2014年06月08日

記憶される場としての映画館

バウスシアター6月10日に完全閉館。
映画館としてはもう終わっちゃった。
6月中旬以降から機材の搬出も始まるらしい。

たぶんきっと、初めてバウスに行ったのは1994年のナイロン100℃公演。
次に訪れたのはたぶん10年後、2004年の爆音『グリーンデイル』。
その後は吉祥寺周辺の東だったり西だったりの町に住んでいるので比較的通って(boid企画以外の普通のロードショー番組もたびたび観る)10年。2014年。
バウスシアターが特異な劇場であるからこそ、出会いがあって再会があったとつくづく実感する経緯だなと思う。

初めてサンロードをぐんぐん進みバウスタウンまでたどり着いたとき、商店街の先にぽかりと開けた空間に虚を突かれ、その空間が醸す周りとは違う空気に圧倒された。
(今考えるとその時バウスはまだ開館して10年なんだけど、昔っからあるように見えて)商店街の中にこういう空間があるっていうことは、その町に歴史的な豊かさがあるからで、やっぱり吉祥寺ってのはおしゃれな町だなと思ったんだったか。
私が生まれ育った東京近郊のベッドタウンなんていうのは、そういう空間は望むべくもない、中途半端な新興住宅街、歴史ある地方都市でもない町だから余計そう思ったのかも。
そんなふうに初めてバウスタウンの全景を見たときのことを覚えている。

去年閉館してしまったシネパトスも、初めて行った時の印象は強烈で(やっぱり20年位前、地下商店街は閉館頃よりずっと暗くて猥雑な雰囲気だった)、映画の題名は覚えていないけど、地下通路の橋にふきだめられていた弁当ガラなんかを覚えている。あの地下街がなくなるのは銀座という町にとっての損失。
そして新たに閉館の知らせが出た三茶シネマ。つい去年、初めて足を踏み入れてやはり強烈な印象を与えられた。中央劇場と合わせてのあの路地の景色も感動的だった。あの景色がなくなるのは三茶という町にとっての損失。

なくなることが、一つの景色がなくなることにつながる映画館たち。町の一部としての町の映画館。その喪失は、その町の都市としての豊かさの喪失だと思う。多様性と多層性こそが都市としての豊かさなのだから。もはやあっちこっちで言われている「吉祥寺はもう終わったな」というのはつまりそういうことだ(映画館に限らずね)。
シアターNの閉館も映画ファンとしてショックだったけど、ああいう都市の映画館がなくなるのとはまたまったく別の問題がここにはある。

復活劇はもう起きないのか、起こせる可能性はあるのか。
あるのなら、どうにかしたいもんです。

2014年05月26日

吉祥寺バウスシアター再生へ向けて

バウスシアターをなくさないための取組みが始められたようです。
Baus on Baus 吉祥寺バウスシアター再生へ向けて

バウス閉館の報にただショックを受けて、せめて最後までバウスを楽しもうとしかできなかった自分には、ありがたく、そして頭が下がる思い。

いったい何がどうなれば本当にバウス閉館を覆すことができるのかわからないけれど、この署名運動の要望は訴えてよいものだと思ったので私も賛同させてもらいました。
(失礼ながら)もしもこれが悪あがきだとしても、悪あがきできる場をこうして作ってくれた人がいるのだから、これ幸いと悪あがきに乗っかるしかない。
ふがいない自分を恥じるのは自分で勝手にやる。
バウスを愛する人々だけでなく、町にとってのこういった場所の重要性に気づいている人々にどんどん乗っかってほしい。もしどうしようもなく今のバウスがその形をなくしてしまうとしても、悪あがきの記録と記憶は次の「バウス」を創出するための力にきっとなる。

2014年05月24日

點てんひゃっけん

台北に行ったときに「點」という漢字をあちこちで見かけたのだけど読めぬ、と思って検索したら「点」に当たる漢字で、思い返してみたらその通りの使われ方だったな(終點とか)と納得した5月初旬。
で、話は飛んで、吉祥寺バウスシアター。LASTBAUSの企画の一環として1Fのカフェで行われた古本市で、内田百間(自分のパソコンで門に月、の字が普通に変換で出てきたけど機種依存文字ですよね?)の「沖の稲妻」旺文社文庫を発見。
前から旧仮名遣いのままの百間さんが欲しいと思っていたのだけど、1982年に発行されたこの版は、漢字は一部略字体に改めかなづかいは原文のまま、ということなのでいそいそと購入。頑なに旧かなづかいを変えなかったという百間さんは、やっぱり旧かなづかいで読んでみたいのです。
と、この戦前・戦中に書かれた随筆集には件の「點」の字が「点」として普通に使用されている。この黒に占という漢字、これもつい先ごろまで日本でも普通に使われていた字だったんですね。無知。
予備の豫(ヨ)とか、運転の轉(テン)とかは読めるのにー。
とはいえ、地名を始め「沖の稲妻」にはふり仮名がついていなかったら読めなかったであろう漢字が沢山あって味わい深い。この版の「冥途」とかも欲しいなあ。
たぶんもっと前の版になるとふり仮名が無くて読めない・・・。

2014年05月23日

マーティンといえば

フリードマンじゃなくて。
『ホビット』やら『ワールズ・エンド』、ワトソン君としてもご活躍のフリーマン、が、『銀河ヒッチハイクガイド』の主役(の一人のアーサー)だってことに、ついこの間気がついたー・・・。かなり好きな映画なのに。
当時はモス・デフかわいいよかわいいよと思って観てたせいなのか、「平凡なイギリス人」役をあまりに完璧に演じたマーティン・フリーマンの力量のせいなのか?全然気づいてなかった。
改めて写真とか見るとマーティン老けたなと思うけど、『銀河』ってもう9年も前の映画になるんだ。。。小さくなった気もするのだが、それはホビットのイメージのせいか。
オープニングの、魚をありがとうの歌(ニール・ハノンは近頃何してんだろうと思って検索したらオペラ作ったりしてんのね。さもありなん。)は未だに時々脳内ラヂオにかかる。久しぶりに観たいな。

あ、映画ブログ的にはマーティンといえばスコセッシって書くべきか。


※追記:フリードマンはマーティンじゃなくてマーティだ。失礼しました。

2014年03月02日

水中テオレマ

三鷹北口に新しくできた素敵な古書店「水中書店」さんが、居心地が良いとツイートしていたので気になっていた同じく三鷹のカフェに行ってみれば、こじんまりとしているけれどウッディで洗練された居心地の良いオシャレ空間。
の、壁一面にスミスのジャケット群(これは期間限定らしい)。棚にずらりと並んでいるのは諸星大二郎に星野宣之。手塚治虫もあるけど、ばるぼらとかネオ・ファウスト。
むむむ?
そしてトイレに行けばパゾリーニの『テオレマ』。。。。

む。

店名の「テオレマカフェ」てそのテオレマか!

このオシャレ空間の店名がパゾリーニでいいのか。いやパゾリーニなんだから洗練された空間でいいのか。むしろ洗練された空間に奇妙なもの(失礼)詰め込んであるのは正しくパゾリーニ的空間なのか。
うーむ。
ねじれてる。
しかしそのねじれがここちよい。
奇妙寄りのじぶんですが、籠絡された。
この空間、好物だ。

もちろん出しておられるものはちゃんとしてます。
頼んだコーヒーもあんずケーキもとてもおいしく、チーズケーキとか甘くない食べ物とワインとか品数はおおくないんだけどそそられるものだらけ。

で、ですね、テオレマカフェにたどり着くまでの経緯が、
岡田秀則氏がブログ「Atelier Manuke」で水中書店開店のことを書いていたので→行ってみたらば居心地の良い古書店で映画系の本も多めで気に入って(水中書店の店主さんはかつて映画を学ばれた、とか)→その店主さんがテオレマカフェが良いとツイートしているので気になって行ってみる→テオレマだった。
という流れで、結果的に映画(絡み)数珠つなぎでした。

2014年01月28日

ニワトリに履きもの

森崎東監督の『ニワトリはハダシだ』は大好きな映画だけども、題名の意味はよく分からない、ですよね。

なんとなくのニュアンスは映画内の倍賞姉さんのセリフ、「ニワトリあハダシ、ええ文句や、バタバタせんとドーンと構えときなあれ!」(『森崎東党宣言』から引き写し)で想像するとして、何から来てる言い回しなんだろうと気になっていた。

ところが先ごろ読んだ『森崎東党宣言』の中で、ハダシの脚本に参加された近藤昭二氏が、(かつて京都の撮影所の大道具スタッフである)「人物が時々発する意味不明の罵言」が「作品中でも使われることになり、タイトルにもなった」と書かれていた。
つまり「屁のつっぱり」式の、「言葉の意味は分からないが、なんだかすごい迫力ですね」といった言葉なのだなあとひとまず納得。

で、だ。
今日、筒井康隆氏のエッセイ『狂気の沙汰も金次第』を読んでいたら、「ニワトリが高下駄履く」という言い回しが出てきた。
おぉー。
「「あんたを信用しているからね」そんなことばひとつで、人間の行動を左右できるなどと考えるやつの思いあがりは、まさにニワトリが高下駄履くのに等しい。甘えるのもいい加減にしろといいたくなる。」
なんだか文脈的にもハダシと見事に対になっている言い回しじゃないですか。このあとに「ニワトリはハダシだ」とつなげてもしっくりくる。
「甘えるのもいい加減にしろといいたくなる。ニワトリはハダシだ。」
うむ。

このエッセイ集は昭和48年刊行。時代としては京都撮影所の人物が「ニワトリはハダシやぞ!」と裂ぱく発していた頃からそう遠くないと思われる。なぜにそこでニワトリなのか。やっぱり何かそのようなニワトリをつかう言い回しがあったのでしょうか。例えにはニワトリ、なブームでもあったのか。気になる。

ちなみに「ニワトリが高下駄」で検索してみたら、「筒井氏のエッセイに出てきたんだけどどんな意味なんでしょうね?」ということで色んな方が自分なりの解釈をしておられる。
ハダシでも高下駄履いても、インパクトをもたらす言い回しになるニワトリ。
ニワトリのポテンシャル高けー、てことでひとまず落ち着いておくか。

2013年05月12日

2013年の映画(更新)

4月分更新
−−−−−−
12年の見逃しメモが思いのほか自分自身に好評だったので、
2013年もメモ付けていこうかと思います。
基本的には月初更新の予定です。
公開日順、カッコ内は観た月、▲は未見作または二番館待ちです。
旧作未記入。

2012年12月
ホビット思いがけない冒険(1)
ルビー・スパークス(1)

1月
ロンドンゾンビ紀行(1)
LOOPER ルーパー(1)
テッド(2)
▲アルマジロ
コック・ファイター(2.1974作だけど、劇場初公開・ニュープリント)
▲狼たちのノクターン 夜想曲
▲塀の中のジュリアス・シーザー
▲みなさん、さようなら
▲人生、ブラボー

2月
アウトロー(2)
ムーンライズ・キングダム(2)
奪命金(2)
先祖になる(2)
▲故郷よ
ゼロ・ダーク・サーティ(2)

3月
ジャンゴ 繋がれざる者(3)
▲ダークホース
▲ダークシステム 完全版
▲あれから
CABIN(3)
シュガーマン(3)
▲偽りなき者
ザ・マスター(4)

4月
▲ホーリー・モーターズ
▲君と歩く世界
▲天使の分け前
リンカーン(4)
セデック・バレ(4)
アイアンマン3(5)
▲孤独な天使たち
▲ウイ・アンド・アイ

**************
この先分。気になっている映画メモ。

三姉妹 雲南の子(5/25)
オブリビオン(5/31)
ペコロスの母に会いに行く(2013)

2013年03月24日

E.T. 20周年アニバーサリー版

そんなわけで早稲田松竹でBTTFとカップリングでE.T.。実はちゃんと観るのは初めてでした。
お兄ちゃんが良い。あとお兄ちゃんたちのやってるボードゲームが気になる。
しかし、大人になってから見るとちょっとばかしお話が甘すぎてもぞもぞしちゃう。要は父の不在で不安定になった子供たちにドッグセラピー受けさせる話しか、とか。若干ひねて見えたり。。。
E.T.はあおりで見たときのアヒル口角度がいちばんかわいい。
自転車が飛ぶシーンは改めて観ると、宮崎駿の浮遊感と似てる。まあ、飛ぶって永遠の夢だよね。しかも友達と連なって飛ぶとか楽しそうだ。宇宙船の描写よりもこっちのシーンにあきらかに力入ってるし。
このころ、アメリカの子供といえばBMXに乗っているイメージを持っていたわ。

2013年03月19日

バック・トゥ・ザ・フューチャー

早稲田松竹の3月の特集がグッと来すぎて通った。鳥、キャリー、フレンチ・コネクション、夜の大捜査線、E.T.、BTTF。ありがとう早稲田松竹。

てなわけでBTTF。初スクリーン鑑賞。今までテレビ画面で何度も見てるのに、改めて面白さを体感してエンドロールで涙出た。細部の作りこみとか、テンポ、超ご都合主義的展開、マイケル・J・フォックスでしかありえない軽快さとか、どれかが突出するとくどくなりそうなのに、いろんな歯車がかっちり合うという奇跡的なおもしろさなのかも。
ドクが若き父親を見て「君は養子なのか?」とマーティに問いかけるシーンは、大きなスクリーンで見るMJFのあふれる生命力の前に説得力倍増。小さい画面では伝わりきらずにやんちゃにしか見えないかもしれない、マーティのきらきら生き生き感はすごかった。
MJFのコメディ特集観たいわ。錦之助特集に通うおば様たちと同じ心根で通うのに

2013年01月24日

『阿賀に生きる』

佐藤真 1992年
ニュープリント上映@ユーロスペース
−−−−−−−−−−−−−−
じっさま、ばっさま、おひさしゅうございます。
観るたびにきっと違う魅力が見える映画。
特に今回はニュープリント。
朝顔の色鮮やかさに初めて気づく。木枠の窓から入り込む蔓のくるくるのかわいらしさと瑞々しさったらない。
川面を自在に動き回る川舟集団のシーン。
もしかすると初めて観たときは木の舟につけられたエンジンを無粋だと思ったかも。けれど今回はそんな思いは微塵も湧かず、水面をすべるように進む川舟たちはそれこそ水をえた魚のように見えるし、エンジンを巧みに操るおじさんたちは喜びと誇らしさにふくれあがった子供のようにも、川の神様たちのようにも見えて、やたら印象強い。
地裁に入っていくばあさまたちの背中もあまりおぼえていなかった。とても力強いようにも、とても弱々しいようにもみえるひとかたまりの背中。待ち構える報道カメラの中で、背中を追うこの映画のカメラだけがばあさまたちの側にいるようでなんだか泣きそうになる。

しかしやっぱり、じっさま、ばっさまたちに再び出会う喜びはひとしお。
ニュープリントで頬のつやはよりぴっかり、かっこいいしわはよりくっきり。
あんぱんを前に笑顔で寝ているばあさまはまるで観音さまのように福々しいし、おもちはより熱々にみえるし、肥料袋の前掛けだってよりビビットでかっこいい。

数年を経て観なおして思うのは、きっとこの先年を経て自分の親も自分の世代も登場人物の年代に近づいていくほどに、また見えてくるものが違うんだろうなと。それでも常に、この人たちのもつ豊かさというものはきっとずっと感じ続ける。そんで、どんな土地に行ってもそういった豊かさの片鱗を感じる糸口になってくれる。東京砂漠の根無し草生活のひ弱い身には正面きって受け止めきれないほどの力強さと豊かさなわけだが。。。

絵にかいただるまさんもおどりだす とろっこばったん。

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