2010年09月17日

『ようこそアムステルダム国立美術館へ』

これが映画としておもしろいのかどうかよくわからないけど、ひどくいろいろ大変そうで、少しでもこういう仕事に関わる人が観たらさぞかし感慨深いものがあるのだろうなあ…と。一市民としては、市民運動の引き際というか、目標だけでなく大局を見ることも必要だよなあと身につまされたりした。
それにしても、国の最大の観光拠点である美術館を何年も閉めてでも討論し続けるって、たぶん日本ではありえないから、ちょっとおとぎ話みたいだ。

映像としてひきつけられるのはやはり、そういった状況下でも自らの仕事を続ける人々。絵画修復の女性たちのアートパフォーマンスのような動きはかっこいいし、日本美術担当のわかぞうくんが仁王像を前に目に涙をためてきらきらさせているのをみると、その情熱にもらい泣き。そして何よりこの映画の中で最も映画的なのが警備員のおじさん。彼が工事中の無残な姿をさらす美術館内を1人で歩き、その空間への愛を語り続けるさまはストイックさと狂気がないまぜになって妙に魅力的。この人だけ本当は役者なんじゃないかと思ったほど。

一方の苦労の中心にいる館長は顔で損したタイプなのかなあ。私から見ると尊大顔。しかも金持ち。残念ながら素直に同情したくなる顔ではないのだ。いやきっと疲れた顔ばかり撮られているからだ、ね。もうしわけない…

未だ工事中らしいけど、とりあえず「工事」はされているということなんだよね?
「ちぢみゆく研究所」は果たしてどうなったのかしら。
続編も製作中らしいので、この顛末は引き続き観てみたい。

※映画の題名思いっきり間違えてました。×オランダ→○アムステルダム。なんか違和感あると思った…

2008年05月03日

『ワイルドバンチ』

男の世界が繰り広げられるぜー。
友情ともちょっと違う絆を持った5人のやり取りがなんとも小憎たらしい。殺し合うかと思ったら笑いあったり。Let's go!とかWhy not?とかねえ。しびれる。ハードボイルドてんこもり。

馬もいいんだよね。メキシコの荒野をただ走ってるのもかっこいいけど、泳がされたり、砂丘転がされたり、橋から落とされたり。馬が大量に出てきて演技しているのが堪能できるのってハリウッド映画(かつての?)のいい所だなあと。無条件にかっこいいから。まあ、結構死んでそうだけどね…
ペキンパーは『メジャー少佐』でも大量の馬が出てくるけど(最後の川の戦闘シーンがたまらん)、他にもそういう映画あるのかな。

でも今回久しぶりに観て、初スクリーンでどうだったとかよりも、前回以降にマキノ経験を経たために1つの異変が。ダッチ(Ernest Borgnine)が『次郎長三国志』桶屋の鬼吉(田崎潤)に見えてきて困った。いつ「かんべんしてちょうよ」と言い出すかヒヤヒヤしたわ。顔が似ているというよりは愛嬌の質が似てるような。ただでさえ魅力的な表情のダッチに余計に愛着が湧いてしまった。


監督:サム・ペキンパー
1969年

2007年08月19日

『雪夫人絵図』

主人公以外の全員がダメダメ主人公のことを思いやったり、想ったりしてイライラしつづけるという状況が延々と繰り広げられるという、キリキリ絵巻。
イライラが頂点に達して本来持つ必要の無い人間が出刃包丁まで持ち出しちゃう。
そのすごい状況はしかし、主人公本人の言うような、呪われたどうしようもなさでもなく、主人公を思いやる相手が言うように、闘ってうち破っていくべき厚い壁というわけでもなく、ただ、ねっとりとその空気の中に停滞しているように見えるのだが、そのねっとりさがどこから出ているのかと言えばやはり主人公を演じる木暮美千代からなのだから、やっぱり呪われていると言うべきなのか。呪われているのは「女」ではなく、木暮美千代の表皮をねっとりと被っている粘液質の何か。
その粘液質までが最後には水に溶け、「いくじなし」の一言の元に収束することにむしろほっとしてしまった。

熱海から芦ノ湖への山並み、早朝の朝靄に包まれる山のホテルと草むらのモコモコが妙に現実味がない美しさ。
他の船(もちろん観光船も)ない湖上に和服の女を乗せたモーターボート。かっこいいっす。

ところで田中春男はどこにでていたのだ?
(※梅本氏の文章に記されていました。ホテルのボーイ、あれかー!気が付かなかった。春男ファンとして不覚です。)


監督:溝口健二
1950年
@フィルムセンター

2006年10月04日

『ゆれる』

オダギリジョー演じる弟くんの心の揺れ、弱さから来る自己保身、傲慢さが身につまされるほどよく分かるような気がするのは、ちょっと問題があるだろうか。救われたいがための告発。「すべてを切り捨てる覚悟で相手のために」の「ふり」。そしてその「ふり」に気づかない「ふり」。
バイトくんが救おうとしたのは香川兄だが、実際には弟を救ったことになるな。自分では決して開けない傷を、バイトくんが再び攻撃することでやっと直視できたのだ。奪ったのも弟、救われたのも弟。
では、兄は?
兄のほほえみの意味は?
7年間は、抑圧からの解放だったのだろうか。

登場人物は男ばかり、女は性の道具として扱われるこの映画を観終えたあとは、なんだか少女マンガを読み終えた後の感触に似ていた。ただひたすら切ない気持ちに溺れていたくなってしまうのだ。ほんの少しずつ差し込まれる、オダギリを見送った後の女性達の不満や不安の表情がとても強い印象に残るせいかもしれない。その視線がこの映画を観る感情を形尽くっているような感じもする。描かれているのは男だけど、その動きを支配しているのは女、というのは言い過ぎか。
監督が女性だからということなんだろうか?あんまり女性監督映画を観たことがないからその辺は判断しようがない。でも、魚喃キリコの映画化とか、この人がやったら良い感じになりそうだな、と思う。『ストロベリー〜』観る気ないけど。

香川照之がすてきだ。この人の正常なのかそうではないのか、誠実なのかそうではないのか、の境目のあいまいさは『修羅の極道 蛇の道』でも堪能できます。誠実に見えながら、内部にどす黒いものが渦巻いてそうな役が非常によく似合う。

きむきむ兄やんのいやらしさも素晴らしかった。いやー、いやらしいわあ。いやらしさに満ちあふれてるわ。


痴呆を示す一瞬のシーンに泣いてしまう。どうにも弱い。痴呆と身近に関わったことがないくせに泣いてしまう自分の感情の動きをじっくり考えると、その思考の浅さと身勝手さにうんざりするばかりなのでどうにかしたい。

2006年09月17日

山中貞雄3本勝負

既に観たことがあるどころか、うち2本はDVDを持っていて、さらにそのうち1本はスクリーンでも観ているというのに、いそいそと映画館の特集上映に出かけてしまうのでは、世に言う名画座オヤジだとか、映画オタクなどを笑ってる場合じゃないのではなかろうかとかいう一抹のもやもやを感じないわけではないものの、とにかく映画、特に昔の映画はスクリーンで観なけりゃはじまらねえと勢いつけて新文芸座の山中貞雄3本を観にいく。
それはねえ、スクリーンとテレビの違いが溶暗とか、小津の赤とかでいやというほど身に染みてしまったのだからしょうがない。フィルムにはフィルムにしか再現できない、いやらしいようなとろっとした感触があるのだな。

『丹下左膳余話』(1935)は今回ずいぶんと音がクリアだったような気がする。旧ユーロの倍はあるスクリーンで観られて満足。もう本当に大好きだ。粋なおもしろさに身をよじってうほうほと喜んでいれば終わってしまう。ベタな掛け合いをこれでもかと繰り返すかぶせ技。なんといってもダルマさん。あとコレに出てくる招き猫がかわいくて欲しいんだよなあ。どこかにないのか、あれ。

『河内山宗俊』(1936)はとにかく残念なくらいフィルムの状態が悪い。音も最悪。DVDでは音をデジタルリマスタリングしてるのだけど、フィルムではそれできないのかなあ。ニュープリント、あるいは修復とかできないものだろうか。はっとするほどなまめかしい原節子の立ち姿が傷カーテンの向こう側でせつない。奇跡が起きたのかと思うような、唐突に舞い始める雪のシーンは知っていてもやっぱり胸を突かれる。ああ、これをもっときれいなフィルムで観られたらなあ。

『人情紙風船』(1937)、スクリーンで観たいと思っていたの。やっと観られた。町の作り込みというか奥行きの深さというか、町がそこに「存在」していると思わせられるあの傑作セットを大画面でしみじみと堪能。雨上がりの濡れた石畳、水路を流れる水の黒光りをフィルムのぬめっとした感じで堪能。幸せだ。当時の「前新座」が総出演らしいが、長屋の人間達が本当にすごいんだ。隅の隅まできっちり「町人」が出現。とにかく完璧に「長屋」を出現させてしまっている。3本の中では一番世界の存在が分厚いかも。『河内山宗俊』では「金子さん」の、中村翫右衛門がどうも良い。ずるいくらい。いい顔だなあ。

ああもう!本当にこの3本しか残ってないのかよ!と悔しくてハンカチ噛み切りたくなる。

名画座系に多いらしいが、ポイントを外して大声で笑う人にはうんざり。ていうかお前は「箸が転がってもおかしい年頃」か!溜めのところで爆笑するんだもんなあ。せめて肩を震わせて我慢して欲しいよ。どうにも自己顕示欲の表象にしか見えねえっす。オレだけが分かるポイント自慢、かよ。ああ、映画館って「社会」なのねぇ。

2006年01月18日

『忘れじの面影』1948

■切なさにため息、美しさにため息、つつましさにため息、情熱にため息。何がこんなに切ないのか、何がこんなに美しさを感じさせるのか。映画全体から匂い立ってくるものが観ているこちらの周りの空気まで支配していきそうな、それもあからさまではなく、密やかに、いつのまにか、その匂いが染みわたっているような感覚。

■話自体は女の控えめすぎる態度に歯がゆくなるようなものだが、それにも関わらずあまりに純粋に恋をする彼女の心の切なさが映画全体に満ちていて、それに陶酔するばかりだった。ドアの脇で見つめる彼女、雪の路地でたたずむ彼女、彼と踊る公園、ピアノを弾く彼を見上げるまなざし、ついに彼と2人で彼の部屋に入る彼女、苦しみ、決意し、絶望する彼女、その表情の1つ1つすべてが印象深い。少女、18才、29才と年齢を変化させ、その年齢ごとのまなざしと変わらない情熱を見せる表情は見事としか言えない!1人の女性が少女時代からずっと1人の男性を恋し続けてきたことを、その表情で表し尽くしてしまっているのだから。

■当時30才くらいのジョーン・フォンテインの演じる少女時代は、さすがに頬の痩けが違和感無いとは言えない感じなのだけど、憧れの人の部屋に忍び込むときの軽やかでしなやかな裸足の足の動きはどう考えても少女のもの。

■この映画をどうにもこうにも素敵なものにしているのは、口のきけない(耳は聞こえる)ピアニストの執事の存在があるんじゃないだろうか。この執事はまるで「天使」だ。「天使」とは『ベルリン・天使の詩』の「天使」、すべてを知りながら歴史に介入することなく生きていく存在。彼は少女のジョーンが自分の主人に恋をしていることも、大人になった彼女も10年後の彼女も、その少女だとわかっていて、そっとほほえみながら見守っていたのだ。そうでありながら何も行動を起こさなかったのは、もちろん彼が「執事」だからなのだが、言葉を発せずほほえむという行為が彼に「天使」性を与えているように思える。
■最後に彼女の名前を書いて主人に差し出すという行為は「天使」からの逸脱というより、「天使」ゆえに名前を与えることによって哀れな男のこころを救ったように思える。そうすると「天使」はカッコなしの天使になってしまうのだけど。

■そんな面倒くさいことを考えなくても、この映画は切なくて美しいと言い切るだけでも良い。ただそれ以上の何かがあってその何かを知覚したい。いや、でも、とにかく「美しい」と言える映画です。

2004年10月18日

『わが谷は緑なりき』1941

■『リトルダンサー』好きの友人に観てみるといいよ、と薦めておきながら自分がストーリーを完全に間違えて記憶していたので慌てて再見。自分の記憶力の無さに乾杯だ。自分が信じられなくなるくらいよく忘れている。
■初めて観たときは面白いながらも、モーガン家の描き方に道徳臭さを感じて鼻についた記憶があるのだけれど、今回はそれらが気になることもなく、ただただ美しさと愛おしさに夢中になった。
■兄さんの結婚式からその後の宴会のすばらしくハレの空気に心躍るぶん、その後のアンハード姉さんの結婚式の陰鬱さとの差異がたまらない。アンハードのベールが激しい風にあおられる、そのベールの動きに目をうばわれる。兄さん達が家を出てしまった食卓で、ヒューがわざと食器の音を立てるシーン、末っ子としての存在のアピールと、子どもが出来る精一杯の父さんへの思いやりがなんて言うか、胸が締め付けられます。「宝島」をもらうシーンも大好きだ。うっとりとするシーン、ほほえましいシーン、胸を締め付けられるシーンをあげたら映画一本語らなくちゃならなくなるかも。
■程良く記憶が薄れたらまた観よう。

2004年10月13日

『893タクシー』1994

■観たい映画が山ほどあるので、自分へのプレッシャーとして映画感想日記をつけてみることにしました。
で、初回が『893(ヤクザ)タクシー』(1994)なのはいかがなものか。

■いかがなものかとはいえ、黒沢清監督。青山真治監督助手。
   面白い。
積み重なるダンボールにはもちろんつっこむ。エロエロ大杉蓮ににやり。変な動き満載。と、細かいところでももちろん楽しいのだが、とにかくテンポがいい。これだけのものが詰まって79分てすごい。説明的なものは一切なし、画面を観てればわかるでしょ、と。それでいてエロエロ大杉連のシーンが結構長かったりの遊びも充分あるんだからすごいな。
■豊原功補が刑務所から出てくるシーンと最後に組長が出てくるシーンは同じ撮り方で、違いは最初は豊原がひかれそうになるへっぴりタクシー、最後はタクシーがすごくきれいに連なって走ってくる、そこに妙にじわっとした。その差異に時間の経過と893の皆さんの変化がまるごと詰まっていて、見事なラストに思えたからかもしれない。タクシーが連なってるだけであんなにきれい。
■むじゃきにふざける893を観るとどうしても『ソナチネ』を思い出す。やっぱり『ソナチネ』の沖縄シーンはとてもすてきだ。

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