2004年12月27日

『マルメロの陽光』1992

■マルメロの実と樹に降り注ぐ瞬間の陽の光を描きたい、現実に忠実に。そのために足場をクギで固定し、水平軸を決めるための糸を張り、中心点に重りを下げ、マルメロの実、葉、背景の壁、樹に無数の白い目印を付ける。日が経つにつれ、葉は垂れ、実は熟し、目印の点は下へと下がっていく。元の高さに当たる部分に目印を付け直し、その位置が変わるたびに絵を直す。非常に丁寧に書かれていく線は当然ながら少しずつしか進まず、絵が完成することはない。そんな作業を彼はもう3年繰り返している。
■とはいえ、これは神経症患者の話しではない。スペインの「スーパーリアリズム」の画家アントニオ・ロペス=ガルシアの制作風景をアントニオ・ロペス=ガルシア本人が演じている作品なのだ。奥さんや友人、娘達もすべて本人達が演じており、ひたすらに制作風景を描いたこれは、ドキュメンタリーのようでもある。けれども、脚本も無いようにみえ、どれだけ自然に演じられていようとも、これはドキュメンタリーではない。アントニオの画風が「スーパーリアリズム」であり、現実を切り出したかのように描いたとしても、それが現実ではないように、この作品は「スーパーリアリズム」な映画なのだ。
■とはいえ、「スーパーリアリズム」の画家を「スーパーリアリズム」以上に「リアル」に描くための手法があるだろうか?あらゆる伝説や物語を排除し、ただ、画家の絵を描く姿と、それにまつわる制作風景を映し出す。それは監督ビクトル・エリセによる「スーパーリアリズム」の実践なのではないだろうか。

■しかし、それは単調な日常ではない。娘達との会話、妻との会話、訪ねてきた友人との思い出話。その間に挟まる家の改装をしている職人達の会話。何気ないそれらが、豊かな日常を浮かび上がらせる。
■丁寧で、神経症の一歩手前というよりは突き抜けてしまっている観のある彼の動きに、焦りや性急さは一切感じられない。彼は言う「絵を仕上げることよりも、このマルメロとともにいる時間が大切なんだ」と。そのわりにはマルメロは白の絵の具で目印つけられまくりでかわいそうな感じになってますけど。そこら辺の人がやったら完全に神経症で病院に通えと言われるだろう。しかし、実際にそうやって作品を作り上げてきた画家に対しては、みな彼の方法を尊重するのだ。
■作り上げることと、そうでないことの深い深い落差。

■キャンバスを作る淡々としていて無駄のない整理された動き。キャンバスに線を引く音、余分な布地を切り落とす音。そういった音のクローズアップにぐっときてしまうのはなぜだろう。『GERRY』の足音と同類のあの感じ。
■歌でも歌おうか、と突然二人コーラスを始めるアントニオと友人。
■休憩にチョコとコーラを頼む友人じじい。
■思い出に、とマルメロを食べてみる職人達。生ではおいしくないらしい。
■アントニオの完成されている絵を見てみたい。

■色彩と音と。これこそ映画館のスクリーンで観るべきなのに。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/16624375

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。