2006年10月05日

『近松物語』

抑圧された純情ほど怖いものはない、ってこと。

初めて男に愛される喜びを得た女の情念も、怖い。
男の名を叫びながら、痛めた足を引きずり山を駆け下りる、その姿のすさまじさは愛で捕らえるべきか恐怖と捕らえるべきか迷うほどだ。
逃避行の中で、お歯黒がとれ、眉毛が生えてくる、分かりやすい外側のサインに伴って奥方から1人の女へと変貌していく様もすごい。いやもう、びっくりするほどかわいく美しくなってしまうのだ。時が経つほどに、女の妖艶さがにじみ出る。

抑圧された果てに溢れてしまった純情は、それまでの抑圧と、更なる抑圧によって巨大なモンスターとなり、周りのものすべてを破壊する。それだけではない。結局、破壊しきれなかったシステムに捕らわれながらも、それを本来あるべき恥辱や恐怖としてでなく、愛を貫き通した自分たちへの勲章のように迎えるならば、その時点でそのシステムはシステムとして機能することが不可能になってしまう。システム自体は存続する、しかしその意味はもはやそれまでのものと同一ではあり得ない。
純情は、世の中のシステムをすら破壊する。

映画の最初の方から、いずれそうなると思ったと納得させるような2人の間のほんのささいなやり取りの繰り返しが、本当にすごい。なんだろう、あ、この人自覚してないんだな、ていう微かな雰囲気が。

琵琶湖に身を投じる直前に愛を告げられ、足を縛られたまますっくと立ち上がったときの香川京子の顔、山を駆け下りて転び、それを見かねて出てきた長谷川一夫をなじりながらしがみつく香川京子の肩、すさまじく「女」です。怖いよう。

スクリーン+ニュープリントで観られたおかげか、画面の白黒は触ったらとろりとしていそうだった。2人の情念の強さにふさわしいとろとろ加減。


これが実は初溝口。他の作品もあらすじを読むと「女」がすさまじそうで怖いです。せめて後1本は特集上映で観たいな。
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