2013年03月24日

E.T. 20周年アニバーサリー版

そんなわけで早稲田松竹でBTTFとカップリングでE.T.。実はちゃんと観るのは初めてでした。
お兄ちゃんが良い。あとお兄ちゃんたちのやってるボードゲームが気になる。
しかし、大人になってから見るとちょっとばかしお話が甘すぎてもぞもぞしちゃう。要は父の不在で不安定になった子供たちにドッグセラピー受けさせる話しか、とか。若干ひねて見えたり。。。
E.T.はあおりで見たときのアヒル口角度がいちばんかわいい。
自転車が飛ぶシーンは改めて観ると、宮崎駿の浮遊感と似てる。まあ、飛ぶって永遠の夢だよね。しかも友達と連なって飛ぶとか楽しそうだ。宇宙船の描写よりもこっちのシーンにあきらかに力入ってるし。
このころ、アメリカの子供といえばBMXに乗っているイメージを持っていたわ。

2013年01月24日

『阿賀に生きる』

佐藤真 1992年
ニュープリント上映@ユーロスペース
−−−−−−−−−−−−−−
じっさま、ばっさま、おひさしゅうございます。
観るたびにきっと違う魅力が見える映画。
特に今回はニュープリント。
朝顔の色鮮やかさに初めて気づく。木枠の窓から入り込む蔓のくるくるのかわいらしさと瑞々しさったらない。
川面を自在に動き回る川舟集団のシーン。
もしかすると初めて観たときは木の舟につけられたエンジンを無粋だと思ったかも。けれど今回はそんな思いは微塵も湧かず、水面をすべるように進む川舟たちはそれこそ水をえた魚のように見えるし、エンジンを巧みに操るおじさんたちは喜びと誇らしさにふくれあがった子供のようにも、川の神様たちのようにも見えて、やたら印象強い。
地裁に入っていくばあさまたちの背中もあまりおぼえていなかった。とても力強いようにも、とても弱々しいようにもみえるひとかたまりの背中。待ち構える報道カメラの中で、背中を追うこの映画のカメラだけがばあさまたちの側にいるようでなんだか泣きそうになる。

しかしやっぱり、じっさま、ばっさまたちに再び出会う喜びはひとしお。
ニュープリントで頬のつやはよりぴっかり、かっこいいしわはよりくっきり。
あんぱんを前に笑顔で寝ているばあさまはまるで観音さまのように福々しいし、おもちはより熱々にみえるし、肥料袋の前掛けだってよりビビットでかっこいい。

数年を経て観なおして思うのは、きっとこの先年を経て自分の親も自分の世代も登場人物の年代に近づいていくほどに、また見えてくるものが違うんだろうなと。それでも常に、この人たちのもつ豊かさというものはきっとずっと感じ続ける。そんで、どんな土地に行ってもそういった豊かさの片鱗を感じる糸口になってくれる。東京砂漠の根無し草生活のひ弱い身には正面きって受け止めきれないほどの力強さと豊かさなわけだが。。。

絵にかいただるまさんもおどりだす とろっこばったん。

2012年11月15日

『エクスペンタブルズ2』

自分、筋肉指数低いんで、この映画の本当の面白さとかは多分わかってないっす。という前提で。
にしても、1の方がお話しとしても見せ方もしっかりしてたような。どうも撮りたい絵面をむりやりエピソードでつなげている感じが強くて、なんていうか盛り過ぎだと思う。それと、ヴァン・ダムがあんな筋肉バカだったらそもそもリーダー格になれてないはず。最後の対戦への持って行き方が強引過ぎる。あとプルトニウムの扱い軽すぎ。
とまあ、そんなことはこの映画においてどうでもいいんだろう。

筋肉的感想。
リーの出番少なくて不満。ウィリスとシュワが共同戦て絵面は確かにひゃっほーだけど、二人の出番が増えたせいでエクスペンタブルズメンバーの見せ場が少ないのも不満。スタローンの走る姿は1に引き続き、重そう過ぎてもう見たくないよ。。。
でもジェイソン・ステイサムとスタローンの掛け合いは観ていて安心。バーに入ったときの二人のハンチングの似合いようったら最高。若手担当のリアム・ヘムズワーズに走らせまくるのも良かった。チャック・ノリスはコミックリリーフ的扱いだったけど、出てきた瞬間に場内に笑いが起きてたから、あれが正しい登場なんだな。いろいろ各自の主演映画の設定からセリフをひっぱっているようなので、たくさん分かる人ほどニヤニヤ楽しいのであろう。
あとまあ、なんだかんだいって、この祭り感は楽しい。
というわけで、3に期待。

2012年10月30日

『アウトレイジビヨンド』

キャヒンキャヒン吠えまくった挙句にびびりしょん。加瀬亮の小型犬ぶりがもう完璧なまでに小型犬ですばらしい。山王会が続々とやられていくあたりの、無言でざくざく歩く高橋克典とか、乾ききった世界に響く銃の音の連続ていうのがジョニー・トーを思わせたり、それが個人的にやたらうれしかったり。ちょい役の新井浩文がすごくいい顔してたり。たけしの出てくるシーンがむしろほっとするくらいの殺伐さ。前作であれだけ死んでも、日本にはまだこれだけ強面の俳優さんがいるんだな、ということに何やら嬉しくなったり。一人一人語りたいくらい皆さんいい顔してるんだよなー。そんななかで光石研は貫禄のかけらもないのがステキ。そしてあのラスト。
鈴木氏の音楽もとてもよかったのだけれども、これもまたちょっと香港映画を匂わせたような。
殺伐の連続。笑い。複雑に絡み合う思惑。それをこんなふうにカッコよく見せられて満足しないわけない。『アウトレイジ』に続き面白すぎる。
あーそれと、松重さんを最近一番良く見るのが「孤独のグルメ」なせいで、料亭で一人残された松重さんが舌鼓をうつ幻影が見えた。

2012年02月02日

『永遠の僕たち』

1月1本目。
今年最初の映画はガスさんの『永遠の僕たち』。死体のふりをしたり他人の葬式に出たりする男の子が、葬式で出会った女の子にナンパされて付き合い始めて人生がキラキラになるんだけど彼女は彼を置いていってしまう。
なんて、超名作『ハロルドとモード』のプロットじゃん。
比べてしまったら刺激はないと思ってしまうけれど、そのかわりに美男美女の超甘味。ミアさんの洋服がおしゃれだしいちいちデートがかわいいし、フィルムの色味までもがおしゃれ。で、やはりそこに加瀬亮扮する若き元特攻隊員(幽霊)の存在が大きい。彼がいることで僕と君との間の死ではなく、永遠に偏在する死がこの映画の中に広がるというか。映画の中に死が偏在していたからこそ、難病もののいやらしさもなく、ラストのホッパーくんの再生も自然にみえる。

加瀬くんの英語がすごくやわらかくて上手でなんだかすごくよかった。ザ・日本人な役柄なのに、アメリカ映画に日本人が出て頑張ってんなという感じがなくて、ごく自然にガスさんの映画の中の人だった。背負わされたいろんなものもありつつ一人の青年、という感がバスルームでひざを抱えるだけであんなにさらりとしっくりと表現されてしまうものなんだなと。

すごくかわいいんだけどかわいいだけの映画でもなし。

ラストのホッパーくんの笑顔はとても良く。その終わり方が好き。

2010年12月02日

『エクスペンダブルズ』

肉体派映画といえば『エクスペンダブルズ』も観たんだった。周囲とか日頃読んでるブログの方々がみんな揃って思い入れたっぷりに面白かったというのでつい沈黙してしまったが、面白く観たが熱く語れない、のでした。

とてもファンを沸かせる映画であることは理解しているのだけど、そもそもあんまりスタローン映画を観ていないんだよな。Aチームのようにワクワクできず。
…私はいつの時代を生きてきたのだ?

スタローンの足の上がらなさぶりが気になっちゃったり。
ジェット・リーにもっと活躍して欲しかったり。

そうした中で、ミッキー・ロークがとてもかっこよかった。思い入れとか関係なく、この映画の中に確実なものとして存在している。あの涙とか。爆発とかよりなにより、あのシーンを見せてくれてスタローン監督に感謝。

ブルース・ウィリス、スタローン、シュワの三者会談で、ウィリスのアップだけ常に頭が画面に入りきってないのに笑った。ほんとにでかいよ顔が。

2010年09月20日

『アリス・イン・ワンダーランド』2D

『アリス〜』再見しました。2Dで。
3Dで観たときは3Dの意味ねえなーと思っていたのだけど、こうして2Dで観てみると、それなりに3D加工を意識していたのかなとも思える前半部分。後半に行くほどその感は薄れましたが。

boid樋口氏が最後のアリスとハッターの切返しによる絶望感は2Dじゃないと味わえないのではないかと日記で書いていたのがずっと気になっていたので、そもそもそのシーンが切返しの連続だったことすら記憶あいまいな私ではありますが、確認したくて早稲田松竹に行ったのでした。

ああなるほど、と。初見の時にどうして自分があれほどまでにハッターとアリスの関係に胸打たれたのか分かりました。すべてはこの最後の切返しの連続だったんだなと。そこまでは再見のためもあってか、ハッターとアリスの関係性ってこんなもんだっけ?ごく普通の淡い恋愛みたいにみえるなあとぼんやりしていたのですが、最後の、「行くな」「帰る」の問答での切返しの連続で一気にふぐっと詰まりました。
相手の肩越しに喋る一方を捉え、決して2人の顔を同時に映さない。決してこの先2人が横に並んで同じ世界を見ることはないのだという隔絶が繰り返しによって強調されているようです。この切返しの直前に白の女王と仲間たちがわざとらしいまでに横並びになってアリスを見つめていることもその隔絶感に一役買っている。なんと切なくて寂しい切返し。
ここで一気にアリスとハッターが深く理解しあいながらも(もしかしたら一種の鏡のようにあるいは魂の片割れとかいう恥ずかしい言葉もあてはまる)、永遠の別れを余儀なくされるという関係性に昇華されているように思えます。

まあ、人の指摘を読むまでそういう映画的なことなど分からず、ただ切ながっている自分なので、2Dと3Dで見え方がどう違うかなど分かりませんが、確認できて満足。

それにしてもまあ、改めてストーリー的にはいろんなものを切り捨てた残酷物語だなあと。

あと、アリスの困り顔が時々トビー・マグワイアに見えたのですが、これは自分だけの気のせいですかね?

2010年08月09日

『エアベンダー』

これ続き物だったのか。
観終わってから調べたら3部作として製作発表されたらしいのだが、予告編などではその点全然触れられていないのは、興行成績次第で日本の劇場公開見送られたりする可能性があるってことなんだろうか。

本国での評価もさんざんらしい今作、おもしろかった私は何か問題ありなのかなあ。いろいろ突っ込みどころがあるのは確かだけど、きちんと作られている印象。

火の国が圧倒的に悪者なのだけれど、悲劇の王子とそれを支える叔父の存在がその悪にかげりをもたしているし、とにかく王子の存在が大変によい。

今回はプロローグ的で、ロールプレイング式に駒を進めていくばかりの印象もなくはないものの、自分のちょっとしたわがままとうっかりで、自国は滅びちゃうし世界の秩序は壊れちゃうしのエアベンダーくんの苦悩ぶりは続編できっと良い感じの軸になるはず。

あとエアベンダーくんの乗り物ペットはぶさかわいくてよい。

ちなみに2D 字幕で観ました。3Dの評判悪いし。

2010年06月11日

爆音映画祭2

土曜日の夜に『宇宙戦争』を観にいったんでした。
毎年地味に投票続けて、やっと観られる待望の爆音。会場は満員だったようで、おいおまえらそんなに観たいんなら投票しろよとぶつぶつ言いながら入場。
まあ、そんなことはどうでもよい。

期待通りのすばらしさ。おもしろさ。
公開当時、この映画の評価があまり高くなかったというのが改めて信じられない。久しぶりに見た本作は忘れていたシーンもひっくるめてすばらしく面白かったし、爆音は「これがノーマルの音量でしょ」と言いたいくらいこの映画に合った爆音だったのではないでしょうか。
トライポッドの音が怖くて怖くて、やつらが丘の上ににょきにょき立っているシーンはぞくぞくした。
あとはさすがのスピルバーグというべきなのでしょうか、本作では完璧に脇役である軍隊の描写が断然しっかりしていて、これまた改めて感動。それだからこそ、トム・クルーズが戦禍を逃げ惑う心もとなさが際立つんだなあと思いました。
大きな画面で大きな音で観ることの醍醐味を味あわせていただきました。

2010年05月14日

『アリス・イン・ワンダーランド』

1週間経ってやっとドキドキがおさまるような切ない気持ちを、まさか『アリス』で引き起こされるとは。さすがのティム・バートン+ジョニー・デップ。マッド・ハンターなんてあのメイクなのに。あれなのに。

個性豊かな登場人物たちのすべてが素晴らしく個性豊かで魅力的。芋虫、双子、白の女王が特に魅力的。ストーリーも一見悪を倒すことになるけど、白の女王と赤の女王姉妹ってたぶん本質的にはどっちもどっちだよね?ていう歯切れの悪さがむしろアンダーランドらしくて良い。

とにかく全編通して抜かりなく面白く楽しんだのですが、しかし、少女時代のアリスが父親にもらった言葉を、現在のアリスがマッドハッターに贈る、そのシークエンスに心を打ちぬかれてしまい未だその衝撃から完全に脱出できない身としては、『アリス』のことを考えるとまず切ない乙女な心になってしまうのです。
もうとにかくそれ。
それはラブシーンとも言えるし、自分の宝物を与える相手を見つけたアリスの成長と、渇望していた何かをついに与えられたマッドハッター救済の瞬間でもあるわけで、なにかそれ以上のものなんだよなあ。と、思い入れが暴走してしまう。でもそうやって安心してのめりこむことができるだけの映画。

3Dで観たけれど、最後のエンドロール前のキノコにょきにょき枠(これは素晴らしかった)以外は特に必要性も感じず、むしろこれだけよくできた映画は2Dで落ち着いて見直したいと思いました。

にしても言葉遊びの多い「アリス」、映画の中ではそれほど多くなかった気もするけど、字幕版はともかく吹き替えだとどうなってるんでしょう。モンティ・パイソン並みの超吹き替えとかされてるのかなあ。ちょんちょん。

2010年04月13日

『インビクタス』

イーストウッドと聞いただけで血流がよくなってしまうような私ですが、やはり『インビクタス』もすばらしい映画でした。なんといってもこの「出来過ぎた実話」からベタさを排除しているのがすごい。硬質さからもくもくと湧き上がるような感動。

一方大統領に対する攻撃かと思われるシーンはむしろコテコテに描かれていてギャグのようにも見えるのですが、もしかしたら、大統領が持っている危機感との差を際立たせるためだったのかもと思いました。

マット・デイモンがすばらしく良かった。表情の変化と、少ないセリフでみごとに表現される心の変化。そのほかの役者たちの顔もみんないい顔だったなあ。

サッカーW杯開催を控えるこの時期に、主義主張よりも人の心の変化に焦点を当てている、ただこういうことがあったんだよだよという事実をぽろんと投げ出したようなこの映画が作られたことは、南アへの贈り物のように思えます。

それにしても、この先も行くことはないであろう南アですが、自然景観が相当魅力的。

2010年04月12日

『アバター』3D

むやみやたらに3Dがもてはやされて、むやみやたらに映像の3D化が進んでいくのはいやなので、3Dとかいらねえよ!と日ごろは言っているのですが、これは転換点かもね、という意見を読んだりなんだりしていたので、確認はしておかねばと。

見た結果、キャメロンがやりたい3Dというのは表現の一形態なのかなと、良い意味で腑に落ちました。飛び出すのではなく、深さを求めているように見えたので。
逆に予告で見たアリスの3Dは後付けだからなのか、予告でそういうシーンを集めているだけなのか、ちょっとアトラクションチックに見えてしまったので、やはり3Dという表現はよほど気をつけないと下品になっちゃうというか、「映画」ではなくなってしまうのではないかという気は相変わらずします。『アバター』がそうではなかったというだけで。

3Dはきっと、今後数年間(たいへん普及してもらいたくない3DTVが一般化するまで)は映画館にお客さんを取り戻してくれる手段のひとつになりえるでしょうが、どうも2Dを映画館で観るのとは意味合いが少々違いますね。メガネひとつでものすごい隔離感。あ、あとメガネ人にはやはりちょっとつらい…。
やっぱり映画館にこさせる手段は爆音だね、という世の中の方が私としては好みです。そうなれ。

映画本体は主義も展開も非常にシンプルなおとぎ話。いろんな映画の良いとこどりという評価は間違いないと思いました。残念ながら飛翔シーンやマザーツリーの俯瞰といった視界の開けるシーンでも閉塞感はありましたし、突っ込みどころもいろいろある。それでも、よくまあこれだけの世界を作り上げたなあ、と素直に感心してしまいました。

あと、主人公の本体とヒロインが「初めて」出会うシーンにも素直にぐっときました。はじめて見るはずの主人公の本体に一切戸惑わないヒロインがすてきです。

2009年01月06日

『アンダーカヴァー』

ちょっとひねくれてみた育ちの良いおぼっちゃんが、悪に真っ向からさらされて、まっとうになる。そんな特にひねりのない話を、順当に決着まで見せる。ふむ。

あらすじで映画を観るな。

観終わった瞬間は、なかなかおもしろかった、という程度の感想。でも、なにがどうおもしろかったんだろう、と改めて考えるうちに、思い返すありとあらゆるシーンに涙。
ついでに古き良きフィルム・ノワールを思い出したり、ダーティ・ハリーを思い出したり。

なによりホアキン。もしかしてホアキンはイーストウッド並みの強度を持った役者なんじゃなかろうか。少なくともこの映画のホアキンはすごすぎる。ぐっとこらえる表情、恐怖に震える表情、そういった顔を長すぎず短すぎず映すスクリーンに目が釘付けになる。単純すぎるかもしれない心境の変化も、ホアキンのその表情があることで説得力を持つ。
そして、あの指先。許しを請うようにそっと足先に、指先にふれる手。主人公が、表裏を問わず、周囲の人間みんなに愛されることも、あの畏れを知る指先が納得させてくれる。
そういうことを、言葉ではなく、説明的な映像でもなく、そっと映されたシーンで想像することができるのはずいぶんとしあわせ。

カーチェイスのシーンもずいぶんと好きだ。揺れすぎず、切り返しすぎず、奇をてらいすぎず。近頃観たカーチェイスシーンでの不満をここでは一切感じなかった。それに、転げ出るホアキン…涙。

決着しながら、何の達成感も幸福感も見せない、それでいて、過剰に悲愴ではないラストシーンも好きだ。

ともあれホアキン、役者やめないで!

2008年10月27日

『イーグル・アイ』

アイデア的にはごく古典的なSFで、監視世界や父親の不在といったいかにもスピルバーグ的な要素をちりばめて、大作でもなく小品でもないなんとも中途半端な印象の、決してつまらなくもないこの映画で、やっぱり一番の見どころは主演のシャイア・ラブーフの呆けた口半開きの表情なんじゃなかろうか。

口半開きが似合う男優といえば、以前蓮実氏が何かで書いていて、まったくそうだな、と思ったのがトム・クルーズで、半開きが似合うというよりもトム・クルーズが魅力的なのはあの半開きにあるとさえ言えるわけで、スピルバーグは製作として関わるこの作品で、トム・クルーズの後継者を得ようとしたんじゃないかと思ってしまった。
まあ、シャイア・ラブーフのぽかーん口がなかなか魅力的だったということを言いたいだけなんですけど。

だからといってその顔をひたすらアップで映されれば嬉しいわけでもなくて、シネスコのくせにやたらアップが多いし(取調室でのアップショットの切り返しの連続はちょっとださくはないですか?)、カーチェイスなどの場面ももっと引きの絵を交えてほしくてもぞもぞしてしまった。

寄りの絵が多いわりに決定的な顔を見ることが出来なかったような気がして、それがこの映画の印象を薄くしているような気もする。と、えらそうに言ってみる。
FBI捜査官の顔はなかなか好きな顔だし、イーストウッド張りに(とか言うとハードル上げすぎか)途中で傷を負ったりもするのに(しかもおでこという丸見えの位置に)、結局なんだか印象が薄くてもったいない。

あと、人が死なないね。じゃんじゃん死んでいるはずの人間がまるで映されない。1人も映らない訳じゃないけど、とばっちり受けている人たちは映らない。スピルバーグだったらさぞや嬉々としてちぎれた何かしらを画面にちりばめそうなもんなのに、監督にまかせたのか、そういうのは自分の監督作でやればいいと思ったのか、どうなんでしょう。

2008年09月16日

『アカルイミライ』

これも初スクリーン。
要するに早稲田松竹の黒沢清2本立てを観たのだ。早稲田松竹はイスが大きくて列間が広くて観やすくてこんな2本立てをやってくれるので大変好きであります。

黒沢映画の中では異色だなあ、と改めて思う。衣装も色調も。
でもまぎれもなく黒沢清か。観終わった後に後ろの席にいた、『CURE』を好きらしい大学生くらいの男2人が「これは、なんなの?」と非常に素直な感想をつぶやいていて笑った。確かこれってきよぴんが、メジャー作品作るぞ〜って頑張った映画じゃなかったっけ。そのずれっぷりがなんとも黒沢作品の魅力でもある。ある意味天然。

笹野さんの絶妙な悪意のない(意識していない)デリケートのなさ、気にさわる感じが素晴らしすぎる。絶対的に越えてはいけないラインを踏みつけても気がつかない鈍感な人間はああいう末路を辿るのだな。

接見室の異様さがスクリーンで観てより際立つ。光のさし方がすごい。

それでやっぱりスクリーンで観ても、この映画のラストシーンは素晴らしすぎた。なんでだか分からないけど、高校生達が表参道をだらだらと歩くだけの移動撮影がとても感動的で泣けてしまうのだ。はしゃぐ彼らもいいが、車道に出て、交通整理のために動員されている多くの撮影スタッフを従えるように歩いていく彼らがまた。
たぶんそれはそこからこじつけて読みとることの出来る意味とかは何も関係なくて、ただそこに映されている「運動」に感動しているんだと思う。なんでだかわかんないけど。

2008年01月20日

『俺たちフィギュアスケーター』

この映画の笑いを物足りなく感じたのは、何も『アトミック・カフェ』に続けて観に行ったせいばかりではないはずだ。

普通に笑った。でも熱狂できない笑い。
スケーターの体型も競技内容も無茶ぶりの割りには、その無茶を押し通すパワーが足りない。監督が体力がない人なんだろうか、主人公のパワーに頼っているせいで、そのパワーを増幅できてない感じ。マキノ病の私としては、無茶を承知でうねりに負ける、くらいの濃さが欲しいわ。
まあ、笑いの内容もちょっと安全ライン取りすぎてるようにみえるけど。
あ、ベタながら、大会のマスコットがボウガンで撃たれて失神するカットが長めに入ってるところは好き。

この映画は当然、『ナポレオン・ダイナマイト』のジョン・ヘダーの活躍を観たいから観に行ったんだけど、あのレベルを期待してしまうと、これまた薄味だよね。ふつうなんだもん。唯一、ウィル・フェレルのご自慢のブラシをうらやましそうに見つめるシーンにぐっときたぜ。まあ、同作監督ジャレッド・ヘスの『ナチョ・リブレ』の方がもっと悲惨だったけど。彼らはもっと出きる子たちだと信じてる。


とはいえ、この映画をちょっと好きなのは、ラストのせいだ。
青空に浮かぶ、風に吹かれる2人の寄り添う顔に(どういう状態でそうなるのかは観てない人は知らない方が良いでしょう)、まあ怒られるだろうけど…怒られるだろうな…、シュミットの『ラ・パロマ』を瞬発的に思い出してしまったのだ。一瞬のショットに不意を突かれて涙がこみ上げそうになっているうちに映画が終わってしまったのだった。
この瞬発力はヒドイ勘違いで発動されたのかもしれないが、それでも…


@シネマGAGA!
監督:ウィル・スペック
2007年

それにしても、いくらビデオスルーされそうだった映画だからって、公開するって決めたんならパンフか冊子くらい作れよ、GAGA。買わないけど。

2008年01月18日

『アトミック・カフェ』

神様の言葉を聞いているから俺たちは決して間違えないぜベイベー
爆風が来たら物陰にさっと隠れるんだぜベイベー
どんなことだって心構えさえあれば平気なんだぜベイベー
…てか。

膨大な膨大な膨大な量の資料映像を数年にわたって見続け、それらをまた数年かけて再編集するという、忍耐力とか根気とか、そういうんじゃなくて、それはやっぱり一種のパラノイアだ、としか私には理解できない情熱でもって作られたこの映画は、「再編集」によって、元の意味が解体され、359°彼方の意味へと生まれ変わっている。
なんて、そんなことは佐藤真氏の『ドキュメンタリーの地平』にすばらしく魅惑的に書かれているのだけれど、やっとのことでそれを自分の目で確認できて、そしてやっぱりその意味の新生のあまりのきわどさに唖然としてしまった。

原爆・水爆開発推進のプロパガンダ映像を中心にしながら、一言の新しい言葉も付け加えないままに、本来の目的とはまるで違った意味を持たせているけれど、もしかしたらこれは原爆推進派にも受けてしまうのではないかとふと不安になる。そうした不愉快な誤解とほんの1線画したところで展開しているからこそ生まれるすさまじい批評性なのだけれど。
とはいえ、同じ土俵に上がってしまっては、もはや単なる揚げ足取りの応酬で議論にすらならないということはままあるだろうに、この映画はあえて敵の土俵に上がって敵のふんどし締めながら、そうしたむなしい言い争いとは一線を画している。その薄皮一枚のきわどさが、くどいようだが本当にすごい。

この映画を見て、アメリカにおける冷戦時代の大衆への情報操作・洗脳の怖さを噛みしめるのは当然。でも、それらの内容の愚かさを笑って済ませられないのも当然。
それらの情報操作は今も、当然日本でも、継続しているし、あらゆるワイドショーやバラエティ番組、「討論番組」的なものの中で、さもそれらしい顔をして問題視している態度を見せつつ、本当に考えなければいけないことから巧妙に論点をずらしている、などということは当然のこととして受け止めなければならないんだ。
そんなことに常に意識的になっているわけにもいかない、私達には日々の生活があるのだし、日々の楽しみもあるのだから。そしてまさしく「常に意識してはいられない」ことのもたらす何かに何やら胃の辺りが冷え冷えしてしまう。

ていうかね、
1回見ただけじゃ情報量が多すぎて処理できない。観念的にじゃなく、この映画の中に映っているものをただきちんと「見る」ためには何度か観ないとダメだな。簡単にこれを整理整頓しちゃだめだ。

ともかく脳味噌にひどく刺激的な映画。


@渋谷シネセゾン
監督:ケヴィン・ラファティ
   ピアース・ラファティ
   ジェーン・ローダー
1982年

2007年07月16日

『石の微笑』

幾重にも幾重にも重なって、その重なりには果てが無くて、隙がない。あまりにも凄すぎるこの映画をどうしたらいいのか分かりません。
面白いことに間違いはないのだけれど、「面白い」と軽々しく言ってしまうと、空気とも言える何かが薄く何重にも折り重ねられることによって出来上がっているこの映画を上から軍靴でグシャリと踏みつぶしてしまいそうで怖ろしい。とはいえ、本当は幾ら踏みつけようとしても潰れはしないほどにそれは堅固なんだ。

本当は薄くて脆いものが幾重にも幾重にも重なり合って、これほど強固なものを作り出してしまう。そういう映画。ただ、その重なり合いの中に空気は存分に含まれていて、観ている側はそこに含まれている空気だけで呼吸しているような気がする。息苦しくはない。ただその層の中に囚われてしまう。

これはフィルム・ノワールと言っていいのだろうか。
ある愛の物語。サイコ。犯罪。虚言。狂気。驚喜。

あの怖ろしい女になぜ彼はあれ程に絡め取られなければならなかったのか。この物語はそこが納得できなければ成立しない。その全てを、石の微笑が説明している。あまりにも見事に。

主人公の1人であるブノワ・マジメルのナイーブさがお見事。サイコに絡め取られるのに充分な優しさと危うさ。
そしてそれを包囲するローラ・スメットのファムファタルぶりがまた凄すぎ。

尾行する刑事のズコっとしたシーンはほんの一瞬でありながら、その後の怒濤の展開に備えて観客に瞬間の休息を与え、気持ちをリセットさせる。ああ、あのタイミングは本当に絶妙だ。

冒頭の青い色調でふと『BRICK』を思い出した。あまりにも凄すぎるこの映画を観た後でむしろ、『BRICK』は本当に良く頑張っている映画なんだなと思う。て、私は何様だ。


@渋谷Q-AXシネマ
2004年
監督:クロード・シャブロル

しかし、この映画がレイトのみ(後からモーニングも加わったけど)だけだなんて、何か戦略を間違えてないか、Q-AX。

2007年06月01日

『明日、君がいない』

この映画を観てからこれまただいぶ経つのだけれど、なかなか感想文に辿り着かなかった。というのも、この結末にひどくショックを受けたからで、それが普遍的事実を真っ向から突きつけられた故のショックだからだし、そうではあれ映画としてのこの作品が優れているのかどうかについてはちょっと判断できず、例えば監督本人も影響を認めている、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』と比べてしまえば、同じ手法を取っているだけにその見事さに到達できない稚拙さが見えてしまう。
けれど、そういう視点でこの映画を切り捨ててしまうこともできない。要するに私につき刺さったこの結末が映画としての力なのか、自分の心の問題なのか分からなくなって困惑しつづけている。
不幸なことにこの映画は1人で観に行ってしまったうえに、なんだか迂闊に他人に勧めることもできなくて悶々と。


※さて、この先は結末にかなり言及した感想文になっておりますので、観る予定の方は読まない方がいいでしょう。

@シネアミューズ
2006年
監督:ムラーリ・タルリ


続き↓

続きはこちら↓

2007年04月22日

爆音『エリ、エリ、レマサバクタニ』

やっと本当にこの映画を観た。
と言いたくもなる。爆音。
歯がゆかった通常上映。
爆音でこそ、この映画を観たかった。観れました。
爆音用に作られたとしか思えない、音とセリフのバランス。
爆音で観て、つまんねえと言われたらあきらめるが、DVDで観て、つまんねえなどと言うヤツは「シネ」。ってね。そのくらいは息巻いてもいいんじゃないだろうか。

海の音にはどんな音も「かなわない」ことを体で感じ、最終的な演奏が草原でこそ行われなければならなかったことを体で感じる。ライブハウスの濃密な反響もすごいけど、どこまでもどこまでも空に拡がる音!たまんないっす。

突っ込みどころはあるし、エリカ嬢や筒井氏の衣装に、いくらなんでもどーよそれ、と言いたくもなるが、そんな細かいことは放棄してみよう。
極端な話、この映画が面白いか面白くないかすらどうでもいいような。だめ?音だけで泣けるし、音だけで話しが進んでいくし、そこで繰り出されまくる音だけで、もう十二分にこの映画は刺激的。
そうでありながらその強すぎる音ときっちり混じり合う映像がそこに繰り広げられている事は、すごいことなんじゃないか。

それにしてもまー、岡田茉莉子さんの存在感には今回も圧倒されました。

※もう明日明後日(23・24日)のみの上映。21:10〜
行ける人は行け!行けばいいと思う。
http://www.boid-s.com/2007/03/241.php

@吉祥寺バウスシアター
監督:青山真治

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