2011年05月11日

うれしーとふじやん

このブログでは唐突ですが、水曜どうでしょう絡みのお話し。
D陣日記で藤村氏がごくまっとうなこと(私にとって)を書いてます。
読んでほしいので貼っちゃいます。
http://www.htb.co.jp/suidou/
5月10日火曜日。藤村でございます。

先月、東京に出張しておりまして。

そんで夜の街を歩きますと、以前と比べてずいぶんと薄暗い。

派手なネオンサインや街角のスピーカーからガンガン流れていた音楽は、計画停電の影響と、そして自粛ムードの中で、なりを潜めておりました。

でも東京の人たちは口々に、

「薄暗くてもまったく問題はない。むしろ、このぐらいがいい」

と、言っておりました。

しかし、数日を過ごすうちに、渋谷交差点あたりでは徐々に音楽が鳴り、またうるさくなり始めておりました。

自粛がそろそろとけた、ということなんでしょうか。

「自粛」・・・

今回の場合、派手なネオンサインやガンガン鳴り響く街角のスピーカーは、そもそも「自粛」ではなく、「節電」という大きな理由があったはずです。

自粛をとくのはそれぞれの判断でしょうが、「節電」がとけるのは、「電力がすべて復旧したとき」、になります。

「電力がすべて復旧したとき」、とはつまり、「原子力発電所を含めた電力供給源が今までと同じく稼働するとき」ということになります。

そこを間違ってはいけないと思います。

社会の人々は今、「原子力発電所が今までと同じく稼働すること」を求めているのでしょうか。

もし、そうではなく、「もう原発には頼らない社会」を求めているのだとしたら、これからも「節電」は続けなくてはいけません。

「節電」を「自粛」という言葉にすりかえて、「さぁ!そろそろ自粛ムードを振り払って、街に明かりを取り戻しましょう!」という動きに、なんとなくなっているとしたら、それはすなわち、「今までと同じく原発を利用しましょう」と言っているに等しいということです。


私は最近、すっかり早寝早起きになりました。

テレビも夜中まで見なくなりました。

街角のネオンが消えていても、別に寂しいとは思いません。むしろ、いい感じだと私も思います。


もう地震はいらない。

もう津波はいらない。

もう原発はいらない。

この中でひとつだけ、自分たちの力でなくせるものがあるんです。

「自粛」という言葉は、私は今、大きらいです。


藤村氏も嬉野氏も常にまっとうなことを書いてるんですけどね。
このまっとうさが、とても心強いです。全国にどうでしょうバカ(藩士とまではいかずとも)はたくさんいるでしょう、そういう人たちの多くはこの人たちの言葉に頷いているだろう、そういう立場の人がこうまでも真っ当なことを堂々と書いてくれることに、とても力をもらいます。ありがたいなー、とも思います。

震災直後の日記では、うれしーがいつも通り「各自の持ち場で奮闘」せよと書いておりました。いつも日記の最後に書く言葉ですが、この時はこの言葉の意味がとても重かった。なにもできない自分のふがいなさに発狂しそうになっても、この言葉を繰り返してどうにかこうにか日常を送りました。働いて、金を送る。私にとっての「持ち場」はまずはそこなんだと思えたのはこの人たちの真っ当さのおかげなのだなあ、と改めて思った次第。そして、より「奮闘」しなければならぬな。
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