2012年12月04日

『人生の特等席』

イーストウッドをスクリーンで、しかも新作で観るというだけで幸せ。しかも、のびのびとというか、嬉々としておいぼれぶりを演じている。冒頭から楽しそうだったなあ。イーストウッドの「You are my Sunshine」をしみじみと聞き入ったりするぜいたくだってできる。お決まりの顔に傷、はサービスシーンかな。
次の世代に場を譲る最後の場面は幸せに満ちていて、やっぱり『グラン・トリノ』ですべてを清算したからこそ、こうやって穏やかなリタイアもありえるんだと勝手な感慨にひたったり。今まで通りの様でいて、初めて見るイーストウッドが結構この映画で観られたような気がする。今までよりも弱さをさらけ出してるから?

エイミー・アダムスのブロンドがゴージャス。
若い二人はメジャークイズ合戦だけど、老スカウトマンたちはよれば俳優の話ばかり。その与太話っぷりもよかった。アイスキューブの話はジャスティンと掛けてるんですかね?
スパム。生で食べられるという認識がなかった。
ピーナッツボーイはそうだろうと思ったけど、その通りでうれしくなった。
メジャーのことも野球のことも良く分からないけど、「聞く」ていうのは堂場瞬一氏の『ミス・ジャッジ』ていう小説でも審判が生命線にしてたな。もちろん、メジャーのことをもっと知ってるともっとおもしろいはず。

最後まで、そうなるんだろうと思っていた通りの話の展開なんだけど、でもそれで良いかと。堅実な監督のもとで、実力ある俳優たちがのびのびとうごいているって感じなのかな。

2012年11月04日

『捜査官X』

『葉問』ですっかり夢中ですよ、ドニー・イェン。というわけで、ドニー兄貴のアクションを堪能して満足。気弱そうな笑顔が似合いすぎるビジュアルにしてあの強さ、速さ。もうねえ、ぐっときます。
そして、葉問もそうだったけど、ドニー兄貴の嫁役はつつましくも芯の強い、美しくもかわいらしい人が良く似合う。
屋根に牛がいるとか、橋の真ん中の東屋とか、滝上の牛舎とか、古きよき(?)雲南の景色も美しすぎて、ドニー兄貴が畑を歩いていくクレーン撮影はずるいくらいの味わいだし、草原で暗殺集団が横たわるドニーの周りを馬でぐるぐる回るのとか、キメキメすぎる気もするけど参った。暗殺集団の登場シーンあたりは昔の忍者ものドラマみたいで笑ってしまったが。
それにしてもだ、前半の金城パートと後半のドニーパートで別映画みたい。金城捜査官の偏執狂が暴走した推理かと思いきや、それは天才的推理で大正解でしたっていうのは、結局前半からネタバレしてただけみたいになってるし、金城くんに設定盛り込みすぎて放置したまま終わってる感じだし、2部構成に失敗した感じ。あくまでもドニー兄貴を軸にして、重要な狂言回しの役に抑えてれば良かったのになーと思ってしまう。金城氏が悪いんじゃないんだけどね。むしろ、年齢重ねて良い感じになってきたなーとしみじみしてしまった。

線香を使った目覚まし時計装置が映画の創作なのか実際にあったものなのか気になる。
邦題には違和感。動員がより見込めそうな金城メインで宣伝したわけだな。2人主役だし、どちらかというとドニーメインなので、金城メインだと思って観ると調子狂っちゃうと思う。

2012年10月31日

『思秋期』

これは予告編が上手かったかな。曲をまるまる流す葬式のシーンとか、ラストへの持っていき方とか、後半ちょっと叙情に流れすぎた感じ。強度が足りないというか。抑えられない怒りの衝動は本当につらくて悲しい。だからこそ、もっと主人公がその衝動を抑えられなくて翻弄される様も見たかった。主人公の家の中がきれいすぎるのもちょっと不満。
とはいえ。ハンナのだんなのエディ・マーサンのぬめぬめ感は存分に怖気持ち悪くて良かった。「マイ ブルーイ」の「それでも信じてる」顔のアップと白い前足。それにやっぱりピーター・ミュラン。たてたてよこよこに格子状に走るおでこのしわ。歩き去る女に「ハンナ」と呼びかける際に特に際立った、低くてつぶれた、なんとも味わいのある濁声。ランニングシャツに血のりの似合う男ピーター・ミュランの味わい深さを存分に堪能。

男の子の「ママの恋人」が主人公に犬をけしかけるのはいいとして、なぜ緩みきった上半身裸の腹に引き綱を巻く?えらく間抜けで笑えたんですが、あの散歩の仕方は北イングランドでは普通ですか?
もひとつ。アッパークラスの長屋住宅より、多少くたびれているとはいえ、ローワークラスの庭付き独立住宅の方が、魅力的に見えちゃう。ていうのは日本人の感覚か。

2011年01月13日

『三等重役』

シネパトスの2本立て、もう一本は「社長」シリーズの元となったといわれている『三等重役』。
森繁がぐぐっと若くて、石松の頃の顔なのがなんだか嬉しいマキノ馬鹿。ていうか『次郎長三国志』よりも前なのか、これ。

社長はきっとどこかで悪事を働くに違いないと思いながら観ていたのに、働かず。「〜でございますわよねえ」などという言葉遣いで、暇さえあれば美容室を社交場代わりに集まる奥様方などというものは、きっとそのうち女同士の醜い争いみたいなものを起こすに違いないと思っていたら、それもなく。
薄汚れたわたくしなどは拍子抜けしたりもするのだけど、平穏に過ごすための芯の通った矜持を持っているわけではなく、ただ小市民的に「善人」の枠をはみださないようにしていたら結果的にそうなった(代理社長でなく「社長」であれば悪いこともいっぱいしただろうし)、というその生き方をまるっと肯定するようなラストには心が温まってほくほくする。

そんなほんわかな空気に、ちょいちょい小ずるい態度でアクセントを添える森繁も良いし。

話しがどんどん広がって、東京行きで他人の愛人に絡まれたり、東京所長と越路吹雪をくっつけたり(越路吹雪かっこいい〜。このエピソードでは社長やたらと男前!)と、話しがどんどん飛んでいってどうなっちゃうのと思いきや、観終わってみればきれいにまとまっているのにも感心してしまった。

傑作とかではないけれど、いいんですよねえ。

2011年01月11日

『社長太平記』

『ゴダール・ソシアリズム』で許容量一杯になった脳みそを昼ごはんでリセットしてから、シネパトスの小林桂樹特集で『社長太平記』。

成功しているプログラム・ピクチャーの安心感とでも言うのか、とにかく細かい突っ込みなどせずに、結局はアホ面でうはうはと笑っていればいいのだという幸福感。
三木のり平はとにかくずるい。ヌーブラ(的な)つけてくねくね歩くとか、フレンチカンカンの帽子を赤ちゃんかぶりするとか。やりすぎ感はあるのに違和感なく笑えてしまう。
そのフレンチカンカンのシーンのように、行きつけのバーの創立パーティで、社会的地位はそれなりに高い人たちが馬鹿騒ぎして楽しんじゃうようなユートピア感もいいんですよねえ。

にしても「海軍バー」にはびびる。しかもアレ(ショーは踊り子たちがミニスカートのセーラー服を脱いで水着姿になる)に対して「いまどきの若いもんは戦争をおちょくって!」と怒るのではなく、居場所を見つけたようだとくつろいでしまう元艦長という設定もすごい。
戦後ってそういう時代でもあるの?

森繁は早食い芸とか浮気者とか、いつもの軽い調子を見せてくれてもちろんいいんだけど、やはり私は加東大介びいき。
とぼんやり思っていたら荻野洋一氏が「荻野洋一 映画等覚書ブログ」の「沢村貞子 著『私の浅草』」で、「さらにラストの章を飾る、実弟・加東大介(1911-1975)の早すぎる病死を悼む一文は、涙なくして読み終えることは絶対に不可能。」として加東大介氏のエピソードをかいつまんで紹介されていた。そのかいつまんだ部分だけでもう泣けました。勉強不足により、戦時中のことを含め全然知らない話でしたが、もうなんというか、改めてすきになったとか、好きでいてよかったとか、そういうの超えて、ただもうぐっときました。読まなきゃ。

2010年11月07日

『十三人の刺客』

よくもまあ今これだけのものを作ったな、と製作陣に感心したのが一番。
主要キャストの演技の質がばらばらなのはむしろ面白かったけど、古田新太のわざとらしさは過剰すぎて笑ってしまった。松方弘樹は、さすがに時代劇が生きていた時代を知っている人だなあとほれぼれ。なんというか、はまっている。この人がいるおかげで「時代劇」のくさびが1個きちんと打たれている安心感が生まれていて、そのおかげで他は結構好きにできている、という構造になっている、と言ったら言い過ぎだろうか。稲垣殿様は中盤までの表情が死んでいるうちはそこそこだったけど、殺し合いになってからの喜びようや、追い詰められてからの演技に狂気がなくて残念。最後の対決はもうちょっとどうにか…。
あと「みなごろし」の書にも笑ってしまった。過剰さの方向性が合わないのか…
オリジナルを観たことないので、どんなだか気になる。

ともあれ、こういう大掛かりな時代劇が作られたということが素晴らしいのではないかと思うわけです。

2010年05月12日

『シャッターアイランド』

たぶんこの映画を観て、一度じゃ分からなかった!難しい!という感想を持つ人は、その謎解きのあまりの簡単さを深読みして、まさかあそこまで煽っておいてそんなわけがない最後のショットは本当の本当はまた違うんですよという一ひねりの意味なわけだからでもどうなんだろう、とまじめに考える人なのだろうと思うのですがどうでしょう。
たぶんアレは意味ありげなだけ。

映画始まる前の「この結末は決して話さないでください」的な注意書きはやめてほしいです。萎えます。
これまた売り方を間違えてしまった映画なのでしょう。結末がどうとか強調するような映画ではない気がするのですよ。

飽きないで観ましたが、そこまでだったような。
ゆかいそうな面々がいっぱい出てくるのにそれを堪能できなかったのが不満。

プリオの顔は良かったですが、年をとるごとにごつくなっていく彼の顔を見るたびに、まだ華奢な少年の面影を残しているころ(ロミオ+ジュリエットよりは後だったかな)に「シネマ通信」でジャック・ニコルソンの顔まねをしていたのを思い出します。それがあんまり似ていたので、将来ああいう顔になるのかと期待していたけど、本当にそうなってきた。早く年を取ってニコルソン激似になってほしいものです。

2008年08月02日

『ST3』

というわけで、むし情報パート3。
ではなく『スターシップトゥルーパーズ3』。
刺さないね、この虫たちは、針では。手足でぶっ刺すだけだね。毒で破裂とかしないんだね。なんかで破裂してたけど。

2は観てないし、1は記憶の彼方に押しやられたが、1よりも皮肉が前面に分かりやすく出ている、というか、皮肉で構成されている映画だろう、これは。

1は軍事政権やらプロパガンダやらへの皮肉を盛り込みつつも、基本的には虫たちとの戦いのスペクタクルがメインだった気がするが、これはもろ皮肉メイン。風刺という文脈に乗っていかないと、展開や戦闘シーンは物足りないかもしれない。あとCGのしょぼさに悲しくなるかも。せっかくのパワードスーツがそれかよ…と。戦隊ものみたいになるのはいいとして、CGまでそのレベルじゃなくていいんですよと。

とはいえこの文脈に乗っかることさえ出来れば、えげつないほどのあからさまな皮肉をよくぞここまでストーリーに乗せたものだと、皮肉の波状攻撃を楽しむことができる。キリスト教文化圏ならさらにえげつないと感じるんだろうな。楽しんだ。結構楽しんだぞ。

だから惜しむらくは、虫描写が単純化されすぎていたのと、パワードスーツがしょぼくて活躍描写も少なかったことで、それがあればもっと皮肉とのバランスが取れたのではないかと。といってスピルバーグ級を望んじゃダメか。

でもまあ楽しんだんです。
ほんとうに最後の一瞬までコケにしまくりで。
ヒーローを存在させない戦争映画です。


@新宿ジョイシネマ
監督:エド・ニューマイヤー

2008年05月15日

『スパイダーウィックの謎』

空間も経過時間もこぢんまりとした、上映時間も96分とタイトなファンタジー。少し経ったら忘れてしまうかも、という感じもするけど、そういう点も含めて気持ちのいい嬉しさを感じる映画だった。

余分な説明も、だらだらともったいぶった描写も一切なく、小気味よくシーンが進んでいく。展開が早い早い。まるでぱぱぱっとぱらぱらまんがをめくる音が聞こえそうな感じ。そして細かい多量の伏線を次々と畳みかける展開の快感は、…これはそう、ピタゴラスイッチに似た快感。丁寧に一工程ずつ進む。
よどみも無く、一切の破綻も無い。それでもそれが退屈さにつながる暇も与えない。

ファンタジーとはいえ、女子どもに不必要に媚びないぜ、という感じも良い。そのくせ「ハチミツ野郎」も「大きいペット」も「鳥ちゃん」もみな愛らしい。

なんだか映画がスタジオシステムで量産されていた時代の1本みたい。ってえらそうに言うほどその時代を知らないけど、イメージとして。職人たちがきちんと作った小品というおもむき。そういう映画ってあっていいと思う。

これが少しでもだらだらしていたら、おじさんのわがままさとか、双子の設定ってそこでしか生きないのかよとか、エディプス・コンプレックス根強いなとか、それって結局囚われの身じゃん、とかいろいろ突っ込みもしてしまっただろうが、いやしてるけど…そんなことはどうでもいい爽快さがあるよ。
まあ、話の内容としては爽快という感想は間違ってる気もするけど。

こんなふうに小気味よい作りの映画を観れたということ自体に満足。


監督:マーク・ウォーターズ

2008年04月30日

『全然大丈夫』

ムダに(何の予定もない)超大型連休なうえに頭痛で映画行く気力もないから以前に観た映画のことでも思い出してみる。

ということで、荒川良々が主演ならそこそこつまらなくても雰囲気でいけるんじゃないかと観に行った『全然大丈夫』を思い出してみた。

観た時はじんわりと面白いけどすぐに記憶から消えそうだ、と思っていたけど、3ヶ月近く経った今でも意外と忘れてない。時折、木村佳乃が川辺で四つん這いに近い格好になってちくわをかじる姿など思い出す。その他バースデーちくわとか。出家とか。細かいネタいろいろ。じんわり感に思わぬ持続性。

あ、『ナポレオンダイナマイト』でもそうだったけど、本来入ってるはずのない類の食物がポケットから出てくるのはなんであんなにニンマリと面白いんでしょうか。ナポレオンのあれはまあ、普通にありえないけど。

年輩の共演陣は素晴らしいし、良々も岡田くんも元々好きだから良いとして、木村佳乃の変さが押しつけがましくなくて、そのおかげで安心して「ゆるさ」に乗れたような。狙い通りなんだろうけど、この映画の中でもっとも意外性を発揮していた佳乃さん。どうでもいいと思っていた俳優さんの思わぬ魅力が堪能できるのは幸せなことだ。

ネタをつないだだけになりそうだったり、単にゆるく生きる人を許容する話になりそうだったり、日々を大切にしようといった細かさに陥りそうだったりするながれなのに、どこにも着地しないまま作り上げている。と思えた。それって意外と綿密に考えられたうえに、どこにも到達しないという強い意識が必要だったりするんじゃなかろうか。
強烈なインパクトを持った小道具たちに頼りすぎてないのも好き。

ま、これを観てイライラする人もいそうだけど。

私の心のふるさと奈良が絡んでくるのも嬉しい。


http://zenzenok.jp/indexp.html
監督:藤田容介

あ、監督が「大人計画」絡みの人なのか。なんとなく雰囲気納得。

2007年09月17日

『サッドヴァケイション』

暗闇の海岸、無言で行われる上陸。そして空から撮られた北九州の町が、ジョニー・サンダースの「サッドヴァケイション」と共に流れていく。
このオープニングですでに打ち抜かれた。涙が溢れる。
それはもちろん、曲自体が素晴らしいということもあるのだけれど、暗闇の密入国者たちの姿や、連続するコマ落ち(っていうの?)で映されていく明るい光の中の工場地帯の空撮によってなのか、何らかの不足や不在や不安といった悲しみの要素が入れた亀裂に、ジョニー・サンダースの悲しくも温かい歌声が染み渡っていくような感覚。
くぅ〜、と染みてるところに追い打ちを掛けるように格好いいタイトル!
たまらん。

ものすごく強烈に感じたのは、ただおもしろい、ひたすら、おもしろい。そしてカッコイイ。

今までの青山作品は、「おもしろい」と書くのには実は勇気が必要だった。私ごときがうかつに「おもしろい」と言って良いのか、という躊躇。理解出来ていない部分を置き去りにして「おもしろい」と言っても、その置き去りにした部分こそが映画の核で、そこを省いて「おもしろい」なんてありえないんじゃないか、という不安感があった。さらにそれが一周して、青山作品を「おもしろい」ということで、「私は分かっている」的なフリがしたいだけなんじゃないかというねじれた感情までが併存してしまう。
そうした何かが今回は無い。ただ声を大にして「おもしれー!!!」と叫べばいいじゃん。当然、その面白さは観る側にすり寄るために何かを捨てたとか、あきらめたとか、そういったことから生まれているんじゃないだろう。勝手ながら、監督がプロテクターを脱いでくれたような、直接観る側に対峙してくれているような感覚。まあ、あくまでも勝手に感じているんですが。

それと同時に感じたのは、女性の自然さ。青山作品で性的役割を負わされている女性は、いつもどこか私から観ると不自然な感じがあって、そういう女性もいるのだろうけど…と引いてしまうことが多かったのだけれど、今作の板谷由夏は、出来過ぎた女でありながら、とても自然で素敵だった。溝口健二の中の女たちが、あり得ないほど自己犠牲的でありながらも不自然ではないように。

理解することを拒まれているような感覚、女性の不自然さ、私にとっての引っかかりだった2つがここにはないのだから、それは「ただ」面白いに決まっている。
いや、ただ面白いと言うことが許されている。

全編に使われるコマ落ち編集(て言うの?)がどういう意図によるものなのかなんて分からないけれど、邪魔でも不快でも過度でもなく、適度な違和感を醸していて、とばされた瞬間によって時間が強調され、むしろ1つの時間の中にたくさんの空間が存在しているという当たり前のことを改めて認識させられるようだった。だから、そこに映っているのが1つの景色でも、そこに映されていないものも存在していることを不在の瞬間によって、知らされているような。あとから考えたことだけど。

ああ、それに物語の省略の仕方がなんだかかっこいい。時間が飛んでいることが瞬時に理解できる、そのタイミングが妙に腑に落ちて気持ち良いのだ。

秋彦としげちゃんの掛け合いに笑ったり、「母」の恐ろしさにふるえたり、どうしようもない破綻に苦しくなったり、アチュンのいなり寿司頬張る顔がえなりかずきにしか見えなかったり、山のシーンが素敵だったり。一体どこを切り出せばいいのかわからん。

魅力的であるほどに怖い石田えりの、母親版「枯木灘」のクライマックスに恐怖で打ち震えた後(あの母親がこんなにも怖いと感じるのは、まだまだ私がお子ちゃまだということなんでしょうか)に訪れる、妙に気の抜けた明るさのあのラストがたまらない。

陰惨で暗い物語のはずなのに、なぜか幸福感が溢れる。陰惨な物語を生きている人間が、必ずしも陰惨ではないからか。「そして人生はつづく」

あと、やっぱり秋彦最高だ。


『helpless』『ユリイカ』に続く、北九州三部作の三作目だけれど、前二作を観ていなくても楽しめると思うので、まずこれを観て、面白いと思ったら遡れば良いと思う。というわけでこれは多くの人に観て欲しいな。

書きたいことがありすぎてキリがない。

最後にひとこと。
あおいちゃんが白バンや軽トラ転がす姿を観れるのは青山監督の『サッドヴァケイション』だけだけだけー!!!


@新宿武蔵野館
監督:青山真治
2007

2007年06月18日

『300』

画の90%が筋肉で、セリフの90%が「スパールタ」で出来ている、そんな映画。
それで映画として成り立ってるのがすごい。
で、むやみにテンション上がる。

裏切りとか、愛とか、最低限ストーリーとして成り立たせるための要素がすべて邪魔。いや、それ以上にストーリーの細かい所なんかどうでもいい。それほどまでに筋肉団がかっこいいし、筋肉vs珍妙団のペルシャ軍が面白い。

エフェクト+CGの凝った画面作りという、聞いただけでうんざりな要素も、この映画ではきっちり役目を果たしていて、笑っちゃうほどの圧倒的な「リアル」の筋肉はむしろ、その現実感のない画面の中でこそ、失笑を伴わないフィクション性を得ることが可能だったのではないかと思わせる。そのフィクション性の中においてこそ圧倒的な「リアル」として存在できるというか。とにかく、すべては筋肉のために存在している。

そもそもマッチョ好きじゃないのに、この漢祭りを失笑とか苦笑といったクッションを差し挟ませずに、素直にすげえよ、かっこいいよ、と言わせてしまうのはすごい。あ、でもこれテレビサイズで観たら笑うかも。観るならスクリーンでないとダメだ。冷静になれる環境で観てはいけません。圧倒されるサイズで初めて成立するんじゃないかと。

細かいストーリーがどうでもよくなっちゃう点までが「北斗の拳」なわけだが、あの世界が実写で観られますよ。このキャスト・スタッフのまま「北斗の拳」やってほしい。「北斗の拳」がほんの少しでも好きな人は絶対に観るべきだよ。

結構長々と入る割りにはエロシーンが妙に堅苦しくてエロくないのが残念なのと、珍妙ペルシャ軍をもっと堪能したかったけれど、このてんこ盛りを、うんざりしない長さに収めてやりきっているという力わざの方を尊重します。

2度3度観てスクリーンの隅々に突っ込み入れるのも楽しそうです。


@新宿バルト9
2006年
監督:ザック・スナイダー

2007年04月15日

『世界最速のインディアン』

結局のところ、本当にやりたいことをしっかりと見据えることができ、なおかつそれに打ち込む事ができる人間というのは、目標に対する強引さと、逆にそれ以外のものへのストイックさ、それに打ち込む満足感から来ると思われる優しさによって、愛されてしまうということなんだろう。
ましてやそれが老年期にさしかかる、酸いも甘いも経験してきた人物ならなおさらだ。
つまるところ、とても魅力的なおっさんである主人公は、「テキサス・チェーンソー・マサカー」の世界ならば100万回チェーンソーで切り刻まれても不思議ではないようなアメリカの道のりにおいて、彼を愛さずにはいられない人々を次々と生みだす。

出発前から伝説の達成、帰郷までの全編、彼がいかに人に愛されずにはいられない人物かを、映画は比較的ストイックに描く。ハプニングも、困難も、出会いも、変に誇張されることもないので、一見単調にも見えるかも知れない。けれど、監督までもがこの人物を愛してしまったかのように、彼の生き様を、彼に失礼のないように、誇張しすぎて彼自身の魅力を損なうことがないように、とても大切にエピソードを積み重ねているように思えた。
言い過ぎかも知れないけど、主人公の生き方と、映画のスタンスが同調しているような。絶対に譲れない芯を中心として、それ以外は決してやりすぎない。
こうした実話、おじい、夢、旅といった、やりすぎてしまうか、雰囲気に流されてダメになってしまいそうな要素が盛り込まれている設定で、多分そのスタンスがこの映画を単なる「感動もの」にはしていないんじゃないかと思う。少なくともこれは「高齢者に勇気を与える」というような類のなまぬるい話ではない。

ともあれ、主人公であるアンソニー・ホプキンスが見せる、あまりにも衝撃的で、それ以外のシーンをすべて忘れてしまいそうな「you're my sunshine」踊りを、最初に見せられたときには呆然とし、次に見たときには、彼の最も愛すべきふるまいの1つであると感じたのだから、映画の過程で私は主人公に確実に魅せられてしまったのだ。
ま、あの踊りはどうしたって真似したくなるほどに衝撃的で魅力的だ。

@テアトル新宿
2006
監督:ロジャー・ドナルドソン

2007年04月11日

『叫』

なんだか普通におもしろい、という言い方は的確ではないか。
いつも通りの訳わからなさはあるものの、その「分からない」部分を脇に置いておいても充分に「普通におもしろい」と思える、というのはやっぱり前作の『LOFT』があまりにも普通ではなかったからか。『ドッペルゲンガー』も『回路』も『CURE』も、『カリスマ』だって私は普通に楽しんだのだ、そういえば。
という『叫』は、『CURE』と『カリスマ』と『回路』が混ぜ合わさってぐつぐつと。

都市。おいてけぼり。変化は構築なのか破壊なのか。そして誰もいなくなる。とてもメッセージ性が強いのかも知れない、と思わなくもないけれど、そこを考えようとすると困惑するばかりなので放置。

「犯人」であり「カリスマ」であり「幽霊」である赤いワンピースの女はいきなりな行動で見ているものを笑わせたりもするが、あれは笑わせようとしているんだろうか。そうとしか思えないのだが。ぴゅ〜って。

あり得ない警察署、不穏。
そんな水浸しの埋め立て地は本当にありえるのか。
加瀬亮の仕事は結局なんなんだ。
などといった突っ込みはむしろ黒沢マニアの隠微な愉しみとも思えるので置いておこう。

黒沢清の映画に出演する俳優は実は苦手な人が多いのだが、大概が映画の中での見事なはまりぶりに感嘆して、好きにならないまでも悪感情は取り払われてしまう。
例えば今回は葉月里緒菜。その気持ちの悪さというか恐ろしさが、『叫』の中でものの見事にはまっている。あるいは小西真奈美。その裏がありそうな胡散臭さが現実感のない恋人という役柄にぴったり。って、悪い面ばっかりみているようだけど、その悪い印象が役柄を見事にするという方向に昇華されているので、私としては見事です、と方向が転換する。
あと、黒沢作品の中では生意気だったり空虚だったりする人間が妙にかっこいいのだが、今回のそれは加瀬亮で、ほんの少ししか出てこないのだけれど不遜な態度が妙に格好良かった。

と、いろいろ言ってもやはり役所広司。
なぜ彼は常に「選ばれて」しまうのか。
なぜ選ばれることが本筋のように見えるのか。
黒沢映画におけるその特権的肉体。
役所さんが出ている黒沢映画とそうでない黒沢映画は強度が違うように思える。『回路』のようにほんの少しの登場でさえ、その存在によって黒沢映画はぐっと強度が上がる。
不思議。

湾岸の景色は面白い。知っていて、知らない風景。

伊原さんは、なぜ…。

映画の終わりに繰り返される言葉がそれって、すごいな。

と、いつもながらにまとまらず。
『叫』つれづれ日記。

@渋谷シネセゾン
監督:黒沢清

2007年04月10日

『紳士は金髪がお好き』

んー、もう。
んー。
もうねー、溢れてるんです。
何かが。
スクリーンから豊潤に何かが、だばだばと。
ハワード・ホークスの映画について考えることは常に「呆然」との葛藤だ。どうにか何かを、自分でも言葉に出来そうな部分を選び出したうえで、そのすごさを言葉にしようとしても、そこに繋がりそこから繋がるシーン、というか結局のところ映画全体が脳みそに全展開して呆然としてしまう。一体どのシーンをどのように書けば、私がこの映画を面白いと思ったポイントにたどりつけるのか、どんな映画でもそのポイントを的確に突くことなどできやしないのだけれど、ハワード・ホークスに関してはその度合いがいつもにも増してひどく、もーとにかく面白かったんだからそれでいいじゃん!と、券売機に体当たりして切符を買う程度のおおざっぱさでまとめてしまいたくもなるのだが、けれどどうしたって、そのあんまりな面白さをほんの少しでも自分の言葉にしてみたい誘惑だって捨てきれないのだ。あまりにも豊潤な「何か」は、魅惑的すぎて語れないのに、魅惑的すぎて手放せない。
と、ひとしきりのエクスキューズ。

マリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル。青い舞台に表面がスパンコールで覆い尽くされている真っ赤なドレスの2人が歌い踊る冒頭のシーンの、カラーの美しさといったら。その2人の美しさといったら!とにかくこの最初のシーンだけで私は嬉しくて興奮しきってしまった。

お金持ちが一番、「ダイヤモンドは女の子の一番の友達」という信念から一歩たりとも揺らぐことのないヒロインを、マリリン・モンローはそれが当然のことのように演じきる、というか突き抜ける。それがあまりにも見事で、一切の「道徳的判断」を持ち込む隙などない。
ジェーン・ラッセルがオリンピック選手達と繰り広げる「レビュー」も、裁判所でのレビューも、素晴らしいだけに一体どうして良いのか分からなくなる。これはひょっとして行われていることの非常識さにもっと注意を払うべきなのだろうかと思いつつ、笑い、見とれ、やはり呆然とする。

『モンキー・ビジネス』や『紳士は金髪がお好き』を観ると「マリリン・モンロー」という伝説から想像するのとはあまりにも違うマリリン・モンローがそこにはいて、やはり実際に観てみないことには分からないものだと思ったものの、金井美恵子さんは「マリリン・モンローという伝説的なハリウッド女優のイメージは、ホークスの二作品を除いたうえで作られたものだったのではあるまいか」と書くのだから、私が観ているマリリン・モンローはむしろ例外と言うべきものなのかもしれない。とはいえ、その2作品での彼女がとてつもなく魅力的で、当然「二人羽織」や「喉頭炎」や、丸窓にはまる事までがその魅力に拍車をかけるのだから、やっぱりハワード・ホークスは魅力的な女性を描くのがとてつもなく上手なのだ。

そう書いていて、思い出したのはマキノ映画における山田五十鈴のしかめっ面だったり、マキノ映画のあれよあれよと事態が進行していくスピードとリズムだったりで、マキノ映画の女性は理想化されすぎている場合も多いものの、私の中ではホークスとマキノは繋がってしまうらしい。

@シネマヴェーラ
1953年
監督:ハワード・ホークス

2007年04月04日

『周遊する蒸気船』

前半は伏線と伏線と伏線!幾分冗長に感じられる物語が後半になって、待ってましたとばかりの怒濤の展開。前半で一個一個丹念に立てたドミノが、レースのスタートを告げる大砲と共にタタタターっと小気味良いリズムで倒れはじめ、そのリズムはそのまま蒸気船に乗り移り、蒸気船がスピードを上げるにつれ、痛快さは天井知らずに上がっていき、そのスピードを弛めないままに一気にラスト!
ふはあー、と一息ついた時にはもう映画館は明るくなっている。そのすぱっとした気持ち良さったらない。
特にニューモーセの捕獲シーンで起きた場内大爆笑は、「スクリーン」以外に「映画館」で大勢と一緒に映画を観ることの楽しさを久しぶりに感じさせてくれた。あんなに屈託無く爆笑できるシーンて貴重だ。いや、あの絶妙な「間」と切り替え、絶品だ。


@シネマ・ヴェーラ
1935年
監督:ジョン・フォード

2007年03月08日

『進め!』

10分短編。
WEBにて。(3月14日まで)

『このすばらしきせかい』という映画を、ちょっと佐内正史っぽい写真を使ったちらしのかわいらしさと(HPトップの画像と同じ)、そこからにじみ出る脱力雰囲気にひかれて気になっていたものの、池袋で短期間のレイトショーという条件にすっかり腰が重くなりまんまと見逃した。池袋は苦手だ。
その映画の監督の短編をWEBで見られるとセガール処が教えてくれる。

ふふふ。とその10分にほほえみが漏れる。
特別な日なのに特別じゃない日。
それが特別な出来事なのか、ありふれた些事なのか、それはその人が決めればいい。帰れば食卓にケーキがあるのだ。

誰かを思いやること。
そのことを必要以上にさりげなく描くけれど、それが微かさを装うほど、そこでとられる行動が「思いやる相手」に対して自然に出来る最低限のことに見える。その無理をしないギリギリのラインが「同情」と「愛情」の境目か。
この人はこんなふうに愛されているのだなと、そのぼんやりとした顔を見て、ふふふと、幸せのほほえみ。そしてその愛し方にも。
それでいいのかな?それでいいんじゃない?

どこかしら冨永昌敬ぽくもある、と思っていたら杉山彦々が出てきて喜ぶ。この人の、心のなさそうな雰囲気はとても好きだ。
娘役の人に妙にひかれる。川原泉の漫画に出てきそう。ぼんやりと、芯がしっかりしている感じが同居。

さて、たった10分。
『このすばらしきせかい』を観にいかなかったことをくやしく思っております。

2007年01月24日

『シャーリー・テンプル・ジャポン』DVD

果てなくゆるい。
それがいい。
演劇的な匂いのきわどい侵入。しかし勝利する映像。
その絶妙さがたまらない。
さてと、この映画を誉めるって、どうやって?

おもしろいです。

何だろう、やるきがあるんだろうか、とか、ノリだけなんだろうかとか、悪くとろうと思えば取れる隙がありすぎて風通しがいいっていうかそもそも壁ねーじゃん、て、何が言いたいんでしょうか私は。

この人の面白いとダメのバランスはとても危うい。ダメの直前の危うさが「奇跡」を起こしているような。『パビリオン山椒魚』では残念ながらそのバランスがダメにやや傾いた。DVDのおまけに入っていた山椒魚紀行(のようなもの)の方が面白かったし。
今作もオーディオコメンタリーが妙に面白かったけど。題名のナゾも分かって脱力。

パート1は単体で充分面白いし、パート2での反復と差異がまたたまらない。

監督と出演者との親密さが生み出すゆるさもここでは絶妙さの元。
出演者の悪のりが、決して寄らないカメラとの掛け合い漫才になってるし。

パート1での彦々氏の動きが時々、猫ひろしに見えた。新たな発見。で、この人の気抜け顔は、やはり絶品。

シャーリー・テンプル・ジャポン』2004-2005
監督:冨永昌敬

2007年01月19日

『世界』

「誰か絆創膏持ってない?」
反復される響きと共に長回しで映される、狭くて鮮やかな色彩が溢れる舞台裏。その雑然とした情景に瞬間にして心を捉えられる。一体何なんだろう、この映画は。どこがどうすごいのか、なにが自分を惹きつけるのか。しかしその問いは、瞬時にこの「世界」に引き込まれてしまえば無用のものだ。そこを生きてしまう。そういう映画。

その雑然さが、この映画の中で最も北京らしい光景なのかもしれない舞台裏の光景は、それと同時に『フレンチ・カンカン』も思い出させる。溢れる色彩と、奔放にも自堕落にも見えるが「普通の生活」をしている女たち。
ただし、そこにはジャン・ルノアールの幸福はない。そこは単に生活の一部、それ以上どこにも行き場はない単なる「世界」だ。

夜の馬。
子供を「失った」両親の並ぶ後ろ姿。
夜の工事現場。
凝視する兄。
スカイトレイン。
エッフェル塔の上。

群像劇でもないのに、ほんのわずかな出演者にまで強い印象が残っている。
思い返すと次々と、あの人がいた、あの人はどうなっただろうと顔が出てくる。まるで自分の人生に関わった人のように思い出すことができるのはなんなんだろう。「1人としてどうでもいい顔は出てこない」

「北京を出ずに世界を回る」
閉塞感。絶望ではないし希望でもない。
簡単に海外に行けるという「実現可能性」の高さに目を眩まされているのか、
「東京を出ずに世界を回る」
そこにどんな差があるというのだ。
けれどそこにあるのは絶望ではない。

ああ、そんなことはどうでもいいな。そんなことはどうでもいいんだ。ただ、絶望でも希望でもない「生活」の映画がなんでこんなに胸を突くのか分かりたくて迷走だ。

新文芸座で観るシネスコはでかい壁一面めいっぱいの画面で堪能できて良い。ずっと観逃し続けてきて、でもスクリーンで観られて良かった。どうしてだか分からなくたって、この映画はスクリーンで観るべき「映画」だ。

それにしても、あのラスト。
いやはや。すごい人だなー、ジャ・ジャンクー。


世界』2004
監督:ジャ・ジャンクー

2006年11月28日

『STOP MAKING SENSE』

映画館(のスケール)で観る映画と、家で観る映画は別のものだと考えるべきなんだろうな。ミニシアターが家にあるゴダールはさておき、家で観るものはあくまでも「映画」に良く似たもの、いくらテレビが大きくなってもそれは近似値を求めるものでしかないのではないだろうか。スクリーンで観てつまらなかった映画がテレビで観たら面白かったというパターンは考えづらいけれど、家で観ていまいちだったのにスクリーンで観たら面白くてびっくりするということは度々起こり得ることだ。

と、幾度も思ったことをまたもや改めて書いてしまうのは、友人に勧められて数ヶ月前にDVDで観たときには「たしかに面白い試みのライブ記録だ」としか思わなかったこのTALKING HEADSのライブ映像をスクリーンで観てみれば、それはあまりに刺激的でかっこよくてワクワク感に満ちあふれたライブ「映画」だったからだ。自宅のAV環境が貧しいとはいえ、あまりにも別物。

光と音、光と音。映画はそれで出来ている。ステージ後方に映し出される映像以外は白い照明だけを使っているのに、ありとあらゆる光線が豊かな表情を作り出すステージと、1つずつ重なっていく音がそのことを強調しているみたいだ。ライブの生まれていく瞬間を映し出すと同時に、映像が映画として成立していく要素まで分解して差し出されているかのようだ。
それとね、単純にやっぱり音楽はある程度の響き渡る「空間」を必要としているよね。どんなにヘッドホンで大きい音出しても「響く」という過程を経て耳に届くものとはまるで異質だ。たぶんホームシアターシステムで音に取り囲まれる事とも。

舞台袖から暗い舞台の上に差し込む光の中を歩く白いデッキシューズのアップが映し出される冒頭で、既に「それ」が私が以前に観たものとはまるで違うと感じ、これから素晴らしいライブを体験できるのだというワクワク感に一瞬で支配されてしまう。

本題。
このライブ、観られた人はなんて幸せ者なんだ。
TALKING HEADS、格好良すぎるわ。怪鳥デビッド・バーン素晴らしすぎるわ。今日初めてTALKING HEADSのファンになりました。いろいろと凝ったライブというのはあるだろうけれど、このベクトルでこんなに完成度の高いライブって他にあるんだろうか。シンプルなんだよ、シンプルなんだけど唯一無二。まずとにかくデビッド・バーンのあの運動量と奇怪な動きを誰が真似できるんだと。そしてその奇怪な生物がバンドの一員として違和感のない空間を作り上げられるバンド。サポートどころかバンド内バンドのタムタムクラブまで存在させてしまうメンバー。タムタムでのティナがまたかわいいったら。
全員がすばらしく「パフォーマー」なんだよな、とても良い意味で。そしてそのパフォーマンスが今観ても全然恥ずかしくない。ま、洋服はさすがに80年代だけど。時代が1周してかっこいいとかじゃなくて、素直に刺激的だ。

倒しかけたライトを抱きかかえるように捕まえるデビッドを正面から映した一瞬のショットの、そのデビッドが気絶しそうなほど色っぽくてかっこいい。怪鳥のくせに。

メンバーがみんな楽しそうすぎる。特にコーラス2人。
デビッド踊りをマスターしたい。
ティナのがに股ダンスは足が長くないと真似できない。
ビッグスーツの一番面白いところは、デビッドの顔がでかすぎるのでそれほど違和感がないことだ。

STOP MAKING SENSE(曲の方)の演奏中、手動照明演出集団(?)の「蜃気楼」のように照明を手に持ってステージ上を動き後ろのスクリーンに影を投射している照明係に、ふいにデビッドがマイクを差し向け「STOP MAKING SENSE」の1フレーズを歌わせる(というか言わせる)のが、ほんの1瞬だけに妙にかっこいいのだ。これ、DVDで観たときには気がつかなかったんだよな。たぶん、暗くてつぶれてしまっていたのだ。

と、そんなライブを素晴らしい形で観られるこの映画はすごい。

ちなみに今回が日本最終上映だそうです。
さらに木曜日までしかやってません。
でも映画館でこそ、響き渡る空間と微かな光も観られる環境でこそ真価を発揮する「映画」です。
@ユーロスペース、21:10分から!行ける人は行け。

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