2005年04月26日

『冬冬の夏休み』1984

■ビデオを観てから感想を書くまでに時間のかかる映画がある。静かな興奮のようなものを引き起こされ、今すぐにそれを言葉にしたいという誘惑と、その興奮が静かなものだけに、それを言葉にできるだろうかという不安を自覚する冷静さが混在し、さらに、今観た映画が何だったのか、自分の中でまとめきることができない混沌までもが同時に発生しているせいだ。まあ、常に感想なんて、感想でしかないのだが。実際のところ、私が本当に書けることはそれを自分が面白いと思ったのかどうか、それだけだ。

■ともかく、台湾の監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン) の作る映画はそういうもので、さらに言えば読む人に誤解を与えないように言葉にする事がすごく難しい。や、どの映画でも、観て欲しいと思うものほど言葉を発しにくくなるのだけど。静かで、淡々とけれど暖かみを持って人々の日常を描く。彼の映画を簡単に分類分けするとこうなるのだろうか。

■本作は、夏休み前に小学校を卒業したばかりの主人公冬冬と幼い妹が、母親が病気で入院しているため夏休みの間、田舎のおじいさんの家へ預けられるという話で、そこに地元の少年達との交流、おじさん(母の弟)の恋人の妊娠騒動や、村を徘徊する知的障害を持つ女性、強盗、母の危篤などが絡み合う。
■田舎、少年、夏休み、とアイテムが揃っているからといって、そこに描かれるのは大人達が一種のノスタルジーを持って描き出そうとする「夏休みの子ども達」の特権的な、その瞬間だけの光り輝く世界、ではない。知的障害を持つ女性と幼い少女との交流があるからといって、それを装置とした心温まるストーリーではない。母が危篤になるからといって、辛さに堪え忍ぶ幼い子ども達の話ではない。そこには全てがあり、そのどれでもない。世界は子供だけが存在するのでもなく、大人だけが存在するのでもなく、理解できるものが存在するのでもない。

■難しいことなどこの映画は語り出さない。ただ人々の生活を描き出してしまうことがこんなふうに重層的で豊壌であるために、私の貧しい言葉は奪われてしまう。これを言葉にすることができているのは金井美恵子の小説『噂の娘』だ。めまいのするほど情景と質感と匂いとなんやかや、五感に溢れるものを語り尽くそうとしているかのような「もう一つの人生」を生きてしまうようなあの小説。
■ただ、おもしろい。と書くしかないところを悪あがきしているためにどんどん文章が長くなる。

■極度にセリフが少なく、ただ生活している人々のちょっとした出来事の断片をつなぎ合わせただけ、とも言えるこの映画は、こちらが気づかないうちにあまりに多くのことを画面から放っているらしく、人々の心の内面など冬冬が書く父母への手紙でしか言葉にされないのに、まるで全ての人々の感情を知らされているような気持ちになってくるのだ。まるで『ベルリン天使の歌』のあの天使のように、観ている人間は映画の中の彼らのすぐそばに立ち、彼らの全てを知りつくしているような気持ちになる。映画はどんなものでも「神の視点」(登場人物達が知り得ない情報を知ることができる)を持って観ることになる、とは分かっていても、目の前に五感で感じる何もかもがありながら、スクリーンによって決定的にその世界と隔たっているような『冬冬の夏休み』では、あの天使達のように、天使であることをやめたら「その世界」に「人間として」存在することを選べるのではないかとさえ思えてしまう、というのは夜中に書いているが為のロマンチックすぎる思考の暴走だろうか、やはり。

2005年02月10日

『ダンディ少佐』1965

■おじさまったらとってもダンディ、のダンディじゃないです。主人公の名前です。監督のサム・ペキンパーが金をかけすぎて映画界から5年干されたという西部劇。これがまた、良い。70mm級の巨大スクリーンで観たいとつくづく思わせられた。
■観たいのは何よりメキシコへ出兵する時の、延々と続く騎兵隊の行列。だだっぴろく荒涼とした土地に連なる騎兵隊を俯瞰で観ることがこんなにスペクタクルだなんて。なんだかずっと観ていたいと、どきどきしながら釘付けになってしまった。
■それにメキシコの村での祭り、最後のフランス軍との川での決戦。
■チャールトン・ヘストンの毛むくじゃらは巨大スクリーンじゃなくてもいいけど。

■立派な騎兵隊(といっても非正規軍なのだが)が敵のアパッチを追ってメキシコを進むにつれ、数が減り外見もみすぼらしく、レジスタンス軍のようになっていく様が非常にかっこいい。外見と反比例して、どんどん兵士たちの顔が力強くなっていくし、したたかさも身につけて、出来る奴になっていく感じだ。
■敵のはずのアパッチは全然出てこず、むしろ南北軍ごちゃ混ぜの遠征隊の中では常に小競り合いが起きるし、戦う相手といえばフランス軍。この人たちは何やってんだか。
■ラストの男気満点のかっこよさには泣いた。しびれた。

■どんだけ金をかけたのか判らないが、これほどまでに、デカイ画面で圧倒されながら観たい!と切望させる娯楽作を作ってしまうなら許してあげて下さい、と訳の分からないコメントだって出てしまう。
■あー、ほんとにデカイスクリーンで観たい。ペキンパー特集は無いだろうか。

2005年01月24日

『丹下左膳余話 百萬両の壺』1935

■面白いんす。すごく面白いんです。
■映画館で観た時の記憶で、小さなテレビ画面のしょぼさを補いながら観る。たとえ小さな画面でも、おそらくは今作られるどんな時代劇にもない空間の豊かさは充分に伝わってくる。どこまでも町は続いているし、江戸の人々の暮らしがそこにはあると思わされる。時代劇につながる文化がまだ生きていた時代だからこそ作れたんだろうか。
■ちょび安の住む長屋へつづく路地、左膳が住む矢場、矢場前の路地、そこを行き交う人々、金魚釣り。
■そして山中貞雄は最高のエンターテイナーなのだった。そしてモダンなのだった。こ憎たらしいくらいに構図の決まるシーン(あのラスト!)、キレのある切り替え。早い展開。ベタな笑い100連発でありながら、ベタな感情表現なんかしない。子どもが泣くシーンに、ただ背中をロングショットでみせる。ずっと無邪気にいじっていた金魚の壺を傍らに置いてうつむくそのさみしさったら。
■ハワード・ホークスの感想と同じようなことを書いていることに気がついた。なんというか、全体にただようのんきさが粋。いや、粋に裏打ちされたのんきさ。
■この人が病気でとはいえ、厳しい環境だったであろう従軍先の中国で死んだという事実だけで、私は戦争をまたさらに嫌いになりました。
■時代劇スター大河内傳次郎のコメディアンぷりも素晴らしすぎ。「やだい、やだい!」って子どもみたいに駄々こねたり、嫌がらせで店の招き猫にそっぽ向かせたり。セリフ回しの独特さや訛りもひっくるめて、その軽妙さが素敵。


■去年「山中貞雄の完全リメイク!」てことで『丹下左膳 百万両の壺』という映画が公開されたのですが、当時のCM観ただけで憤死しそうでした。たとえ1シーン1カット、すべて同じにしたとしても、今の時代にあの映画を再現する事なんて不可能です。ましてやCMでみた限り全然ちがうし。本編観てないですけどね。
■同じ脚本で映画作ってもいいよ、別に。でも山中貞雄の名前を出すな!大体、山中貞雄の名前は宣伝効果になるのか?誰の虚栄心を満足させるために山中さんの名前を使ったんだ。

■興味を持ったご友人の方、いらっしゃいましたら強制的にDVD貸しますから。観て欲しいよ、ほんと。

2005年01月22日

『トーキョー/不在/ハムレット』

■これは映画ではなく、宮沢章夫演出の演劇です。@三軒茶屋シアタートラム。
■宮沢章夫がどんな人か、というのを一番分かりやすく端的に言うならば、かつてシティボーイズと一緒に演劇をしており、竹中直人の友人であり、松尾スズキの師匠的存在であるといったところだろうか。要するにシュール入っている。
■しかし、人は変化する。進化か迷いか、1つのスタイルに安穏として退化していく事を拒否するならば、模索しながらでも人はそこに居続けることは出来ないということか。しかし私は『箱庭とピクニック計画』や『砂漠監視隊』シリーズが好きだったのだ。セリフ的でないセリフの羅列によって、進むようで進まない日常の空気感。日常に潜む、微妙なズレによって起きる笑い、不可思議。それをひとつの芝居に作り上げてしまう絶妙さ加減を愛していた。

■今作は前作『トーキョーボディ』の姉妹編とも言える作品。長台詞、独白を一切排除していた以前までの作風から一転、善作同様、独白、叫び、長台詞などを多用。また、「生」であるからこそ驚きとなるような仕掛けを常に観客に与えてきた宮沢氏らしい仕掛け、スリットで客席からはかすかに見える程度になっている舞台奥の移動カメラによる生中継、事前に用意された映像とのシンクロなど、前作では刺激的だったその手法が、今回はあざとく見えてしまったのは私が擦れた、ということだろうか?

■前置きが長くなったが、今作を観た感想は「微妙」だ。刺激的で無いわけではない。目指す方向性がつまらないわけではない。しかし、この作品を好きか、と問われれば、好きではない、と答えるしかない。

■ニブロールというコンテンポラリーダンス集団とのコラボレートによって、前回よりいっそう刺激的になったダンスと演劇的演劇のぶつかり合いというか掛け合いは非常におもしろかったが、そこで私はコンテンポラリーダンスへの興味をかき立てられこそすれ、演劇の新しい形を観たという気にはなれないのだった。むしろ、演劇的なそぶりだけがそこには必要なのであって、物語は不必要どころか邪魔なものだった。
■宮沢氏は自身のHPで「これは演劇なのかどうかすら分からない」という評に対し、「自分は演劇をやっているつもりなのだ」と書いているが、まさしくその演劇的部分の突出が私にとって微妙なのだ。
■物語を解体しきれない、セリフを意味のないものにまで出来ないのは宮沢さんが「演劇」を作ることに囚われているからではないか。しかし一方で、物語の解体、スリットや生中継の使用による舞台の解体、コンテンポラリーダンスによる肉体が演技してしまう事への抵抗を試みているように思われる。演劇的なものとそれを解体するものとの融合を図る試みならば、私にはそれは失敗に映る。
■それは宮沢さんのジレンマなのだろうか。私には宮沢さんはすでに「演劇」を作りたくは無いのだ、というふうにみえてしまったのだ。もしや「演劇」の新しい可能性を求めるという意志に固執していないだろうかという邪推。
■この映画版『be foud dead』を観ていないことがまたしても悔やまれる。観ていれば分かったはずなのだ。宮沢さんのやりたいことは映画でしか実現できないのではないか。
■演劇的セリフ回しは好きじゃないのだ。秋幸の独白も、詩人のの独白も、スクリーンに流される長い説明文も、拒否してきた演劇的演劇要素だ。説明くさいのだ。

■宮沢さんの芝居がずっと好きだった。常に観客を驚かせる仕掛けをし、「見せ物」の作り手の誠実さを保ちながら演劇とは遙か遠いところにいるような、そんな感じだったからだ。今考えれば、それは「映画的」ということだったのかもしれない。その宮沢さんが、再始動後の「遊園地再生事業団」では「演劇的」なものに向かおうとしている。もちろん、わざとなのはわかる。けれど、とにかく、今回のこの芝居は物語を物語ることに固執しすぎてはいないだろうか。物語を解体したいという欲望と物語りたいという欲望が、混ざり合うことなくぶつかり合って、苦笑いしている。それが2時間40分という長さに現れてしまっている。そんな印象だ。

■勝手な言いぐさなのは百も承知だが、私が宮沢さんに求めるのはこれではない。少なくともここではない。Beckが『ODELEY』系列といわれている新作を出すにあたり、ロキノンのインタビューで「『シーチェンジ』や『ミッドナイト??』はいろんな事に挑戦するために作ったもので、そのときに一番自分がやりたかったことをやったわけじゃない」みたいなことをいけしゃあしゃあと語っていたように(新作早く聴きたい)、宮沢さんの「これは過程だ」という言葉が、私にとって嬉しい方向に向かうための「過程」であることを願ってしまう。

2004年10月21日

『ドッペルゲンガー』2003

■初めて黒沢清作品を映画館で観た私的記念作品を再見。何度観ても変!面白い!そしてDVDにはおまけがいっぱいついているのだ。
■ホラーを観始めて、爆笑を経て、ロードムービーを観終わる。しかも、とてもすがすがしい始まりとしてのラスト。
■言わずもがな、役所さんがすごい。しかし、あまり好きではなかった永作&ユースケ・サンタマリアの良さもすごい。特にユースケがびっくりするくらい良い。限りなく無表情に近い表情で繰り出す迷いの無い暴力(黒沢監督のよく使う間の無さ加減)が、ユースケにこれほどはまるとは。キレやすいバカ、だけではない根性の座り方は「ビビリ王」ユースケからは想像もつかない。なんだかかっこよくすらある。これは黒沢マジックだ。監督はあまりに素晴らしく役者を撮るので、オダギリジョーがどんなにくだらないドラマに出ていても『アカルイミライ』の記憶がある限り、彼を観たらつい切ない気持ちになってしまうし、この映画以降、ユースケの醸し出すすべてに心のこもっていない雰囲気が逆に面白くなってしまった。
■DVDのおまけメイキングがまたおもしろかった。どこまでが吹き替えでどこまでが合成なのかとか、人工人体が踊りながら崖から落ちていくラストでは黒子(青子?)が3人がかりで踊らせてるとか、映画を作り込む作業現場を観るのはとてもわくわくする。そして黒沢清ファンとしては監督のインタビューも楽しいのだ。この人の語り口はとにかくすてき。笑いのツボがジャスト。
■そのインタビューで助監督の「玉ですか」の一言で決まったと言っていた、階段を巨大なミラーボールが転げ落ちてくるシーンはもう最高だ。ハッチャケ過ぎ、悪のりしすぎ、まさか!と今思い返しても呆然とすると同時に爆笑した記憶がよみがえります。しかもその後にドア、だ。
■幻のシーンとして収録されていた本体と分身の別れのシーン、あれは本当にカットされていてよかった。映画館で観たとき、分身だろうと思いつつも行動が本体ぽくて、境界線があいまいで、不安な気持ちで最後まで観ていた。その不安感がその先の展開をさらに意外なものにしていたんだと思う。でも、今回DVDでこのシーンを後日談として観れたのはまた面白かった。わざわざこういう形で見せるために取っておいたんじゃないかと思うくらい「ウェッティ」なシーンで、一通りこの映画を自分の中で消化してから観るのに最適なのです。

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