2010年09月08日

『借りぐらしのアリエッティ』

どうもなにやら納得できないのだが、自分が何に引っかかっているのかいまいちよく分からない。見た目が駿すぎるキャラなのに駿じゃないせいなのか、いやそれを差し引いても何かもやもやする。もしかすると、原作を読んでいないにも関わらず、現代の日本を舞台にするなら高野文子さんの翻案『東京コロボックル』が最高峰だと思っているせいなのか。
とか思っていましたが、ハナログさんのアリエッティに関する一連の記事「借りぐらしのアリエッティ、または暗躍する父」「『借りぐらしのアリエッティ』、または給餌される少女」「借りぐらしのアリエッティ、または水玉と繊維」を読んで私なりに腑に落ちました。

特に「『誰がアリエッティへのエサやり権を占有するか』をめぐる男たちのゲーム」という部分が核心のような。
駿作品で添え物やいけにえにされ続けた男たちの復讐なのか、今までの主人公となった少女たちとは違い、アリエッティは決して自立せず、自分ひとりの孤独と戦う強さも獲得することはないままなのですね。冒険らしい一幕はあるし、アリエッティがたくましさをみせるシーンもあるものの、結局は常に誰かと共にいる。
主人公が父から父の選んだ男の手に渡される間につかの間の叶わぬ恋をする話、がそれ以上のものになっていない感。
その他登場する女性陣も、うっとうしさばかりが目立ったり(母)、異常な執着がほほえましさや滑稽さを超えて醜悪になってしまったり(ハル)、父親の夢をそのまま自分にとりこんでしまっていたり(貞子)で、何か魅力にとぼしい。

あとやっぱり巨大と極小の世界の並列、その視点の切り替えで生じそうな感覚のくらくら感とかなかったのが、勝手な期待ながら残念。いつでも洋服がのっぺりと塗られているのは興ざめしてしまうのでした。それともそこまでやると収拾つかなくなるので敢えて切り捨ててののっぺりなのかな。水の扱いはおもしろかったのに(とハナログさんでも書かれていましたが)。

作画は概ね良かったので、残ったもやもやが気になってしまったのでした。

にしても、ハナログさんの一連のアリエッティ記事は本当に痛快+勉強になります。
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