2005年05月11日

『ルーキー』1990

■イーストウッド監督・主演。縛られたまま女にヤられたりもする当時還暦の人。
■相方がチャーリー・シーンっていうのがいろいろと複雑な気分になる『ダーティ・ハリー』的警官映画。

■イーストウッドは常に亡霊的ということを阿部っちや蓮実氏あたりがよく書いている気がするのだが(すいません、文献手元に無し)今までは、まあそんなもんか、と思っていた。『許されざる者』などの唐突性とか言われてみれば確かにそうなんだけど。それが、久しぶりに観たこの映画で「亡霊説」、我が意を得たり!となった。この映画ではイーストウッド、生き霊となってチャーリー・シーンに憑依します。映画後半、イーストウッドが犯人グループに捕らえられて身動き取れなくなってから、それまでは「腕はあるけどぺーぺーのお育ちの良い僕ちゃん」だったチャーリー・シーンが、前半のイーストウッドのむちゃくちゃぶりをさらに加速させて殴る蹴る燃やす壊す脅す。トラウマを吹っ切った成長物語というより、動けないイーストウッドに乗り移られている、としか思えない豹変ぶり。

■映画の最初と最後のシーンが同じシチュエーションで反復される。このお約束的な差異と反復の気持ちよさにうっかり騙されかけるが、その前のシーンで腹を撃たれて意識を失ったイーストウッドが、ぴんぴんして警部補にまで昇進している姿は『シックスセンス』のオチにつながるんじゃないかと疑いたくなる。もしかしたら最初の事故のシーンから死んでるのかも。
■ホラー映画的に見れば、この映画はイーストウッドが生き霊から本当の亡霊となる話しだ。そしてチャーリー・シーンはイーストウッドのいたこになるわけだ。差異と反復を繰り返し、イーストウッドは永遠に生き続ける。『マルコヴィッチの穴』的に。

■常に手元に無い火、犬に襲われ続けるチャーリー・シーン、冒頭とラストのシーンなど、差異と反復に充ちたこの作品は、実は主人公自体の反復の物語、なのかもしれない。と、適当なこと言ってますが。

■ごたくはともかく、犯人捕まえるために町中に被害をもたらすような警察は実際にはいてほしくない。こわいっす。
この記事へのコメント
この映画、中2の時に小説で読んだ。
くそつまらんかった記憶が。
実際観たら典型的アメリカンマッチョイズム映画だった。
Posted by 柴 at 2005年05月13日 09:28
この話しを文字で読んでもつまらなそうだな。

マッチョ、ではあるよね。イーストウッド映画は常に。
でも私の場合、イーストウッドのマッチョってあまり気にならないっす。なんでだろ。
Posted by だま at 2005年05月15日 20:34
かつて、ジョン・ウェイン(ジョン・フォード)等がこうむった「マッチョ」(もちろん、当時はそんな言葉ではなかったけど…)という評価。ウェイン自身、政治的にはマッチョと呼ばれてもしかたのない振る舞いをしていたのは周知の事実。でも彼らジョンたち(ハワード・ホークスもそうだった)を「マッチョ」という言葉だけでひとくくりに出来ないのも、映画史的な「事実(=常識)」。実際イーストウッドも含め彼らが、いつも「マッチョな題材」ばかり撮ってるわけではないのは明らか…(ていうか、ほとんど撮っていないような気がするけど…)。
そういう意味で、だまさんがイーストウッドのマッチョが気にならないというのは、「常識」的な感覚の持ち主だからなのです。
Posted by ジル at 2005年05月15日 21:59
「マッチョ」の定義が難しい…。
金井美恵子氏は『ミスティック・リバー』に関して「ドルビーステレオの音響がまた、男による男のレイプの強迫観念にふさわしくマッチョに響き渡り」と書いたりするし、柴さんの「典型的アメリカンマッチョイズム」とジルさんの「マッチョな題材」が果たして同質なものかどうかもよくわからんす。

柴さんのは「強い男!が前面に出てる」こと、
ジルさんのは「力ですべてを解決することを賛美する」こと、
が「マッチョ」っていうことではないですか?違いますか?

ジョン・フォードの場合は女性の描き方が古き良き、って感じで保守的だなあと思う。ただ、その作品が「映画」として面白いからそういう保守性もその作品の「装置」として捉えられるわけで、その点、イーストウッドの作品についても同じですね、私の場合。
あるいは、その作品が娯楽を描こうとしているか、思想を描こうとしているかの違いというか。
あ、訳分からなくなってきた。
Posted by だま at 2005年05月15日 22:56
なんだか、軽く言ったマッチョ発言であれこれ
言及されてるようですが
おいらも「力ですべてを解決することを賛美する」のを
マッチョイズムまたは男根主義であると思ってます。
80??90年代のアメリカのアクション映画って
こんなんばっかでしたからね。
観てて全然痛みを感じないし。
ただ、そういった作品はビデオ屋で回転率高いんですよ。
セガールとかヴァンダムとか。
で、今作の場合は「西部警察」的なマッチョイズムを
大いに感じましたよ。

ていうか「ミリオンダラーベイビー」は面白そうだすね。
60歳代で子供を産ませてしまうクリリさんはハッスルマッチョですね。
Posted by 柴 at 2005年05月16日 00:01
にゃるほど。
多分、イーストウッドをセガールとかヴァンダムと一緒にするな!とジルさんは怒るでしょうが、見方はいろいろあるわけですな。

またしても元ネタが金井美恵子氏ですが、「ホモ・ソーシャル(男性的社会・組織)」において(対して)力を誇示したり主張したりすることを「マッチョ」と言っていたような気がします。その観点で考えるなら、イーストウッドってホモ・ソーシャルの枠外にいるような気がするので、「マッチョ」ではないのかも。
私が上のコメントで言ってたマッチョは単に「タフガイ!」て意味でした。

ただ『ルーキー』は、チャーリー・シーンに「マッチョ」のにおいがするような。
Posted by だま at 2005年05月16日 00:33
はぁ、なるほど…チャーリー・シーンね。マッチョのにおいしてるかも。

ていうか…、
そもそも、この映画のイーストウッドで「反応してしまった」ことがいけなかったのかも?
他に、おすすめのイーストウッド映画はたくさんあるし、そこではマッチョ問題(?)なんて浮上することもないのに…。
ま、俳優としても「映画作家」としても大ファンであるので、つい過剰反応してしまったようです。
Posted by ジル at 2005年05月16日 21:22
「ルーキー」、俺結構好きかも。
「ダーティーハリー」には完敗だが。

この映画、札幌に住んでたころ、「メンフィスベル」っていう最悪な戦争映画と同時上映されていて映画館で観た。

当時は、「メンフィスベル」が泣ける話ということで、プッシュされていて、「ルーキー」はおまけみたいな感じだった。

数年後テレビで放送されていたのを観て、アクションシーンとか、さすがセンスを感じさせたのを覚えている。

観終わった後も、一緒にいった奴は「メンフィスベル」の方が良かったと言ってて口論した思い出が。
Posted by かげ at 2005年05月20日 00:12
かげさんは札幌に住んでいたことがあるのか。どーも、北海道未上陸のオレです。

イーストウッド好きには嬉しいお言葉。
一連の書き込み読み返したら分かりにくかったので敢えて言い直します。
私はイーストウッドが好きだー!
年取るほどに。さらに監督として。
腰の引けてる自分を反省。

今日DVDで観た「ブラッド・ワーク」も面白かったよ。
Posted by だま at 2005年05月20日 00:43
マッチョと聞くと、
♪「サムソンアドンはマッチョダンディー」
♪「さむそぉ〜〜ん!!」
♪「あどぉぉぉ〜〜ん!!」
こと「超兄貴」しか思い浮かばない俺ちゃんはダメですかそうですか('A`)

ちなみに「ルーキー」は未見。

・・・('A`)カエリマス
Posted by coba at 2005年05月20日 01:51
サムソンアドンがわかりません!
気になるじゃないか??
Posted by だま at 2005年05月21日 00:13
ノンケではわからなくて当たり前。
(ってオレはその気はないが。存在は認めるけれども)
どうしても気になるのならディープめな本屋で捜索を。
ただし何があっても当方は一切関知しない重役達の午後。
Posted by kazz. at 2005年05月23日 13:11
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