのなさはすてきだ。ちょっと黒沢さんを連想。
■ガス・ヴァン・サント監督は初観。『エレファント』すら観ていないのだけど、青山真治さんが日記でべたぼめしていたのでミーハー根性で観に行った。青山さんが日記で、「砂漠でひきずる足音ひとつ取っても、もうたまらなくいい」と書いていたのが分かる。もちろん、この人と同じ視点で映画を観られるなどという思い上がりではなく、ただ言葉通りの意味として、私にとっても「たまらなくいい」。
■どうでもいいが上映館の「riseX」の作りには驚いた。運良く2階席の一番前列に座れたが、その他の席の人たちはかなり見上げたり見下ろしたりしながら映画を観るはめになるんだろうか?それがよかったりするの?
■で、上映館は渋谷なので、このたまらなく静かな映画を観た後に否応なく夜の渋谷に放り出されるわけですが、足音など聞こえるはずもない街の雑音にいらつき、歩道をふらふらするよっぱらいのガキんちょたちの背中に向かって、じゃまだ消えろ荒野の真ん中に置き去りにされてしまえ、と心の中で呪いを吐きながら歩いているようではまだまだ人間ができてません。

2004年10月26日

『地獄の警備員』1992

■へんなえいがっ!とまず最初に言い放つのが正しい感想のような、そんな映画。黒沢監督のスプラッタもの。本人としては失敗作らしいのだけど、後の黒沢作品につながっていく雰囲気が至る所にあっておもしろい。ビニールやっぱり出てくるし。ストーリーの無さかげんもすてき。殺します。ただただ殺します。
■ちゃんと恐い映画のはずなのだけど、殺戮を繰り返すのは元相撲取り。名前、富士丸。て、それしこ名なのでは。なぜか警備員になっても富士丸。でかい。「おおきいですよ」「あれはでかい」とつい小津が入るほどに。そしてなぜか旧帝国陸軍調(でかくて細くてコートを羽織っているといえば、『帝都大戦』のあの人)。そしてなぜか地下室が巣。人の入ったロッカーごと潰せる力持ちさん。あれは痛いよ。首に裁断機の刃が刺さってもすぐには死にません。あれも痛い。
■と、書いているとどうしても恐い映画じゃないみたい。舞台になる会社も変だし。こんな会社やだよ。大杉蓮はやっぱりエロ変態だし。『ヤクザタクシー』の悪徳刑事(諏訪太郎)は、一見ダメ社員、実は頼りになる男、なのだけど、風ぼうが刑事だし。この二人は『ヤクザタクシー』からのつながりでこの配役なのかと思ったけど、この映画の方が先なんですね。
■結局、これはスプラッタコメディなのか?

2004年10月24日

『新学期 操行ゼロ』1933

■初観、ジャン・ヴィゴ監督作。たった、44分の、ただ寄宿学校の子ども達を描いただけの、何なんだ、これは。幸福感とも憧れとも懐かしさとも違う、何と言っていいかわからいないけれどもとにかくプラス方向の感情が噴出する。いや、この映画を観ることが出来たことは幸せなことに違いない。私の映画師匠的存在の人は「人にどういう映画か伝えるのが難しい映画」と言っていたけれど、納得。ましてや語彙の少ない私には、ただただ、すごい、としか言いようがない。ステキ!としか言いようがない。
■冒頭の学校に戻る汽車の中での二人の少年のはしゃぎっぷり、校庭でのボール遊び、悪巧み、遠足での町、寄宿舎での卒業前夜の聖者の行進のような行進、ひるがえる旗。
■変な校長、鏡でない鏡、突然動き出す絵、ユゲ先生。
『動くな死ね甦れ!』で少年と少女が走りすぎる汽車越しに笑い合う、あのシーンをなぜか思い出した。きっと、あの時に浮かんだ感情ととても近い。そしてやっぱりそれも形容できない。

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