2013年03月19日

バック・トゥ・ザ・フューチャー

早稲田松竹の3月の特集がグッと来すぎて通った。鳥、キャリー、フレンチ・コネクション、夜の大捜査線、E.T.、BTTF。ありがとう早稲田松竹。

てなわけでBTTF。初スクリーン鑑賞。今までテレビ画面で何度も見てるのに、改めて面白さを体感してエンドロールで涙出た。細部の作りこみとか、テンポ、超ご都合主義的展開、マイケル・J・フォックスでしかありえない軽快さとか、どれかが突出するとくどくなりそうなのに、いろんな歯車がかっちり合うという奇跡的なおもしろさなのかも。
ドクが若き父親を見て「君は養子なのか?」とマーティに問いかけるシーンは、大きなスクリーンで見るMJFのあふれる生命力の前に説得力倍増。小さい画面では伝わりきらずにやんちゃにしか見えないかもしれない、マーティのきらきら生き生き感はすごかった。
MJFのコメディ特集観たいわ。錦之助特集に通うおば様たちと同じ心根で通うのに

2013年01月22日

『ホビット 思いがけない冒険』

数多くの人がつぶやいたであろう言葉を私も。
LOR、ほとんんど覚えてないわ。
原作も一切読んだことないような自分が何を期待して観に行くのかといえば、ニュージーランドのすごすぎる景色、ていうのが半ば以上です。LORシリーズで「うぉおおニュージーランドすげすぎる」となったことだけは鮮明に覚えている。
そして今回も旅の一行が雪山を進むシーンなど、なめまわすような空撮で壮大な景色を堪能できて、その点はもう満足。これも監督の力量なのか、この物語の舞台として登場すると、あれらの景色はより「すごい」感を際立たせているような気がする。実際に見たことはないんですが。
もちろんそれのためだけに3時間近い映画を観に行くわけではないので、物語もちゃんと楽しんではいるし、3時間近くを飽きずに見ています。
しかし、今回は主人公はおっさんだし、分かりやすい美形もでてこないのはすごいわ。ケイト・ブランシェットが一人で光り輝いちゃって。これを成立させるにはやっぱりLORの成功が必要だったんだろうな。
その分、だかどうだか、みんなが大好き“マイプレシャス”ゴラムが妙にかわいくなってる。ご飯にうきうき、クイズにわくわく、指輪なくしてしょんぼりしきり。指輪返してやれよーと同情してしまうわ、あれじゃあ。この後はでてくるのかな。

続きが今年の年末公開、ということで確実にそれまでにまたディテールを忘れる。
しかし、復習する気にはなれない長尺。
と考えると、やっぱりもう少し短くしてくれないかと思ってしまう。

2012年11月14日

『白夜』

ロベール・ブレッソン 1971年
1978年日本公開以来の一般上映・ニュープリント
−−−−−−−−−
『シルビアのいる街で』ってマルトに出会わないジャックの物語だったのか!対象も本人もとにかく移動し続けるストーキング、垢抜けない服装(茶ベース)、女の絵。すべてジャックと一緒だ、と勝手に発見した気分。
気になって検索してみたら、『シルビア』公開当時もちろんそのことは既に指摘されていました。(Dravidian Drugstoreさま)今回『白夜』を観たおかげで逆に『シルビア』がちょっと分かった気がする。
ちなみに松本零士デザインの隅田川遊覧船も、1971年のパリで航行してた。

ニュープリントということで、ほとんどが夜のこの映画の、闇ににじむ光の美しさが際立つ。ポンヌフの橋脚の間を船(特に零士船)が抜ける時の美しさといったら。
光といえば窓越しに差し込む昼の光にとける産毛とやわらかな曲線。明るい光の中のマルトの裸体も美しすぎる。
それにしても、フランス映画でしかお見受けしない、寄せもしないし上げもしない、白レース一枚っぺらのブラジャーはエロスがすぎないか、と見るたびに思う。

ロベール・ブレッソンのイメージって『スリ』とか『ジャンヌ・ダルク裁判』などの張りつめた空気なので、『白夜』はちょっと意外だった。コメディぽい、よね。唐突に訪ねてくる元学友や、毎晩唐突に画面にインしてくる歌うたいたち、そしてラストのジャックの茫然自失などの「唐突」感に笑いを誘われたのは、映画館で観た感じでは、たぶん私だけじゃなかったし。あ、でも『バルタザール〜』でも、そっちかよ!と突っ込み笑いしたか。

蛇足。『(500)日のサマー』をDVDで観たばっかりだったので、マルトってサマーの系譜?・・・と思ってたらそれもtweetしてる人がいた。やっぱり。

2012年11月06日

『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』

早稲田松竹にて『捜査官X』に続き鑑賞。
こちらは間違ってはいない邦題で内容をほぼ全部説明。
中国のこういう娯楽大作をあまり観たことがないので(ツイ・ハーク作も初めて)、この作品が他と比べてどうなのか分からないけど、ちゃんとしたCG、セット、アトラクション性、起承転結と、あまりにきちんとしたあられもない娯楽作ぶりに感心。宣伝文句の「大・仏・崩・壊!」を存分に楽しんだ。
まあ、ドニー兄貴に続けて観ちゃったので、ワイヤーアクションがすぎるのには若干げんなりしたけど。
しかし、アンディ・ラウの男前ぶりは文句の付けようがないなー。どんなに汚くしても大丈夫。
女帝の髪型が毎度すごいことになっているのにもほれぼれした。全体として、コスプレ劇としても楽しめる。白子の子はもう一癖あるのかなと思わせといてただのちゃんとした子だったのが、せっかくの濃いキャラだったので残念と言えば残念。それはでも、レオン・カーフェイの方に集中させたのか。
「亡者の市」の中国版カリブの海賊+インディ・ジョーンズぶりにはわらっちゃったけどワクワクもしてしまう。。。アメリカだったらテーマパーク前提でこの設定出してるとしか思えないくらいの作りこみ。
まあ、くるっとまとめて、火炎虫が怖すぎるっていう話。
実在しなくて良かったです。

2012年11月01日

『ハンガー・ゲーム』

『ウィンターズ・ボーン』のヒロインが主人公なので観に行ってみた。三部作なんてことをまるで知らずに観たものだから、エンドロールに「ハンガーゲーム2日本公開決定!」とか出されて、どおりであらゆるエピソードほったらかしだよな、まるっと1本伏線かよ!とちょっとムッとした。なんかなー、1作目というより、エピソード0みたいなんだもの。
まあ、そもそもの目的がジェニファー・ローレンスなので、たとえ、父の不在、弱い母、守るべき幼いきょうだい、私が戦うしかないじゃんか!と主人公の置かれている状況が『ウィンターズ』そのままだとしても、健康的な肉体美と強すぎる目力と揺らぎのあるかわいさは存分に楽しめたし、レニー・クラビッツはじめ、その他のキャラクターもなかなか良くて楽しめたんですけどね。ルーは素直にかわいいし。あと、パン屋の息子の恋が本物だと分かるくだりとか、若い恋の描かれ方もきらいじゃない。
特権階級と被支配層の極端な2極構造とか、「特権」のビジュアルとか、映画的にはかつてどこかで見たような感じで特に目新しくもないのだけど、これは分かりやすさを優先することで現実世界のカリカチュアであることを強調したかったのかな。
ただし、これは最近のその他ハリウッド映画に多いのだけど、戦いの映画なのに、動きすぎるカメラと切りまくるカットでアクションをまともに映さないていうのは大いに不満ですよ。
ちょっと時間の経った今となっては、1で出てきた面々(特にキャピトルの大人たち)が次にはどう動くのか楽しみでもあって、きっと2も観ちゃうんだろうけど、パン屋の息子が嫌な役柄に転落してたら悲しすぎるなあと危惧してます。その可能性があるラストだけに。

北方謙三の『水滸伝』『楊令伝』を最近読んだせいで、個人的に「弓」が熱いのだけど(これも観た理由のひとつ)、今年は『神弓』(未見)もあったし、映画的にも弓きてるんですかね?あ、でも前からロビン・フッドは弓ひいてるか。

2011年04月14日

『ヒアアフター』

死後の世界をのぞく、死を体験する、自分の半身のような存在を失う。それぞれの形で死に捉われた人々が、しずかに、けれど決定的に再生を始める瞬間を劇的にでもなく情緒的にでもなく、あっけないほどあっさりと描くのだけれど、その抑制こそが再生へと向かう心への限りなくやさしい寄り添いのようで、涙があふれる。イーストウッドってほんとに天使になっちゃったんですかね。

マット・デイモン演じる主人公の力は本物だけど、クライマックスで超進化とかしないし、少年が求めるものをすべて与えてあげられるわけでもない。けれど確実に生へと向かい始める出会い。それが良い。失った兄の人格まで飲み込んだような、少年のおせっかい電話とそれにまじめに応対するマット・デイモンの笑える愚直さにほんわりしたり。
アメリカから姿を消してどこに言っちゃったのかと思えば、大ファンのディケンズの生家ツアーに参加してマニアぶりを発揮したり、これまた大ファンの朗読者のディケンズ生朗読を恍惚の表情で聞いて惚けてたり、そのただの人っぷりがやたらと良かった。なんというか、それでいいのだ。
ラストもただの妄想癖の変態かよ、とね。
いや、もちろん自ら握手する瞬間はぶわーっときた。

あと、うわさの料理教室のエロさはすごい。じじいはやはり変態…


冒頭の津波シーンはさすがのスピルバーグ印!なのですが、震災後はあれを思い出すだけでもややつらい。今作は震災後に上映休止になってしまったけれど、それはしょうがない。被災地の様子をテレビの映像で見ているだけの自分でも、今回の津波の後では、冒頭にあの映像が出てくる映画を平常心で観続けることはできないだろうと思います。
ただ、ずっと先だろうけど、奇妙だけど静かにやさしく心の再生を描くこの映画を観て、被災した人々が涙を流せる日がいつの日か来ますように、と思います。

2010年12月13日

BTTF3作

週末は映画館にも行かずに『バック・トゥー・ザ・フューチャー』3作をDVDで鑑賞。
ちゃんと観たのは何年ぶりか、いや、こんなにきちんと観たのはもしかしたらはじめてかも。
面白かった。

改めて観て、とてもきちんと作られた映画だなあと思う。エンターテイメント大作として成立しているのに、B旧作品を偏愛するかのようにBTTFを愛するマニアを大量生産するだけの細かい作りこみも多いのがなんともすごいなあ、と。
当時のCG技術のレベルなのか作り手の意思なのか、CGを多用しすぎず、3作すべてで繰り返されるスケボー(ホバーボード)を使った追いかけっこなど、見せるべきところはきちんと見せてくれるし。見直したら記憶の中よりだいぶスタント要素多かったけど、それはもちろんCGではなく本人またはスタントマン。本当に必要なところにだけCGを使っている感じが良いのだよね。

あとまあ、やっぱりマイケル・J・フォックスはカッコイイかわいいです。うむ。
今回初めてトム・クルーズと顔の質が似てるんじゃないかと気がついたんですが、同意は得られますかね?

2010年12月04日

『ブロンド少女は過激に美しく』

オリヴェイラの新作を観ることほど、この時代に生きて映画を好きで良かったなーと思えることはないのではなかろうか。濃密濃厚。そんじょそこらのパティシエでは作り出せない濃さと上品さとわいぜつさのハーモニー。

めずらしくリスボンが舞台で、その俯瞰と街路の美しさにすっかり魅了されてしまう。

事務所の鎧戸、歩道の装飾、少女の家のカーテン。

そして「少女」。
いかにも何かをしでかしそうな雰囲気でありながら、実のところ主人公を従順に待つ美人。若さと好奇心からの過ちを存分におかしそうでありながら、その過ちの種類がちがうという。そもそも原題の「金髪少女の奇行」がそのまま少女の怪しさの種類を示しているわけですが、それにしても成熟していない怖いものしらずな美しさというのは、存在するだけではらはらどきどきさせられるものなんですかね。

主人公のおじさんのキャラがまじめおもしろすぎ。
金持ち邸宅の金持ちぶりに呆然。サロンもそうだけど、こういう豪華でお金をきちんとかけたものを、上品に豪華に撮れるのはオリヴェイラがぴか一だったりするのかな。

列車の中の主人公の回想という形で進んでいたはずの物語が、少女のうなだれた「あしたのジョー」ポーズで終了する瞬間、え、ここでおわり?と、オリヴェイラ映画に付きものののとまどいをいだきつつも、いつのまにか物語を聞いていた自分が、物語の中に取り込まれてしまったような感覚を覚える。「外」にいたはずが、「内」に取り込まれてしまう。そしてエンドロールの列車が去っていくのを、私は物語の内側から見ている、というような感覚。

オリヴェイラの映画はいつもそうやって、物語の内と外といえばいいのか、次元を自由に越えてしまうかも。

2010年04月11日

『ハートロッカー』

良いとか悪いとか大局的な判断を脚本にはのせず、ひたすら現場で生起する行動と感情とを見せていて、そこまで割り切ってこれが現場だ!みたいな描き方は、それはそれで男前だなあと思いました。
即物的ともいえるんでしょうか。ので、土くれのひとつひとつが盛り上がるストップモーションのようなCGは逆に演出過剰に見えてしまい、いらないんじゃないかと思いましたが。あれがなくても充分爆破の威力や緊迫感は伝わるし。
下っ端技術兵が軟弱顔なのはいいとして、主人公の相棒になるかならないかの立ち位置にいるサンボーンの顔はあらかじめ理知的過ぎて、ちょっと物足りない気もしました。
この内容はどうにでも解釈できるので、下手すると、結局のところアメリカが秩序を守ってるんだよーというふうにも見えてしまうのですが、使われている数少ない楽曲のほとんどがMinistry(反ブッシュ親子曲を山ほどつくりました)なわけですから、推して知るべし、なんですよね?

2008年08月26日

『ハプニング』にまつわるなんやら

おもしろかった。
と、まず最初に書いておこう。どうも世の中はシャマランという監督に対してずいぶんと意見が分かれるもののようなので。

私の場合、日頃愛読させていただき、映画選びや、映画感想の指針、参考とさせていただいている数々の方々がみなさんシャマランをおもしろいと思っているということに前作の『レディ・イン・ザ・ウォーター』で気づき、観に行こう観に行こうと思いつつ観逃して未だに観ていないという反省からと、今作についてもなんだか周囲の感想がもにょもにょしているので、自分がどう感じるのかに興味津々で、と映画鑑賞にしてはいささか不純な動機で観賞。
そもそもシャマランは『シックス・センス』しか観たことない。しかもビデオで。世の中ですごいすごいと騒がれたあのオチに対して、あ、そういうことですか、というごく冷静な反応しかできなかった私にとってその後の作品が「シックスセンスの(オチの)シャマラン」という売りじゃあ興味持ちようがないっつーの。でもまあ、本当はそうじゃないんだよね。

で、改めて、この映画はおもしろかった。
黒沢清の世界観が好きなんだろうか、とも思った。
黒沢清映画と比べる、という視点で観てしまったら、あるいは何かと比べてしまったら粗があるだろうけれど、何かしらのどんくささを指摘するよりもまず、意味ありげなアップを撮られた人々が、その後に活躍しそうな言葉を発した人々があっさり死んでいく、あるいは姿も見せない相手に殺されていく、その流れていくようなあっけなさに感動したから。
それに、何らかの異変が起こっても、結局は人の手で元の秩序の中に吸収されていくお話に飽き飽きしていたから。
そうそう、私達は風が吹くのを止められないのと同じくらいどうしようもならないことの中で生きているわけです。その中でただ死ぬ人もいるし、ただ生き残る人もいる。

この映画を、無条件でおもしろいと言ってしまうのはかなりの危険を伴うんだろうか?
何らかの保留をつけながらも、この映画の面白さを書いてくれている方々のブログをいくつかリンク貼っておこう。どれも、ああ、そうだこの映画のおもしろさってこういうことだ、って思わせてくれる。

MINER LEAGUE
帰ってきたハナログ
アヌトパンナ・アニルッダ

まあ、シャマランを好きかどうかは他の作品観てからだな。まずは『レディ・イン・ザ・ウォーター』からか。

2008年05月14日

『パラノイドパーク』

スタイリッシュで嫌味なくかっこいい映画。
でも、何かひどくむなしい。もしかしたら「エレファント」「ジェリー」「ラストデイズ」を観ていなければ素直に面白いと思ったのかもしれない。この映画はそれら3部作で生み出されてきた手法の使い回し、いや、形だけが焼き直されている、ひどく形骸化したものに見えてしまった。

3部作は形式化してしまうぎりぎり手前のバランスを持っていたような気がする。でもこれは違う。美しい揺らぎを見せる映画。でも、何か物語仕立てのPVを見せられているような気分。あるいは少年たちとその文化をおじさんたちがコレクションしようとしている映像の集積。映っているもの、例えば草むらを歩く主人公とかに、ぐっときそうな感じはものすごくあるのに、むなしさが先に立ってしまった。

これはきっとクリストファー・ドイルのカメラのせいなんだろう。良くも悪くもスタイルの完成した美しさ。私はそのスタイルと相性が悪いのかも。こうした映画を監督が望むなら、私にとってはそれはとても残念なことだな。思い返してみれば特に不満もなさそうな映画なのに。

ただし、事故の「切り株」シーンは大変好きだ。映画の流れ的にはあそこをそんなにぎっちり描写しなくてもいいだろうに、やってしまう。かなりの力を込めて。それは狂気かな。あのシーンは、この形式化した映画の中の反逆児みたい。
あと、ガールフレンドの自尊心で体がはち切れんばかりな感じは当然嫌悪感をもたらす類のものだけど、むしろこの映画の中では生々しさが突出していてステキ。

と、ここまで書いておいて牛津さんのブログを読みなおし(書かれた当時以来)、「“幽体離脱的な”映像」「アレックスの独白録」とか、そういう視点で観ればその通りだと納得できてしまう内容なので、もしかしたら自分はこの映画をすごく偏屈な視点で観てしまったのかなあ…と自問自答中。むー。それにしても牛津さんは「ナポレオン・ダイナマイト」の内容をよく覚えている。

そういえば、弟が主人公に「ナポレオン・ダイナマイト」の話をするシーンは、何やら訳が変だったような?そういうふうに弟くんが話しているのだろうか?


監督:ガス・ヴァン・サント

2008年05月08日

『フレンチ・カンカン』

これまた初スクリーン。
そりゃもうなんてったって色彩が違う、そして画面の大きさがとても大切。惜しむらくはbunkamuraの中途半端な大きさで観てしまったことだな。フィルムセンターで観れば良かった。大画面こその迫力とか、効果とか、そういうことじゃなくて、ただ大きければ大きいほどに幸福感が阿呆のように天井知らずに増幅していく、そういう映画だから。もっともっと圧倒的に呑み込まれたかったよ、あのフレンチ・カンカンの渦に!

『フレンチ・カンカン』絡みで大好きなエピソードがある。金井美恵子さんが子供の頃に映画館で観て、家に帰り着くなりタンスから母親のペチコートを引っぱり出して姉妹してカンカンをひっちゃかめっちゃかに踊ったという話。それはビデオで観たときからその昂揚感に同感したし、子供の頃にそんな体験をしているなんて何て幸せなんだろうとうらやましく思ったのだけれど、今回はむしろ、よくも子供が家に帰るまでその興奮と衝動を我慢できたものだと思ってしまった。
それほどに、その場で暴れ出したくなるほどの昂揚感!

でも、体いっぱいにわくわくを充満させて町を歩き、はちきれんばかりの気持ちが遂に衣装とステージ(家)を得て大爆発!なんていうのは、まるで映画の中の、ステージを待つカンカンの娘たちそのままじゃないか。うーんやっぱり、何て幸福な体験。

それにしてもこの映画は『黄金の馬車』の切ないけれど毅然とした幸福感と『恋多き女』なんかの、幸福感に満たされるととにかくみんな愛し合っちゃう、という2重の幸福感が溶け合う映画だったんだな。その溶け合いがまたなんとも涙がでるような感じ。

今回妙に気に入ったのはニニが大公に告白されるシーンで、場違いにカマンベールを持っていることをニニが恥じらって隠そうとする仕草。その様子も花と木の円形の箱に入っているカマンベールとの組み合わせも、何だかとてもかわいらしくて。
とはいえ、どこを切っても『フレンチ・カンカン』。どの瞬間も好きすぎる。


監督:ジャン・ルノワール
1954年

2008年01月12日

『風雲兒信長』

今年の1本目。マキノ1本目。
時代のせいか、歴史物のせいか、固さが目立つ演出の上、どうにも千恵蔵の信長がハナから品が良い。その品の良さを物足りなさと感じてしまうのは、若き日の信長といえば坂口安吾の小説の知識しかないせいかもしれないけれど。
とはいえ、馬で疾駆する姿、舟を曳く群衆の祭りのシーンなどには、問答無用で生き生きした空気が画面に溢れる。今作は、『織田信長』という映画の改題短縮版らしく、もしかしたら切られた残りの部分にマキノらしい躍動感が詰まっていて、映画としてのバランスが出来上がっているんじゃ無かろうかと夢想してしまった。どうなんだろう。

@フィルムセンター
監督:マキノ雅広
1940年

2007年09月24日

『ブラック・スネーク・モーン』

ブルースの映画。
ブルースについての映画じゃなくて、ブルースそのものの映画。
なのだと思う。
ブルースのことはあまり知らない。ただこの映画の中に流れる音楽と、サン・ハウスの映像と、演奏される音楽とが、眼に見えているものと重なり合って溢れ出す空気を、たぶんブルースだと言ってもいいんだろう。

この映画の感想は難しすぎてなかなか書けない。
だって、ブルースをしらない。

ともかく、不安と悲しみと暴力と優しさと愛情に溢れている、しびれるほどにかっこよい映画。

そしてもう、クリスティーナ・リッチが素晴らしく素敵。
惚れた。
まず見た目そのものが良いのだけれど、ビッチな振る舞い、愛情と自制できない不安におびえる顔、常に皮膚一枚下で不安がはちきれそうなもろさが美しくて、その不安と闘う勇気を得ていく彼女も美しい。
こんな女優だったっけ?

サミュエル・Lジャクソン対クリスティーナ・リッチの綱引きならぬ鎖引きがすごい。
少年を誘惑するワンツーステップのリズムが唖然とするほど鮮やかで怖ろしくてすばらしい。
そうしたシーンは何か壮絶なのと同時に笑いも出てしまう。もちろん失笑じゃなくて、すばらしすぎて笑っちゃうんだ。

思い返すと、どのシーンどのシーンもが、皮膚にぴりぴり来るような空気を放ってる。それが説明できない。でもそれが説明できてない言葉はこの映画じゃない。うー。なんかあの、何あの放射物。
皮膚の穴1つ1つがスクリーンに曝されているような映画。

最後に示される、あまりにもかぼそい希望は、そのあまりのかぼそさこそが彼らの虚飾のない心を示しているようで、神々しいくらいだ。


@渋谷シネアミューズ
監督:クレイグ・ブリュワー
2007

2007年07月15日

『ボンボン』

注:観てからちょっと時間が経っているので、感想を書くのは自分の記憶力との格闘でもあります。

この映画に惹かれたのが、すっとぼけた顔のおっさんと犬が、すっとぼけた顔で車に並んで乗っているチラシの写真(この絵面)のためであるとはいえ、心温まる的なキャッチコピーとオシャレかわいいデザインのチラシから感じるのは「不作」の2文字。体験上。
それでもやっぱり、並んで座る1人と1匹のその瞬間のシーンさえ観られればいいと劇場へ足を運んでしまったのだった。

すっとぼけ顔の犬に魅了されていた者としては、その犬の扱いの素っ気なさ、チラシのシーンも含めての呆気なさに幾分物足りなさは感じたものの、映画としてはむしろその素っ気なさこそが全体の雰囲気を作り上げていた。
文化の違いもあるのか、今一つ登場人物たちの意図が善意に基づいているのか悪意に基づいているのか分からない上に、その中をさまよう主人公のおっちゃんが常に口元に浮かべる微笑みもそのあいまいさを助長し、観ている側としては、翻弄されている様に見えるおっちゃんを応援すべきなのかどうなのかすら判断に迷ってしまう。
どうにかしてその口元の微かな動きにおっちゃんの気持ちを推し量ろうと頑張っている間にも物語は展開し続けラストシーンに至る。そして、そのラストシーンでやっと私達はおっちゃんの表情からはっきりとした感情を読みとることが出来るのだ。
そのわずかな違いに気づくように私達は誘導されていたに違いない。
その微笑みはそれまでの困惑を含んだ微笑みから解放された微笑みなのだ。

犬の描かれ方が素っ気ないのはもちろん必然で、犬との適度な距離があるからこそ、ラストのおっちゃんの微笑みも気持ちのいいものになる。

売り文句の「幸せを呼ぶ」とか「世界一ついてない」といった大仰なコピーはにつかわしくない。もっとさりげないし、なんてことはない映画だけれど、おっちゃんのあのかすかな表情の変遷はひどく魅力的だ。


@シネカノン有楽町
2004年
監督:カルロス・ソリン

2007年07月01日

『プレステージ』

この映画をタネ明かしものとして捉えて良いのやらどうやら。
ひどくまじめで丁寧な作りにより、中盤を過ぎれば誰もがそのタネを予想できるのだし、それは失敗というよりは、監督が「さいごにびっくり」という種の仕掛けにこだわっていないためではないか。
あるいは、監督は仕掛け人の立場より、タネを解き明かすべき観客に寄り添っているようにも見える。親切すぎるのか、監督の意図が“プレステージ”にないのか、どちらだろう。
怪奇、SFに広がる振れ幅は1つのジャンルから逸脱したがっているように見えるのだし、始まりと終わりのシーンに森の中のシルクハットを選んでいるのもその証拠のように見える。
さらに、ひどく丁寧で親切な作りは、途中でオチが分かったとしても最後まできちんと魅せる、という作用を果たしている。それはむしろもっと大きなタネを隠しているからなんじゃないの。

クリスチャン・ベール演じるマジシャンにとって「人生すべてがしかけ」であるように、冒頭の監督からの言葉自体がこの映画全体に対する仕掛けなんじゃないか。種明かしものだと思わされているだけならば、この監督はひどくイジワルだといえるな。だってそれって絶対に答えがないぞ。その悶々かげんを楽しむ映画か。一見親切ぶってる分タチが悪い。まあ、そう考える方が面白い。
でもじゃあ、せっかくそんな『フランケンシュタイン』まがいのことまでやったんだから、もっと逸脱してくれても良かったのに、とも思う。私の好みだけど。
せっかくそれだけのネタが揃っているのだからマジシャンの物語からがっつり逸脱して欲しかった。黒沢清作品のように、なんてね。まあ、単に怪奇的なシーンをもっとたくさん観たかっただけ、でもあるが。


@吉祥寺ユザワヤ前
2007年
監督:クリストファー・ノーラン

2007年05月19日

『BRICK』

フィルムノワール!ハードボイルド!
この映画に対し、どの映画評もがそれらの言葉を用いる。この映画の形容にその言葉を使わないのが難しいからだけではなく、本来ジャンルを示すこの言葉達が、そのままこの映画への賛美としても用いられているのだ。これほどまでに純度の高いノワールが、ハードボイルドが、キワモノとしてでなく存在してしまったことの奇跡を伝えるために、その言葉を、高らかに宣言するかのように繰り返す、それがこの映画をもっともよく伝える方法なのだと言わんばかりに。
ということなのだろうと、ノワールもハードボイルドもそこそこにしか知らない私は想像する。とにかくいえるのは超硬度。
実際のところ私自身はなんだかよく分からないのだ、なぜこの映画にこんなに惹きつけられるのか。

大きな理由は主人公。
メガネをかけたさえない容姿、自分の世界に閉じこもる扱いにくい人間。その偏狭さのゆえに愛情は強く、守られたい願望を生む強さを見せ、その偏狭さのゆえに孤独で、守りたくなるような苦痛の表情を見せる。まさかそんな、と次々と意外性を見せつつ、ボロボロになりながら止まることのないその姿に、惚れられずにいられようかね。だから、ついもててしまう。その強さも弱さも見抜いてしまう強靱な女たちに。
そして、すべての始まり。
オープニングの、青い光と水の音、静寂。1点を見据える主人公、そしてその視線の先にあるもの。その静寂と、静寂の長さが美しくて孤独なシーン。なんの説明もないシーンなのにとても悲しい。やや突拍子もない設定の世界に、この最初の数十秒で完全に引き込まれる。あっさりと。
そして、そこで提示された世界観がほんの少しの破綻も見せずにラストまで続く。

彼についていけなくなる彼女の気持ちもよーく分かる。
情報屋に対する彼の扱いがあまりにぞんざいで情報屋がかわいそうにもなる。

世界の雑多性を一切無視して作り上げられる偏った世界。
それを作り上げてしまうのは強さじゃないか?今、それを作り上げてしまう。もう少し破綻していているのも好みだけど、それはそれで。
むー。
この映画の存在がそのまま、主人公のキャラクターに重なる。勝手にだけど。すごいな。

いやいや、勝手な憶測はストップ。
ここはただ、かっこよさに酔う。
かっこよさにただ酔うことが許される映画であることを喜ぶ。
うん。

@シネ・アミューズ
2005年
監督:ライアン・ジョンソン

2007年02月20日

『THE PIXIES/loudQUIETloud』爆音

ピクシーズはかっこいい。
まず何よりもこの言葉。
そしてもちろんこの言葉。
やっぱり爆音は良い。

爆音ならばたとえ興味のない映画でも楽しい。
ましてやライブシーン
爆音でビール片手に見れば楽しいに決まってる。
ましてやこの映画は「LOUD」「QUIET」。
音が大きいほどに静寂は際立ち、
静寂が強いほどに「LOUD」は際立つ。

静寂
どれほど個々人がギリギリなのか
どれほど関係性がなくなってしまったのか
そして再結成ツアーを通して少しずつ生まれてくる新しいリレーションシップ

その描写のどれもこれもに泣きそうだ

爆音
ライブ

そのかっこよさに固まる

とても丁寧な編集の劇映画のようにも見え、けれど描かれている感情のささやかさはドキュメンタリーでなければ捉えられないものであり。
ささやかに、ささやかに、彼らの新しい関係性は生まれていく。
そしてライブ。おそらくはかつてと変わらないのだろう「1つのバンド」。
その2つの波をくりかえし、彼らは少しずつ関係性を変化させ続ける。
そうしたささやかな波をこの映画は過剰に煽るのでもなく、変に淡々とさせるのでもなく見せてくれる。

サントラにメンバーが協力し始める過程は、あまりにも象徴的ながら、やっぱり泣けてくる。

これを観てやっと、2004にフジで観たピクシーズを追体験。すみません、当時はほとんど何も知らないまま見ました。
ブラックの「マタネ」が妙にキュートだったのが偶然の産物ではないことも確認。
この映画の中でブラックが見せる姿のなんて真摯でかわいらしいことか。
「I'm cute」
そうとも、その呪文は完全に効いている。


※吉祥寺バウスシアターにて5.1ch(新!)爆音にて上映中。
金曜日まで!

映画についての情報はこちら
バンドマンな人々、特に向井氏のかっこよすぎて悔しいコメントも載ってます。

2007年01月14日

『BLOCKPARTY』

ラップとかヒプホプとか、ほぼエレクトロ経由でしか聴いたことない。

それでもこの映画は楽しい。
これは『真夏の夜のジャズ』のラップ版とも言えるかも。ライブそのものよりもフェス、パーティが生む空気を伝えてくれる。いや、今作の場合はパーティが生まれる空気かな。
フェスの主催者シャペルを中心に置き、ライブや準備過程、舞台裏を交錯させて、そのフェスの意図することも楽しさもまとめてどーんと味わわせてくれる。

フェスの楽しさはそこをどういう場にしたいかという意志が強く関わってくる。精神論とは言いたくなー。でも作る側の意志って、結構見る側に伝わる気がする。だから、シャペルという人間が実際のところどういう人間なのかなんてまるで知らなくたって、好きになってしまうだろう。こんなパーティを作り上げてしまうのだから。

舞台裏で話されることやステージ上で歌われることの内容のシビアさにへこたれたりこぶしを挙げたり辟易したりするよりも、そういった状況を通してこのパーティが作られたことを祝福したい気持ちになれる。政治性とか文化とかの問題がこのパーティの根底にあることは明らかなだけに、意外とこんな風にバランスを取るのは難しいんじゃないかと思う。

にしても、「壊れた天使」の夫婦みたいなおもろい人たちが生きていけるニューヨークはやっぱり東京より懐が深いな。その分、その他のものも深いけど。

あの辺の音楽っていろんなアーティストがグループの枠組みを超えて入り乱れているのが正しい姿なんだな。「ミュージシャン以前に幼なじみ」。生きていくことと音楽の密接度がひどく濃いっていうのを実感。

もし俺が大統領だったら〜のシーンは卑怯なほどステキだ。
ブログに歌詞を載せている方がいましたのでリンクさせていただきます(こちら)。


でもやっぱりこの辺の音楽は自分とちょっとへだたりあるなあと思いつつも、
エリカ・バドゥ!
エリカ!!!
今さら言うのもあれですがこんなにまじまじと観たの初めてだったので、あえて、
あまりに素敵すぎて惚れた。声も表情も仕草も。
むー
すてきだ。

2006年08月20日

『ビースティー・ボーイズ撮られっぱなし天国』

beastieboys2.jpg

それは、ビースティーのライブが如何に楽しいかを全方位的に記録しようと試みた無謀な計画の集積、
というわけでもなく、
いかにライブに来てくれるファンを楽しませるか、というアイデアの残り香として作られたおまけのようなものではなかろうか?

50人にビデオカメラを持たせ、とにかくライブ開始から最後まで、何でも良いから撮り続けるべし!という指令は、要するに会場中にビースティーの手先を配置した訳でもあって、どこでもオレ映っちゃうかも!という状況が作り出されていたわけだ。

これをライブ映像としてみると、物足りない。
と、武道館の記憶を引きずり出して思う。
この映画に記録されたのとほぼ同じセットで行われたあのライブは、ステージ上とスクリーンに映る映像がすばらしい相互関係を作り上げていたから、それを記録仕切れていない点で、これは残念な映像だ。
もちろん、ブートだとしたら音の良さがA級品だけどね。

ところが、それでもこの映画はとても楽しい。
一番始めに書いたように、これはビースティのライブの素晴らしさを伝えるよりもまず、楽しさを伝える記録だからだ。
その楽しさにわくわくする。それでいい。
それに、物足りないと書いたとはいえ、充分に素晴らしさも堪能できる。
おそらく彼らには、どんな映像で撮られようが大丈夫と思えるだけのステージに対する自負があるに違いないし、実際その通りだし。

でもまあ本当にこれは、ファンを楽しませたい!おもしろいコトしたい!っていうやんちゃ坊主達の記録だ。
ステキだ。

いろいろ書いても結局、私は基本的にADROCKに見惚れて90分が過ぎるんですけどね。ヤツは世界一、やんちゃぼうずという形容が似合って、アヒルくちびるがキュートで、首根っこ捕まえて頭をかいぐりかいぐりしたいオヤジだ。と、再認識。
bboys_adrock.gif
ベックに次いで捕獲希望。

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