2005年01月19日

『無防備都市』1945

■ロッセリーニをやっと一本。60年前、日本終戦の年の一本。
■ナチスドイツ占領下のローマ。レジスタンスとレジスタンス狩りをするナチス将校。
■レジスタンスの一人との結婚を控えたアンナ・マニャーニの見た目が完全に肝っ玉母さんであり、渡辺えり子。どっしりと。怒るえり子、恥じらうえり子、パン屋からパンを収奪するえり子。
■その彼女が、ナチスに捕らえられた恋人の乗せられたトラックを追いかける。カメラは走る彼女を捉えたまま、銃声が数発響き渡り、陽を受けた白い道路に彼女は崩れ落ちる。彼女のたくましく力をみなぎらせていた体が倒れる様は、まさしく崩れ落ちたと言うにふさわしい。
■一瞬何が起きたのか呆然とする。だって彼女は主役格の人間なのだ。物語の中盤でこんなにあっさりと死ぬのだろうか?末期の言葉さえ無しに?死ぬのだ。そんなものなのだ。言うことを聞かなければ撃たれる、撃たれれば死ぬ。

■レジスタンスと活動資金を届ける神父との合い言葉が大衆歌(?)の口笛なのが妙にほほえましい。緊迫したシーンで大人2人が真剣な顔で口笛を吹きあっている。何をしているのだ、この人達は。
■子ども達は毎日集まって戦争ごっこでもやっているのかと思いきや、大人に隠れ子ども達だけで、輸送列車を爆破してしまう。事を成し遂げた彼らは得意さにふくらんだ顔をしているが、家に帰れば帰りが遅いと怒っている親に迎えられる。下の階の子どもから順に家に入って怒られ泣きわめき、子ども達の顔が、レジスタンス気取りの顔からどんどん不安げな子どもの顔に戻っていくのが笑える。

■テーマは難しかった。硬い内容の映画だ。けれど、硬いだけの映画ではなく、レジスタンス闘争だけを撮ったものでもない。レジスタンスの活動があり、生活物資も不足している状況の中にも、「生活」はある。笑いもある。テーマの崇高さよりむしろ、そうした生活の細かい、生々しい描写にぐっときた。
■パン屋から収奪したパンを、立場上とがめるしかない仲良しのお巡りさんにそっとお裾分け。
■十字を切ってから一緒にパン屋を襲う修道士。
■活動資金を隠した本をそれと知らずに、重いから持ちますよとあずかるアンナ、それがなんなのか言うわけにいかずしどろもどろになる神父。

■シリアスな状況下のシリアスなシーンだからってシリアスに事が運ぶとは限らない。現実なんてそんなもんだし。

■しかし、ラストシーンにはくらくらした。町を見下ろす丘の上で神父の処刑が行われる時、子ども達はフェンス越しにただ歌を歌う。神父の死を見届け、彼らは町へ戻っていく、無言のまま。その彼らの後ろ姿は悲しみに溢れるものではなく、あくまでも決然としたものだ。続く闘争のために、彼らは凱旋していくかのように見える。
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