2018年06月21日

『掘るまいか 手掘り中山隧道の記録』

なぜか手元にあるVHSにて。2003年。橋本信一監督。

新潟県山古志村小松倉地区で昭和初期、戦時を挟み16年をかけてツルハシで掘られた1km近くに及ぶ隧道を掘り進めた人々の記録。

冒頭、お祭りか式典の一環であろう、背広を着て隧道の中へ入ってきた、ちょっとお酒を召されていそうなおじさん達が、このツルハシでなー、こうやって掘っていって、とカメラに向かって当時を再現しているうちに、そのうちの一人が興が乗って本当にガツンガツン壁を掘っちゃう、そのおじさんのキラキラ輝く笑顔の素晴しさといったら!「掘っちゃうのかよ!」て爆笑したよ。この記録映画への幸運なアプローチがそこに用意されているわけだ。

その後も量は少ないものの、盆踊りでの子供たちやおばちゃんたちの笑顔、おじさんの朗々たる歌声、おじいたちがトウモロコシの粒を手でむしって食べる姿の美しさなど、今の村の人々の生の姿がとても魅力的。さらに印象的なのは、豪雪の雪下ろしなどや隧道掘削当時の苦労を「大変ですね」と言われたときに、大変だってここが生まれ育ったところだもん、やらなきゃしょうがねえと返す、土地への愛情が浮かんでいて、少し誇らしさまで感じられる表情たち。もっともっと見ていたい。


気合の入ったナレーション、インタビュー、再現ビデオで構成される、いわゆる「ドキュメンタリー」。なので、それほど好みの形態ではないのだけれど、内容はとても興味深くて、存在していてよかったと感じる作品。個人から基金を集めて製作する地元発信の企画だったようなので余計そう思う。
インタビューされている方々、隧道掘りの中心となってきた方たちが80代後半から70代でお話しされていて、証言として残せるギリギリの時期だったなと思う。おそらく、新しいトンネルが出来て隧道が保存対象となったことからこの企画がもちあがったのだろうけど、失礼ながら、間に合って良かった!と思う。にしても、平成10年の新中山トンネル完成まで、軽トラ1台がぎりぎり通れる隧道だけでやってきてたのがすごすぎる。

横井戸の技術、雪の峠をツルハシ6丁抱えていく女たち、酸欠を土運びのトロッコが和らげる。
これを吉村昭氏の小説で読みたくなる。「高熱隧道」で描かれた黒部第三発電所トンネルが昭和11年から15年で904m。中山隧道は昭和8年から24年で875m。片や国家的事業、片や助成金もままならないツルハシとカンテラだけの隧道。時代が被ってると思うと余計に感慨深いな。

中越地震を経た現在、中山隧道は無事に保全されているよう。
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

『犬ヶ島』

新作だ!ウェス・アンダーソン『犬ヶ島』をスクリーンにて。

まずは久しぶりの映画館ということで、予告編までもが楽しくて新鮮。連続して映画館行ってると、予告編もSTOP違法なんちゃらも邪魔なんだけどねえ。そんな浮かれポンチ状態で見てきました。感想もまとまらないよ。

オープニングクレジットの日本語表記、グッときました。スクリーンで(これ重要)ウェス・アンダーソンて縦書きカタカナ表記で見るなんてさ、字体も相まって可愛らしくてグフグフしてしまった。ジェフ・ゴールドブラムとかティルダ・スウィントンとか。

画面もセリフもウェス監督らしく情報量が多いという評判は見ていたので、吹き替えの方がいいのかな?と思っていたのだけど、多言語使用もツールの一つであるこの映画では、やっぱり最初は字幕で見てよかった。さまざまな「翻訳ツール」が使用されているのも面白いし。

面白顔の人間たちとイケメン・美女犬たちとの物語。ストップモーションアニメだからこその質感と、本当にストップモーションなのかと驚愕する描写のバランスが面白い。『ファンタスティックMr.FOX』と比べると、情報量の多さは変わらないままに、盛り込む場所とそうでない場所のメリハリのおかげで、余白があって格段に見やすくなっているし。あと、ウェスさん的美的感覚はもちろん充満しているんだけど、オシャレ過ぎないのでオシャレ耐性の弱い私にもやさしい。『ムーンライズ・キングダム』も好きなんだけど、オシャレ過ぎて若干見ていて苦しくなるのよね。
海外でもウェス映画を観るような人は、この映画の日本的なもの描写はものすごい取捨選択とシャッフルを経たものだろうとわかるんだろうけど、でもこんな感じあるある、なのかな。このおもしろおかしい描写は好きだし、日本に住んでいない人がどう受け取ったのか想像すると、なんだかニヤニヤしてしまう。

ストーリーとか舞台となる島とか、描かれている内容は相当にシビア。犬ヶ島がただの「ごみの島」ではないと分かっていく下りは涙。ウェスさん、描いてくれてありがとう。島のこともどうしようもない群衆も、そして希望も。

でもまあ、なんといっても犬たちのイケメンぶりと美人ぶりにほれぼれしちゃうんだけど。
レックスの横顔アップで、夕焼けを背景に風にふわふわと毛が躍るシーンなんて、ねえ。レックスの声、エドワード・ノートンなんですね。声にもイケメンとなさけなさが混じり合っていてさすが。ティルダさんは何の声?と思ったらテレビを見るオラクルか!わはは。最高なティルダさんのムダづかい!
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

『となりのトトロ』

ジブリ作品の中で、もっとも幅広く愛されてる作品であろう『となりのトトロ』(1988)。
テレビ放映でなく、DVDできちんと見たのはいつが初めてだったか、とにかくだいぶ大人になってからだったはず。久しぶりにDVDで初めから最後まで見る。
オープニング曲の「さんぽ」とアニメーションの楽しさは今回改めてすごいなあと感じた。公開当時よりもさらに遠い世界になってしまったメイとサツキを取り巻く世界は、それでもやっぱり変わらず魅力的。うむ。トトロの感想ってなんだか書きようがないなあ。

何回見ても気になるのは、ねこバスの扉が開く音。ラピュタの失われた世界のテクノロジーみたいな音で、聞くたびに違和感を感じてしまう。
あとサツキが泣きだす瞬間に大友克洋顔になるのも唐突でずっと気になる。あそこのサツキの顔、え、えぇっ?ってびっくりした人いっぱいいるだろうな。しっかりものでかわいいサツキちゃん、をあの瞬間で覆すための、あの顔なのか。この2か所は本当に見るたびにビクッと反応してしまう。わざとなんだろうなあ。

浮世離れした一家を現実世界とつなぎとめてくれるカンタとおばあちゃんの2人がいてくれるから安心して見られる、というのも改めて。ていうのか、この2人、本当に好きだ。カンタの「ん」も好きだし、おばあちゃんがメイを探すときの「めーいちゃーん」は特に絶品。
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

『ダンボ』

ディズニーの『ダンボ』(1941年)をDVDにて。

いい大人になって初めてちゃんとこれ見ました。慄くよね、ピンクの象。
seeing pink elephants というのは小説を起源とする英語の言い回しで「アルコール飲料による酩酊や麻薬などによって起きる幻覚症状の婉曲表現(weblioより)」だそうですが、小象ちゃんの物語の中に5分、ピンクの象たちが踊り狂うシーンがあるとは思いもせず。5分てね、短いようでめまいがするほど濃厚で延々と続く感じ。見ているものを不安にさせるには十分な時間。すごいわ。わかりやすく、全面的に、狂気。

偏見と差別、離別、孤独。ショーでの成功を手にしなければ、そうしたものにどっぷり浸かり続けるしかないというシビアな世界。実際のところ、描かれている内容や描写をみると、これは子供向けに作られたものじゃないだろうと思う。現在の視点で見るからさらにそう思うのかも。

母子の物語を軸にしているとはいえ、ピンクの象を筆頭として、サーカスのタガの外れた消火ショー、黒人、異形の人々の描写、出てくる人間の子供たちのかわいくなさ。ウォルト・ディズニーには毒があるとはおもってたけど、これは表面に噴出しすぎててすごい。
高橋ヨシキ氏の生涯ベストなんですよね、なるほどなるほど。
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

『パンダコパンダ』2作

『パンダコパンダ』『パンダコパンダ雨降りサーカス』(1972・1973年高畑勲監督)をDVDにて再見。

アニメ映画にもスクリーンの大画面が必要なのだな、と改めて感じる。数年前に映画館でこの2作を初めてきちんと見たとき、あまりの狂騒と狂気に背中がざわざわしたのだけど、家の対して大きくもないテレビの画面でこの2作を見ると、狂気の記憶は呼び起こされるものの、なんだか普通に愛らしくかわいいアニメなのだ。映画館で見た高畑勲監督または宮崎駿監督作品は多くないけど、ポニョを見たときのゾワゾワした感じもテレビではきっと伝わらないんだろう。

しかし、ちびっこがスクリーンでこれを観たら、狂気の勢いに全身で飲み込まれ、水に浮かび水を流れ(両作品とも水ミミコたちは水に囲まれる)、汽車で暴走し、ミミコのたくましさとパパンダが守ってくれるという絶対的な安心感の中で笑い転げるんだろうな。多幸感。なにがあろうとも多幸感に包まれていく強さとめちゃくちゃさは、大人には狂気として背中をゾワゾワさせちゃったりもするけど、ちびっこにはとんでもなく幸せな記憶だろうな。

と、テレビで見ると少し冷静に観察できたりして、それはそれでやっぱり寂しい。ただただゾワゾワしたいよ。

| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

『新しき世界』

DVDにて『新しき世界』(2014年パク・フンジョン監督)。一度DVDで見たものの再見。

冒頭の拷問シーンから圧倒される。特に口から生コンは血よりもおぞましさがぞわぞわきた。そして「東京湾に沈めるぞコラ」の仁川港版の実践までがよどみなく、美しくシステマティックに流れていく。

再見の今回は人物相関もラストも頭に入っている分、一人一人のキャラクターを楽しめた。みんな味のあるいい顔してるんだよなあ。特に、初見時には唇の縦ひびが気になるばかりだったチョンチョン兄にはいちいち泣かされる。
エピローグも、最初に見たときには必要なのか正直とまどったんだけど、キャラクターに愛着出たらもう愛おしくて。チョンチョン兄のヘタレはそうであってほしい安心感だし、何より本編では眉間にしわを寄せ続けたジャソンの唯一のクシャっとした顔。最後にあの顔で終わられたらたまらないよ。

あと韓国映画といえば鈍器。銃もあるけど、まず使われるのは鈍器と刃物。立ち回りのぶつかり合いも迫力あるし、いろんな鈍器出してくるから、次は何が出てくるのかしらと若干楽しみになってしまったり。この映画は銃と鈍器のバランスもいい。

男性陣がいい顔揃いな分、女性陣(二人だけだけど)も韓国ビューティじゃない顔も入れてほしかった、とも思っちゃうけど欲張り過ぎかな。ここは素直に男の世界を楽しむ。かっこいい映画。
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月03日

『弓』

4年ぶりの更新がこれでいいのか、という気もするが、DVDにて『弓』。
韓国の偉大なるド変態キム・ギドク監督の2005年の作品ですね。

今作も余すところなくド変態。美しい。純愛。静謐。しかし描かれている内容はド変態の愛。キム・ギドク監督のブレなさってすごいですな。
仲代達也のようなじい様の、本当のところはどうなの?庇護者なんじゃないの?と思わせる抑制の効いた表情。の先に、あのカレンダーですよ。カレンダーのあのマーク。そしてそれを見ながらポっと頬を染めるじい様。マーク見た瞬間にぐはっ、って声出ちゃったもの。映画館じゃなくて良かったよ。一瞬で、ああこの人本当にダメだやばい人なんだって分かる、あのシーンが私としては楔シーンでした。

少女の超然とした美しさ、子供っぽさ、艶やかさと次々と変わる表情はひきつけられたし、若い男の子以外に誰も彼女を助けようとか出自を調べようとかしなかったのかよ!ていう当然の疑問とか、その最後の矢を射ってドピュンていうのがやりたいがための弓矢かよ!とか、映画としてのすばらしい強度を持った緊張感と美しさで、突っ込みどころ満載のどうしようもない妄想を描くギドク監督を、私は好きって言っていいのかどうかわかりませんわ。

でも、未見の作品まだまだあるんで見るでしょう。そうでしょう。
| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

記憶される場としての映画館

バウスシアター6月10日に完全閉館。
映画館としてはもう終わっちゃった。
6月中旬以降から機材の搬出も始まるらしい。

たぶんきっと、初めてバウスに行ったのは1994年のナイロン100℃公演。
次に訪れたのはたぶん10年後、2004年の爆音『グリーンデイル』。
その後は吉祥寺周辺の東だったり西だったりの町に住んでいるので比較的通って(boid企画以外の普通のロードショー番組もたびたび観る)10年。2014年。
バウスシアターが特異な劇場であるからこそ、出会いがあって再会があったとつくづく実感する経緯だなと思う。

初めてサンロードをぐんぐん進みバウスタウンまでたどり着いたとき、商店街の先にぽかりと開けた空間に虚を突かれ、その空間が醸す周りとは違う空気に圧倒された。
(今考えるとその時バウスはまだ開館して10年なんだけど、昔っからあるように見えて)商店街の中にこういう空間があるっていうことは、その町に歴史的な豊かさがあるからで、やっぱり吉祥寺ってのはおしゃれな町だなと思ったんだったか。
私が生まれ育った東京近郊のベッドタウンなんていうのは、そういう空間は望むべくもない、中途半端な新興住宅街、歴史ある地方都市でもない町だから余計そう思ったのかも。
そんなふうに初めてバウスタウンの全景を見たときのことを覚えている。

去年閉館してしまったシネパトスも、初めて行った時の印象は強烈で(やっぱり20年位前、地下商店街は閉館頃よりずっと暗くて猥雑な雰囲気だった)、映画の題名は覚えていないけど、地下通路の橋にふきだめられていた弁当ガラなんかを覚えている。あの地下街がなくなるのは銀座という町にとっての損失。
そして新たに閉館の知らせが出た三茶シネマ。つい去年、初めて足を踏み入れてやはり強烈な印象を与えられた。中央劇場と合わせてのあの路地の景色も感動的だった。あの景色がなくなるのは三茶という町にとっての損失。

なくなることが、一つの景色がなくなることにつながる映画館たち。町の一部としての町の映画館。その喪失は、その町の都市としての豊かさの喪失だと思う。多様性と多層性こそが都市としての豊かさなのだから。もはやあっちこっちで言われている「吉祥寺はもう終わったな」というのはつまりそういうことだ(映画館に限らずね)。
シアターNの閉館も映画ファンとしてショックだったけど、ああいう都市の映画館がなくなるのとはまたまったく別の問題がここにはある。

復活劇はもう起きないのか、起こせる可能性はあるのか。
あるのなら、どうにかしたいもんです。

2014年05月26日

吉祥寺バウスシアター再生へ向けて

バウスシアターをなくさないための取組みが始められたようです。
Baus on Baus 吉祥寺バウスシアター再生へ向けて

バウス閉館の報にただショックを受けて、せめて最後までバウスを楽しもうとしかできなかった自分には、ありがたく、そして頭が下がる思い。

いったい何がどうなれば本当にバウス閉館を覆すことができるのかわからないけれど、この署名運動の要望は訴えてよいものだと思ったので私も賛同させてもらいました。
(失礼ながら)もしもこれが悪あがきだとしても、悪あがきできる場をこうして作ってくれた人がいるのだから、これ幸いと悪あがきに乗っかるしかない。
ふがいない自分を恥じるのは自分で勝手にやる。
バウスを愛する人々だけでなく、町にとってのこういった場所の重要性に気づいている人々にどんどん乗っかってほしい。もしどうしようもなく今のバウスがその形をなくしてしまうとしても、悪あがきの記録と記憶は次の「バウス」を創出するための力にきっとなる。

2014年05月24日

點てんひゃっけん

台北に行ったときに「點」という漢字をあちこちで見かけたのだけど読めぬ、と思って検索したら「点」に当たる漢字で、思い返してみたらその通りの使われ方だったな(終點とか)と納得した5月初旬。
で、話は飛んで、吉祥寺バウスシアター。LASTBAUSの企画の一環として1Fのカフェで行われた古本市で、内田百間(自分のパソコンで門に月、の字が普通に変換で出てきたけど機種依存文字ですよね?)の「沖の稲妻」旺文社文庫を発見。
前から旧仮名遣いのままの百間さんが欲しいと思っていたのだけど、1982年に発行されたこの版は、漢字は一部略字体に改めかなづかいは原文のまま、ということなのでいそいそと購入。頑なに旧かなづかいを変えなかったという百間さんは、やっぱり旧かなづかいで読んでみたいのです。
と、この戦前・戦中に書かれた随筆集には件の「點」の字が「点」として普通に使用されている。この黒に占という漢字、これもつい先ごろまで日本でも普通に使われていた字だったんですね。無知。
予備の豫(ヨ)とか、運転の轉(テン)とかは読めるのにー。
とはいえ、地名を始め「沖の稲妻」にはふり仮名がついていなかったら読めなかったであろう漢字が沢山あって味わい深い。この版の「冥途」とかも欲しいなあ。
たぶんもっと前の版になるとふり仮名が無くて読めない・・・。