2008年06月22日

『コロッサル・ユース』

出されることのない(あるいはかつて書かれた?)手紙の言葉、子供達への訪問、幾度も繰り返す行為が円を描く。けれどそれは同じ地点に戻ることはないらせん。当然のことだろう、反復は決して時間の停止ではないのだから。妻の失踪、古きフォンタイーニャスの消失、失われていた人間との再会といった大きな変化までもがそのらせんの中に吸い込まれていく。いくつかの、繰り返される事柄の中に、すべての変化は吸い込まれていく。

だって、それが生きているということの、最も単純な事実なんだと、わざわざ確認したくなるのは、そのらせんの力があまりに強く、観ている私までも引きずり込まれそうになるからだ。引きずり込まれる不安感にどうにか言葉を与えたいだけなんだろうな。

共感とか同感とか、そんなあまっちょろい感情が生まれるはずもない。ただ『コロッサル・ユース』の中のらせんに巻き込まれ、身動きもできないままにそこに繰り広げられている空間を生きる、あるいはそこに存在する生に絡め取られる。幾度も繰り返される事象の中に練りこまれていくような感覚は、金井美恵子さんの小説を読んでいるときのめまいのような感覚に少し似ているかも。

それにしても主人公を務めるヴェントゥーラの巨大さは何事。巨大にして静寂。時にはシミのようにもなる(シミとしてあつかわれもする)あの巨体。そして、画面の前面に大写しになる彼のしなやかに伸びる長い指とその先に真珠色に輝く美しい爪…あまりの美しさに嫉妬してしまうほどの指を持った巨人。その彷徨。


ところで、私はイメージフォーラムの1階で観ましたが、上映中たびたびピント合わせ(?)のような動きがありました。公開初期に地階で観た友人は、後半ずっとピントが合っていなかったようです。それほどにピントあわせが難しいフィルムなのでしょうか?


監督:ペドロ・コスタ
@イメージフォーラム
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