2007年04月28日

『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

メリル・ストリープは苦手だし、カントリーには興味ない。それでもこの映画に最後まで惹きつけられたのは、そこで繰り広げられる人々の豊かな交わりや歌やショーの進行の巧みさだけのためではなく、むしろそういった「人間賛歌」といった言葉で一括りにしてしまえるかもしれない群像劇を進行させているのが、ハードボイルド気取りが間抜けさを助長させているだけの警備員と、過剰にセクシーなムードを漂わせる美人の天使という、枠組みからはずれた2者であるためだ。
2人はショーには何の影響もおよぼさないままに舞台の上も裏も自由に動き回りながら、出演者達それぞれが持つ「最後のショー」への密やかな感情の高まりといった流れをスカしていく。
そのスカしは、たとえ「終わり」においても何もかもがそこに収束することはないし、「終わり」がなにかを決定的に支配してしまうこともないのだということを示していて、人々の豊かさに加え、まとまらないということの豊かさをみせてくれる。
煩雑さの豊かさ、そう書いてしまうとひどく陳腐だけれど、それをハードボイルド気取りの間抜けに取り仕切らせることで、ひどく間抜けに生みだしてしまうことのチャーミングさが、メリル・ストリープやおばさん特有の下品な笑い声といった本来苦手なものを越えてしまう。キレイに整ったモノなんかいらない、という意志のようなこのチャーミングさは好きだ。

それにしても、この映画で取り上げられている番組が現役だということに驚く。いつの時代の話しだよ、と思いながら観ていたら現在の話しだったことにさえ驚いたのに。懐が深いというかなんというか、いやはや。


@bunkamura ル・シネマ
2006年
監督:ロバート・アルトマン
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